入れ墨は “見世物”ではなく精神的支え。今でも完成させたいと思っている : 元ヤクザ法律家対談 司法書士・甲村柳市×弁護士・諸橋仁智(前編)
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震える手で額にピストルを当てられて…
─お二人がお互いのことを知ったのはいつだったのでしょうか。
諸橋 元ヤクザで司法書士試験に受かった人がいる、というニュースを2019年くらいに目にしたのが最初でした。僕は弁護士になっていたのですが、その時まだ過去の経歴を隠していたので、甲村さんが公表していることに驚きました。ああ、過去を明かしてもいいのか、って。僕が2022年4月にYouTubeの番組に出て元ヤクザだとカミングアウトしたのも、甲村さんの存在を知ったことが大きかった。
甲村 私は、その番組を見て諸橋さんの存在を知りました。こういう経歴で資格をとって法曹界に入ったのは自分だけだと思っていたので、驚きましたね。
諸橋 覚醒剤取締法違反で起訴されたけれど執行猶予になった僕から見ると、甲村さんは実際に刑務所を経験されている。僕は懲役刑に行ってから法曹関係の仕事に就くのはハードルが高すぎて無理だと思っていたから、そこを乗り越えた経験について聞いてみたいと思っていたんです。今年5月に僕の本が、6月には甲村さんの本が立て続けに出版されたことをきっかけに人を介して連絡を取って、お話するようになったんですよ。
甲村 同じ元ヤクザといっても、覚醒剤の販売を主なシノギ(資金源)にしていた諸橋さんと、ヤミ金融や債権回収が中心だった私では、やってきたことも違いますからね。どういう経歴で、どうやってここまで過ごしてきたのか、とても興味がありました。
―これまでの裏社会での経験で、最も強烈に印象に残っていることは?
甲村 これは2003年に立ち上げた右翼団体を活動の中心にしていた時代の出来事なんですが、現役の組員に貸していたカネを回収しようとしてガンガン追い込んだところ、ちょっと追い込み過ぎたのか、そいつが突然、私の額にピストルを突き付けてきたことがありました。銃口が当たった感触で、おもちゃではなく本物だと分かった。
相手はだいぶ興奮していたから、ピストルを持つ手が小刻みに震えていて、言葉にならないようなことを口走っていた。「もしかしてこいつ、弾(はじ)くんちゃうかな…」と。「分かった、分かった。もう降ろせ、降ろせ」と必死になだめて、なんとかその場は収まりましたが、この時ばかりは怖かった。手の平にネチャっとした、嫌な汗をかいたのを覚えています。
―やはり、常に死と隣り合わせ、という感覚はあったんですか。
甲村 殺されそうになるような場面はそんなに頻繁になかったですが、まあ、懲役に行くことが多かった。全部、暴力事件です。相手にケンカ売られたら、やったら懲役と分かっていても、やらなしゃあない。それで通算10年、4回のムショ暮らし。それはもう宿命ですよね。
大学時代に入れ墨決断「もう戻れない」
諸橋 僕は拳銃まで突き付けられたことはありませんが、ヤクザには「掛け合い」というのがあって、この時のことが非常に印象に残っています。「掛け合い」というのは、他の組ともめ事が起きたときに、例えば5人対5人とかで同じ席に集まって、言い合いをするんですね。
僕はもめ事を起こした当事者だったから、「お前もその場にいろ」という感じで同席したことが何度かありました。「掛け合い」自体はあくまで言葉のやり取りなんですが、下の階にはお互いの戦闘員が待機していて、拳銃を隠し持っているかもしれないし、展開次第では、さらわれるかもしれない。実際、「掛け合い」の席で撃ち合いになったり、殺されたりしたヤクザもいますからね。緊張感がありました。ただ、こういう時はアドレナリンが出ているのか、恐怖は感じませんでした。
むしろ、僕は覚醒剤中毒になっていたので、自分の部屋の中にいるときに幻覚で感じた死の恐怖の方が強かった。誰かに襲われるかもしれない、という妄想にずっととらわれていたんです。悪魔に狙われているような……。
―お二人とも背中に入れ墨を彫っていますが、どんな経緯で入れることになったんですか。
諸橋 入れ墨を入れたのは22歳の頃。不良の仲間はみんな入れていたし、銭湯に行っても「入れ墨が入ってない身体を見られると恥ずかしい」くらいの気持ちになっていた。もちろん、一度入れたらもう戻れない、ということも考えました。当時はヤクザになるかならないかという境目で、まだ大学生でしたから、入れ墨を彫れば本格的にヤクザの道に入る、という意味合いもありました。
入れた後も、大学の友達などには隠していました。一度、たまたま僕の入れ墨を見てしまった友達がとてもびっくりしていて、すごく気まずかったのを覚えています。入れ墨を入れてからは自然な流れで、カタギの友達と会う頻度が減っていって、ヤクザ生活のウエートが高くなっていきました。
甲村 私の場合、理由も意味も何にもないんですが、ちょうど20代で、そういうものに憧れる年頃じゃないですか。ただの憧れですよ、うん。それに、刑務所に入ると、現役の組員はほとんど入れてますから。現役だと言っていながら体がきれいだと、違和感がある感じでした。ヤクザ同士でお互いの入れ墨を見て、ちょっとした「品評会」みたいになったりもしますからね。
入れ墨の絵柄はどう決めるのか
―諸橋さんの入れ墨は水滸伝の場面を描いた武者絵「水門破り」、甲村さんは「般若」ですね。絵柄はどうやって決めるんですか。
諸橋 彫師の先生にもよると思いますが、僕の場合は先生の部屋に絵柄の見本がまとめて置いてあって、自分の番を待っている時にその見本の中から選びました。見本を見てたのは30分くらいで、「一番カッコいいからこれにしてください」って。美容室でカタログを見て髪型を決めるみたいな感覚でした(笑)。
僕はだらしないヤクザだったので、本当は2週間に1度は彫師の先生のところに通わなければいけなかったのに予約をすっとばしたりして、先生がとても怖いこともあって、そのうち気まずくなって行けなくなってしまいました。それで、「スジ彫り」という色のない状態で終わってしまっているんです。ヤクザの道に戻ることは決してありませんが、このスジ彫りだけは今でも完成させたいという思いがあります。
甲村 私は、あまり他の人が入れていない絵柄ということで般若を選びました。当時は龍とか鯉を入れる人が多かったから。見本の中から選ぶのはそうですし、ここの部分はもうちょっとこうしてほしい、とかも個別に注文できる。やはり、人と同じは嫌ですからね。
最終的には腕や胸まで全身に入れるつもりだったのですが、中途半端に始めてしまうと、完成するまで止められなくなるし、刑務所を出たり入ったりする中で、必要以上に入れることはないと思った。それで、背中だけにしました。私は極端な暑がりなので、半袖が着たかった、というのもあります(笑)。
入れ墨を入れていると銭湯やプールは入場禁止だったりしますが、別に後悔はしていないですね。入れたものを消す必要もないと思います。
―入れ墨を見せて人を脅すようなことはないんですか?
諸橋 「遠山の金さん」みたいに入れ墨を見せつけて、一般人を脅して、なんていうのは映画や漫画の世界で、そんなことしたらむしろ、みっともないですよ。
甲村 そこはまあ、人によりますけどね。わざと詰めた(切断した)小指をちらつかせたり、居酒屋やスナックで大声で兄貴がどうの、親分がどうのと言ったりする奴もいます。静かにしゃべれよ、と思いますけどね(笑)。
諸橋 僕にとって入れ墨は人に見せるために入れるのではなく、自分自身の分身であり、精神的な支えという感覚です。勝負事の時も、背中の入れ墨が僕を後押ししてくれているように感じましたから。
最近は腕や胸に和彫りの入れ墨を入れてTシャツ姿で見せつけているのに、背中はきれいなまま、という若者がいる。僕らの時代の感覚からいうと、まず背中に入れて、そこから拡げていくのが普通でした。これは海外のタトゥー文化が入ってきて、入れ墨は「人に見せるもの」という感覚の方が増えてきたからだと思います。背中よりも、腕や胸のほうが見せやすいですから。要は、ファッション感覚になった。もはや、「入れ墨=ヤクザ」という時代ではなくなったと感じています。
(後編)に続く
行き過ぎた排除が生んだ “行き場のないヤクザ” と “ルールなき半グレ” という負の遺産
バナー写真 : ヤクザ時代の入れ墨を背負ったまま、法律家として活動する弁護士・諸橋仁智さん(左)と司法書士・甲村柳市さん
取材・文:森一雄、小泉耕平、POWER NEWS編集部
写真:伊ケ崎忍