入れ墨を背負っていても。入れ墨を背負っているからこそ。

薬物中毒のヤクザから転身 異色弁護士が過去を明かした理由 :「自分なら罪を犯した依頼者と向き合える」―諸橋仁智さん

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東京都台東区で「諸橋法律事務所」を開く弁護士の諸橋仁智さん(47)。今年5月に出版した『元ヤクザ弁護士』(彩図社)は現在4刷り。逮捕や薬物中毒による強制入院を経験した過去を持ちながら、最難関の国家資格といわれる司法試験を突破した「異色の弁護士」として取材を受けることも多い。諸橋さんは、「あえて過去をさらけ出すことはない、と周囲の人から言われましたが、自分のような人間がいることを社会に知ってもらいたいという気持ちが強くありました」と話す。

諸橋 仁智 MOROHASHI Yoshitomo

1976年福島県生まれ。高校卒業後、2浪を経て成蹊大学経済学部に合格するが、退学して暴力団の構成員に。2005年、覚醒剤中毒で約半年間、強制入院。覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を受け、組からも破門となる。この頃から資格取得の勉強を始め、宅建、司法書士試験に合格後、13年、司法試験に合格。著書に「元ヤクザ弁護士 ヤクザのバッジを外して、弁護士バッジをつけました」(彩図社)。

優等生を転落させた「クスリ」との出会い

福島県いわき市の出身。実家は製麺業を営んでいる。ひとりっ子。中学生の頃、父親を亡くしたが、不自由なく育った。「自分でいうのもなんですが勉強もできた。いつも成績はトップクラスでした。伊丹十三監督の映画『マルサの女』に憧れ、将来は東京大学に行って国税庁査察部で働くんだと決めていました」

「正義」に憧れた少年が、なぜ悪の世界に転落したのか。きっかけはささいなことだった。高校は県内有数の進学校の福島県立磐城高校に入学したが、母親との二人暮らしがさびしくて、夜遊びを始める。生活が乱れて大学受験に失敗、上京して予備校に入った。

そこで出会ったのが覚醒剤だった。「当時から若者たちの間で大麻や薬物が広まっていました。名前を聞けば誰もが知っている有名予備校でしたけど、そこでも薬物をやっている学生はいたんです」。仲間に勧められるままに手を出す。加熱して煙を吸う「あぶり」と呼ばれる方法だった。

勉強に興味を失い、不良仲間とつるんだ。2浪して成蹊大学に入学したころには、すっかり生活が乱れていた。毎日雀荘に入りびたって、暴力団の構成員とも仲間になった。大学は中退し、自然の流れで暴力団組織に入ることに。「アニキ」と呼んだ人物は物腰が柔らかく、おしゃれな人だった。「死んだ父親と同じ年齢でした。あとから振り返ると、どこかで父とダブらせていたのかもしれません。一緒にいるのが楽しくてついて回りました」

突然、渋谷スクランブル交差点「交通整理」で強制入院

持ち前の行動力を発揮し、アニキの右腕となって組織を支えていく。組織のシノギ(資金源)は覚醒剤の密売とヤミ金融だった。「10日で3割というとんでもない高い利息でしたが、借りる人はたくさんいました。その人たちはすぐに多重債務者になってしまいましたが…。一方で、ヤミ金で働くチンピラたちに覚醒剤を売ってこちらでも稼ぐ。めちゃくちゃなことをやっていました」

だが、彼自身も次第に覚醒剤にむしばまれていく。仕入れた覚醒剤を自分で打って効き目を確かめる、いわゆる「味見」を繰り返すうちに重度の中毒になってしまったのだ。

幻覚・幻聴におびえ、苦しむ日々が続く。そのせいで2005年、渋谷駅前のスクランブル交差点で突然、交通整理を始め、警察に「保護」された。精神科病院に措置入院させられ、その後、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕。懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を受けた。

事件が原因で、所属する組織も破門になった。暴力団の世界も建前と本音がある。表向き覚醒剤は、密売も使用も禁止されていた。組織の掟(おきて)を破ったというのが処分の理由だった。この世界で生きていくと決めて彫った入れ墨もまだ完成していなかった。「中毒の後遺症も残っていた。ヤクザでもなくなり、この先どうなるのか、絶望的な気持ちでした」

しかし、この転落が再び運命を変えた。勾留中、母親は息子を思って1冊の本を差し入れする。異色の弁護士・大平光代さんが書いた『だから、あなたも生きぬいて』(2000年、講談社)。大平さんは壮絶ないじめを受けたのが原因で非行に走る。10代で暴力団の組長夫人になった後、一念発起して司法試験を目指した。「こういう生き方もあるのか、と驚いた。それからは彼女がたどった道をひたすら忠実に追いかけました」

「壊れた頭」で机に向かった7年

いわき市の実家に戻り、勉強を始めた。「長い間、ヤクザな生活を続けていたので、最初は勉強どころか机に座ることすら満足にできなかった」というが、もともとは優等生。勉強すること自体は、不得意ではなかった。「ただ、自分の場合、覚醒剤中毒だった影響もあるのか、つい過集中になってやり過ぎてしまうので、30分勉強したら30分休憩して散歩に行く、というふうに自分をコントロールしながらコツコツ続けることを考えていました」

猛勉強をして、大平さんと同じように、まず宅地建物取引士の資格を取得した。続いて難関の司法書士の試験にも合格した。それから大阪に引っ越し、関西大学法科大学院に入学。そしてついに2013年、司法試験に受かった。日本の法律系資格の最高峰で、合格までに要する勉強時間は5千時間とも8千時間とも言われる高い壁。覚醒剤事件で執行猶予の判決を受けてから司法試験に合格するまでに約7年がたっていた。

その間、覚醒剤中毒の後遺症との壮絶な戦いもあった。「猛烈に覚醒剤が打ちたくなる時もありました。それに1回壊れた頭は好不調の波があって、以前のように機能はしない。いまも頭痛があり安定剤が手放せません」。合格発表の日は大学院の仲間たちと夜通しで飲んだという。「みんなと別れて明け方の空を見たら涙が出てきました」

司法修習を終えると、大阪と東京で、それぞれ主に刑事事件を扱う弁護士事務所に勤めた。自分の特異な経験を生かすことを考えての選択だった。「恩人」と慕った弁護士の大平光代さんをはじめ、周囲の人からは「誤解や偏見もあるから、過去のことはしばらく明らかにしないほうがいい」とアドバイスを受けていたという。

子どもも「排除」されるヤクザの苦境

弁護士になって8年が過ぎた2022年、裏社会に詳しい丸山ゴンザレスさんのユーチューブ番組に出演し、ヤクザだった過去を明らかにした。自ら出演させてほしいと交渉したのだという。なぜか。

「罪を犯した依頼者たちの中には、どうせ本当のことを話しても弁護士にも裁判官にも理解してもらえないと心を閉じている人がいる。弁護活動の際に、自分の過去を明かしたら、きちんと話をしてくれるんじゃないかと思うことがよくあったんです」

大平さんを知って、自分が社会復帰できたように、今度は自分の存在を明かすことで誰かの更生の励みになることが責務であるようにも感じていた。

依頼者の中には暴力団の関係者もいる。現役の構成員には組織を離脱し、更生の道を進むように説得してきた。実際には構成員のほとんどがヤクザをやめたがっているという。ヤクザをしていても生きづらいし、何のメリットもないからだ。

ただし、実際には元構成員が社会復帰することは困難を伴う。各自治体で制定している「暴力団排除条例(暴排条例)によって、構成員をやめても最低5年間は「反社勢力」と見なされて、銀行口座すらつくれない。銀行口座がなければ、家を借りたり就職したりするのも難しい。一度は更生しようとしたものの、生活が成り立たず、組織に戻る元構成員も少なくない。「どういう理由なのか、組織を抜けて5年間たっても口座がつくれない人もいる。僕の場合、なんとか口座はつくれましたが、住宅を買ったときのローンの審査が突然、ストップしたことがありました」

親が構成員だという理由で、その子どもが地域の活動に参加できないケースもある。「子どもは親を選べません。親の属性を理由に子どもが不利益を被ることはとても悲しいですね」

「元ヤクザが何を言っているんだ!」。SNS上では時に、諸橋さんに向けてそんな誹謗(ひぼう)中傷の声も発信されるが、あまり気にしていない。それよりも「行き過ぎた排除」の動きが新たな悲劇を生まないように心配している。

「本来、社会が目指しているところは排除ではなく更生にあるはず。『更生したい』と思う人たちまで排除していないでしょうか」

最近は著書を読んだ読者から依頼を受けることも増えてきたという。「中には名だたる大手事務所に代理人を依頼していた人が、『あなたのような信頼できる先生にお願いしたい』と相談に来るケースもありました」。照れくさそうに笑った。

取材・文:森一雄、POWER NEWS編集部
写真:伊ケ崎忍

【ヤクザから足を洗い法曹界に転じた諸橋さんと司法書士・甲村柳市さんの対談】

入れ墨は “見世物”ではなく精神的支え。今でも完成させたいと思っている : 元ヤクザ法律家対談 司法書士・甲村柳市×弁護士・諸橋仁智(前編)
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c13002/

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