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私はどこからきたの?―発信始めた養子たちと「出自を知る権利」 YouTubeで伝える当事者の思い

家族・家庭 社会

生みの親と暮らせない子どもを血縁関係のない夫婦が引き取り、法的な親子となって育てる特別養子縁組。1987年の制度導入から38年目を迎え、成人した養子たちが養子縁組や出自への思いをソーシャルメディアで発信し始めた。語り始めた日本の養子たちに、養子縁組が特別なことではない海外の養子たちもエールを送る。

養子のメリットは「親ガチャを2回ひけること」

「養子であることのメリットってなんでしょうね?」

「個人的には親ガチャを2回ひけることかな(笑)。第三者から養育のお墨付きもらっている人たちに託されるわけですから」

「物事を俯瞰して見られること。親といっても血がつながってないし、違うの当たり前だよね。血縁に逃げずに、けんかしたら普通に話し合ったほうがいいじゃん、って」

静岡県浜松市に住む特別養子の志村歩さん(26)が司会をし、同じく養子のryukiさん(24)、Yusukeさん(24)らが本音トークを繰り広げるYouTube番組「Origin44チャンネル」。2024年2月に開設し、登録者数は700人に達した。育て親や支援団体の職員らをゲストに招き、多様な立場から養子縁組を語り合う。友人同士の雑談のようで、驚くほど率直だ。

YouTube番組「Origin44チャンネル」のスクリーンショット
YouTube番組「Origin44チャンネル」のスクリーンショット

「みんなは生まれた経緯について、親から聞いていましたか?」

志村さんが問いを投げ、ryukiさんが答える。「生後4カ月で今の家に来た時から、生みの親が別にいることは聞いていました。母親が自作の絵本を作って何度も読み聞かせてくれた。それが当たり前だったんで、養子であることに感謝も嫌悪もないですね」

17歳で初めて出自を知り、心臓がバクバクし、涙が…

多くの養子にとって「出自」は大きなテーマだ。法的にも親子になる特別養子縁組では、育て親と血のつながりがないことを知らずに大人になった養子も少なくない。Yusukeさんもそんな1人だ。17歳の時に自分の戸籍謄本を見るまで、自分が養子だと知らなかった。

生後すぐに自治体の仲介で養親家庭に迎えられたYusukeさんには幼い頃の写真も記憶もある。生まれた病院を両親と訪ねたこともある。父親とは顔や背格好も似ていて、血のつながりを疑ったことは一度もなかった。

高校生の時、吹奏楽部の海外遠征に参加するためパスポートが必要になった。母が代理申請する予定だったが、何かの事情で学校帰りに自分で役所に出すことになった。「このまま窓口に出せばいいから」と母から前日に渡された封筒をYusukeさんはその夜、何気なく開けてしまう。中には戸籍謄本が入っていた。自分の欄にだけ、見慣れない一文があった。

「民法817条の2による裁判確定日」

「なんだろう?」

スマホで検索してみると「特別養子縁組の成立を意味する」とある。「何かの間違いだろう」。その日は不安を抱えながら寝た。翌朝、通学電車の中で再度検索した。何度調べても同じ結果だった。「本当なのかも…」。心臓がバクバクした。学校に着き、廊下で会った担任教師に戸籍謄本を見せて状況を伝えようとした。「あの、もしかして親、僕の親じゃないかも…」。あとは涙で言葉にならなかった。

放課後、Yusukeさんは予定通り役所に申請に行き、職員から戸籍に関する詳しい説明も受けた。ネット情報は間違いではなかった。自分は養子で、親とは血がつながっていない。その“事実”をYusukeさんは両親に言わなかった。

「親との関係を壊すのが怖かった。毎日が充実していたし、たとえ母が僕を産んでいなくても何も変わらないと思ったから」

母につい口走った「血がつながってないからな」

だが1年ほどたって、母が運転する車の中で些細なことから口論になり、Yusukeさんは「言っても分かんねえよな、血がつながってないからな」と口走ってしまう。

言った瞬間、「やっちゃった…」と思ったが後の祭りだった。気まずい沈黙。「止めて」と言って車を降りて歩き出した。電話がワンワン鳴り、メッセージがバンバン送られてきた。「どこにいるの?」「言わないと警察に届けるよ」

Yusukeさんが「あなたたちには僕の感情はわからないでしょ」と送ると、「あなたの行動は私たちのすべての過去を否定する行動だよ」と返ってきた。押し問答の末、「夕飯までには帰ってきなさい」という言葉でYusukeさんは折れた。

一家の夕飯は午後7時と決まっていて、何もなければ家族そろって食べるのが日課だった。しばらく街をぶらつき、7時前に家に戻ると、テーブルには好物のチューリップ(鶏手羽肉)唐揚げが並び、普段と変わらぬ夕飯が待っていた。「あなたを理解しているよって、言葉の代わりに行動で伝えようとしているんだ」とYusukeさんは瞬時に悟った。

その後も親との関係は変わらず、養子のことが話題に上ることもなかった。Yusukeさんは台湾の芸術大学に進学。二十歳を迎える頃、出自への関心がムクムクと沸いてきた。

Twitter(当時)で養子当事者の投稿を見つけて本人にコンタクトをとり、オンラインサロンに参加した。養子同士のつながりができ、戸籍や裁判記録から出自をたどる方法も知った。生み親の名前やきょうだいがいることもわかり、より詳しいことが知りたければ両親も一緒に関係機関に照会に行くと言ってくれた。

「これ以上知る必要は今のところ感じません。正直、知るのが怖い思いもある。この先、猛烈に知りたいと思う時がくるかもしれない。その時期は自分でも分からない」とYusukeさんは言う。

yusukeさん(左)と志村さん。「僕らの現状を伝えることで、次の世代のためによりよい制度になれば」と話す
Yusukeさん(左)と志村さん。「僕らの現状を伝えることで、次の世代のためによりよい制度になれば」と話す

「産める人が産む、育てられる人が育てるでいい」

一方で幼い頃から養子だと伝えられて育った仲間と出会い、彼らの考え方を知ったことは転機となった。

「子どもに養子だと言うか、言うならいつ、どう言うか。考え方は人それぞれだと思う。ただ、言わないことを選んだことで僕の両親はとても苦しかったと思うし、養子だということ以外、何も分からなかった頃の僕はとても不安だった。昔の自分のように悩んでいる養子が1人でもいるなら、その人のために僕の体験を伝えたい」(Yusukeさん)。

Yusukeさんと対照的に、生後8カ月で養親家庭に迎えられた志村さんは幼い頃から養子だと聞かされてきた。15歳の時、両親や縁組を仲介した団体に勧められて生みの母に手紙を書いた。母からの返事には「結婚して親子3人幸せに暮らしています」と家族写真が同封されていた。

「その時はとても嫌な気持ちになった。僕はいらなくて、後から生まれた弟は育てるのかと」。でも、ネガティブな感情を抱いたのはその時だけだ。今は「養子であることは僕の責任ではない」し、「生みの母を責めても仕方ない」と思っている。「目の前の命を救うことが先ですから。産める人が産む、育てられる人が育てる、でいいんじゃないか」

SNSでの発信を始め、公的な場で自分の話をするようになると、全国の養子や養親の葛藤を聞くようになった。

「育った地域や家庭の方針、縁組の経緯などが理由で誰にも相談できない人がいる」と知った志村さんは、2024年8月に養子の仲間と「特別養子当事者団体ツバメ」を立ち上げた。「養子の多くは自ら選んでなるものではないのに、当事者がそれを“痛み”として生きていくのはもったいない。養子が周りの意見に縛られることなく、自分らしく生きていける社会を目指したい」と志村さんは話す。

自分の存在について知ることは子ども本来の権利

ケースワーカーとして50年以上、養子縁組に関わる公益社団法人「大阪家庭養護促進協会」の岩﨑美枝子理事のもとには、成人養子から出自についての相談が年に数件はあるという。自ら親になり、子の戸籍と見比べて自身が棄児(きじ)だと知った人、幼い頃から自分は養子ではないかと感じながら、親に遠慮して聞けずにきた人もいる。岩﨑さんは「子どもは案外気付いている。それを親に聞くことができない状況が問題」と指摘する。

「出自を知る権利を保障した制度本来の趣旨を生かしてほしい」と話す岩﨑さん(筆者撮影)
「出自を知る権利を保障した制度本来の趣旨を生かしてほしい」と話す岩﨑さん(筆者撮影)

実は特別養子縁組では戸籍によって出自をたどる道が残されている。養子となる子は縁組が成立すると、生み親の本籍地に養親の姓で、自身が筆頭者となる「単独戸籍」がつくられ、そこから養親の戸籍に入る。子どもは自分の戸籍の除籍票や附票をとれば出生児の生み親の情報を得ることができる。一方で生み親と子の法的関係はなくなるので、生み親から子、生み親と養親の間で戸籍謄本を請求することはできない。「子の側にだけ親を探す道を残し、出自を知る権利を保障した」(岩﨑さん)制度になっている。

ただ、生み親が転籍したり結婚などで他の戸籍に入っていたりすると今の住所や姓は分からない。2008年の戸籍法改正で個人情報の保護が強化され、生物学上の親であっても「他人」の戸籍情報を得るのは難しくなった。「役所で事情も聴いてもらえず門前払いされた養子もいる」といい、生み親の転籍の有無、行政の担当者の制度理解の度合いなどで、同じ特別養子でも得られる情報に差ができてしまうという。

「養子が皆、生み親を探すわけではない。でも中には自分の存在証明のためにどうしても知りたい子もいる。その数は決して少なくありません。法律上は他人になっても、生みの親であることに変わりはないはずです」と言う岩﨑さんは、こう訴える。「自分の存在について知ることは子ども本来の権利です。戸籍制度の運用を見直して彼らの知る権利を保障することはできないでしょうか」

日本の養子の人たちとぜひつながりたい…海外からのエール

海外では自身のルーツと向き合い、体験を公表している養子当事者も少なくない。ロシアで孤児となり2歳でニュージーランド人夫婦の養子となったアレックス・ギルバートさん(33)は「I’m Adopted」という非営利のオンラインコミュニティを運営し、国内外の養子たちの交流の場を作り、時にはルーツ探しを助け、印象的なエピソードをYouTubeやPodcastで紹介してきた。

同じ孤児院で育った養子の兄はルーツ探しに関心がないという。「同じ養子でも考え方は人それぞれ」とアレックスさん(筆者撮影)
同じ孤児院で育った養子の兄はルーツ探しに関心がないという。「同じ養子でも考え方は人それぞれ」とアレックスさん(筆者撮影)

アレックスさん自身、18歳からネットやSNSを駆使してルーツ探しを続け、思いに賛同する人たちの助けを得て21歳の時にロシアで生みの親と対面している。生みの父はコンタクトをとるまで自分に息子がいると知らなかったという。アレックスさんは、「ルーツ探しは人に強要されるものではなく、あくまでも養子本人の選択です。期待していたことと違うかもしれないし、何も分からないかもしれない。誰しも適切な時期があり、心の準備や覚悟がいります」と前置きし、こう話す。

「自分がどこから来たかを知ることは大事なことです。僕は発信することで、養子の思いや立場を理解し応援してくれる人たちとつながることができた。日本の養子の方たちとも、ぜひ知り合いたいと思っています」

編集協力:株式会社POWER NEWS

バナー写真:左からYusukeさん、志村さん、ryukiさん。番組では戸籍など難しいテーマもやさしくかみ砕いて伝えている(写真提供 : Origin44チャンネル)

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