両親と決別し、19歳で家を出た宗教2世 : 十数年たったいまも解けない呪縛 「私は地獄に堕ちる…」
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Aさんが信仰していたころは、毎朝5時に起きて、教祖の写真がある祭壇に敬拝をし、家庭盟誓(神への誓いの言葉)を唱え、聖歌を歌い、祈り、教本を読んだ。毎週日曜日には教会に通った。両親は、世間からの統一教会への批判を「サタン(悪魔)の仕業」と断言し、「教会はいつも自民党を応援している」とよく口にしていたことを覚えている。
「今では詐欺師としか思えませんが、人類の真の『お父様』『お母様』のために世間の常識とはかけ離れた生活を送っていたので、小さいころから周囲になじめず、いじめにあったこともあります。教団に対する世間の認識とのギャップに、いつも葛藤し息苦しかった。宗教2世であることを隠しての集団生活は苦痛そのもので、学生時代の楽しかった思い出は一つもありません。今でも心を開くのに時間がかかり、人付き合いは苦手です」
Aさんは、教団内では特別な存在とされる「祝福2世」として誕生した。祝福2世とは、当時総裁だった文鮮明(ムン・ソンミョン)氏がマッチングした「合同結婚式」で結ばれた両親から生まれた子どものことで、「罪がない尊い存在」とされている。Aさんの父親は大学で原理研究会(原理研)に入り、熱心な信者となった。英語が得意な母親は短大卒業後、有名企業で働いていたが、勧誘されて教団に入った。
教団にとっては尊いはずのAさんだが、小学生のころから「違和感」があったという。
「幼稚園は教団信者の子どもたちだけが通うところでしたが、小学校は地元の公立校でした。先生から親の職業を聞かれると口を濁していました。子どもながらに『宗教』とか『統一教会』という言葉を口にしたくなかった。高校を卒業するまで、誰にも『統一教会の信者だ』ということは言ったことはありません」
Aさんは違和感を覚えながらも、小学生のころまでは信仰生活を送った。両親に連れられて毎年、教団の聖地である韓国の修練場まで行って、「お父様」である文鮮明氏、「お母様」の韓鶴子(ハン・ハクチャ)氏といった教団トップの面々とも顔を合わせていた。
「中学生になってからは『私を縛らないで』と反発し、教会に通わなくなりました。両親はいつか私の信仰心が戻ると思い、下手に刺激しないようにしていた感じでした。それでも『日本は韓国人にひどいことをしたのだから償わなくてはならない』『男女交際はダメだ』ということはよく言われました」
信者の禁止事項は、酒、タバコ、男女交際の3つが代表的だったという。男性との接触を避けるためか、高校は女子校に通わされた。
両親の最大の願いである「祝福」に絶望感
両親は家族のことよりも、とにかく教団での活動が最優先だった。
「私がすごく幼いころから、母は海外での宣教活動で家を半年間も空けることもありました。小学生の時は海外の宣教先まで連れて行かれたこともありました。父は教会の地区の指導者をしていて朝から晩まで教団の活動をしていました。そんなでしたから、親子の関係を構築することができませんでした」
母方の実家が比較的裕福な暮らしをしていたので、常に援助してもらっていた。しかし、暮らしぶりは質素だった。お金は教団に献金していたからだという。
「小さいころはいつも誰かのお下がりを着ていて、新しい洋服を買ってもらったことはありません。お年玉をもらえば、10分の1を献金し、残りは一生懸命貯めていました。だけど生活が苦しかったのか、献金したのかわかりませんが、親に勝手に全部使われていたことを知った時は悲しくなりました」
思春期になると、「自分も祝福(信者同士での結婚)を受けて3世を生まなければならないのか」と思い悩むようになり、自分の人生が生まれながらにして支配されていることに絶望を感じていた。「祝福」が両親の最大の願いであることも知っていたからだ。
中学からは教会にも通っていなかったが、大学受験に失敗したショックもあったせいか、高校卒業後に韓国の修練場での40修練会(40日間修行するプログラム)に参加した。
「私以外の参加者はとても熱心な信者でした。私は文氏たちの話があまりにも下品で興ざめしていました。それでも、私は祝福を受けたくないと思っていたのに、周りの雰囲気に圧倒され、『祝福を受けたい』とすら思っていました」
韓国での修練後、日本国内の修練会にも参加した。しかし、やはり何かが違うと感じた。人生を自分で決めることができない不自由さを受け入れることはできない。
「自分の人生を歩みたい」
19歳の時にスーツケース一つで家を飛び出した
そして、Aさんは19歳の時に家を飛び出した。叔母にこっそり「ここから逃げたい」と打ち明けていて、叔母夫婦と事前に打ち合わせてからの脱出劇だった。
「両親が教会に行っている隙を見て、スーツケース一つを持って家を出て、他県で暮らす叔母の家を頼りました。でもそこに両親がやってきて、私を守ろうとする叔父に向かって『切腹しろ』と言い放ち、『Aは悪魔だから教育し直さないといけない』と連れ戻そうとしました。身の危険を感じ、しばらくは逃亡生活を続けました。それでも両親は追ってきて、警察車両に乗せてもらって逃れたこともありました」
執拗(しつよう)に追いかけられたことから、叔母が統一教会の問題に詳しい弁護士を見つけてくれた。叔母夫婦や弁護士が矢面に立ってくれ、戸籍上で親子の縁を切る手続きをしたことで、両親からの強引な連れ戻し工作は次第になくなった。
「私はいろいろな方々に支えてもらい、本当にラッキーでした。感謝しても感謝しきれません。同じように逃げたいと思っている2世信者がいても、簡単なことではありません。誰かに相談することさえ、思いつかないかもしれない。それほど、親や教団の呪縛は強いのです」
両親はAさんを助けてくれた弁護士を「悪魔だ」と批判したが、結局、母親はその弁護士経由で、その後10通くらいの手紙を送ってきた。しかし、最後まで「信仰はしなくていいから、戻ってきてほしい」という言葉はなかった。
安倍元首相の事件で初めて知った統一教会の実態
Aさんは安倍元首相の事件や、母親の教団への高額献金で家族が破綻させられたことが動機だという山上被告についてはどう思っているのか。
「安倍さんに対しては教団が原因で引き起こされてしまった事件なので、率直に『申し訳ない』という気持ちになりました。ただ、山上さんがそこまで追い込まれてしまった気持ちもよくわかるので、彼を責める気持ちにはなれませんでした」
一方で、事件後、報道される旧統一教会のニュースを見て、「こんなにひどい教団だったのか」とショックを受けたという。
「私は自分の家庭環境がすごく嫌いでしたが、教団自体がそんなに悪いところだとは思っていなかった。でも実際には献金の強要など、ものすごくひどいことをしていたことを知りました。そういえば、子どものころ、父親が自宅の電話で『信者の〇〇さんの関係者が死んで相続財産が入るから、いくらくらい献金が取れる』などと話していたり、信者の勧誘に失敗した人に対して電話口で激しく叱責していたりしたことを思い出しました」
簡単には消えない教団の教えや恐怖
Aさんは家を出たときに過去も捨てた。高校までの友人とは連絡を絶ち、両親とは二度と会わないという「覚悟」もした。今は新たな人間関係を築いている。Aさんのすべてを理解し受け入れてくれた男性とも出会い、結婚し、子どもにも恵まれ、仕事もしながら、着実に自分の人生を歩んでいる。それでも染み付いた教団の教え、そして恐怖はなかなか消えない。
「最初はお酒を飲むことすらも罪悪感があったし、家を出てから4、5年は教祖の写真を捨てることもできなかった。熱心な信者ではなくとも、染み込んだ感覚が残っていたんです」
教団と両親と決別して十数年。Aさんは「呪縛」について複雑な思いも吐露する。
「両親から『男女の間違いを犯すと地獄に堕(お)ちる』とさんざん言われて育ちました。理解してもらえないと思いますが、私も今でも死んだら『地獄に堕ちる』と思っています。家を出た時も地獄に堕ちてもいいという思いでした。今もその呪縛は解けないのです」
また、「いつか連れ戻されるかもしれない」という恐怖も消えることはない。ましてや、自分の子どもに連れ去りなどの危害が及ばないか、いつも気が気ではない。
現在も、居場所が両親に知られないように、住民票の閲覧制限をかけている。毎年、手続きしなければならないが、Aさんは「その日は気持ちが引き締まる」という。
「本当は悪いことなんかしていないのに、どうして私が逃げ続けなければならないのかと、悲しくなる時もあります。この先も両親から受けたゆがんだ愛情が癒えることはありません」
今、Aさんは教団を厳しく批判する。
「私は両親と縁を切らざるを得ませんでした。『家庭円満』を謳いながら、現実は実の親子の縁を切らせてしまう教団とは何なのでしょうか。それだけではなく、これまでどれだけの子どもたちを傷つけてきたのか。子どもの人権を侵害している立派な犯罪組織であり、信者たちはその現実に早く気付くべきです」
取材・文 : 小川匡則、POWER NEWS編集部
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