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競技かるたに懸ける青春—「畳の上の格闘技」を描き、現実社会にも多大な影響を与えた『ちはやふる』の世界

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昨年12月13日に発売された第50巻で完結した『ちはやふる』は、競技かるたに打ち込む高校生たちの姿を描いた少女マンガの傑作。アニメ化、映画化もされ、海外でも出版・放送されてかるたに興味を持つ人が増えている。連載開始から15年にわたって描かれた競技かるたの奥深さと、多くの読者が共感した青春の物語を読み解く。

『ちはやふる』に描かれる、かるたの起源とルール

東アジアの遊びと近代スポーツの概念、古代からの伝統を持つ日本文学と西欧のカードゲームが、遠い距離とかけ離れた時間を超越して出会い、生まれてきた「畳の上の格闘技」。それが競技かるただ。

2007年、少女マンガ誌「BE・LOVE」(講談社)に第1話が掲載され、その後、15年にわたって連載。22年に完結した末次由紀氏の『ちはやふる』は、その競技かるたに打ち込む若者たちを描いた、現代少女マンガの傑作だ。必ずしもメジャーとはいえなかった競技を取り上げ、その奥の深さを描き、アニメ化、実写映画化も行われる大ヒット作となった。

2023年2月19日には、作品名が冠となる大会「小倉百人一首競技かるた 第4回 ちはやふる小倉山杯」が開催される。『ちはやふる』は現実のかるた界にも大きな影響を及ぼした ©末次由紀/講談社
2023年2月19日には、作品名が冠となる大会「小倉百人一首競技かるた 第4回 ちはやふる小倉山杯」が京都・嵐山で開催される。『ちはやふる』は現実のかるた界にも大きな影響を及ぼした ©末次由紀/講談社

「かるた」の語源はポルトガル語の「Carta」。英語でいえば「Card」だが、これは大航海時代の16世紀、ポルトガルの船員によって日本に伝えられた。

彼らが遊んでいた「Carta」は、地中海沿岸で使われていたラテンスート(トランプの前身)。棍棒、剣、聖杯、貨幣の4文標からなるが、当時の日本人は聖杯の図版の意味がわからず、「巾着袋」だと誤解して描いていたという(『かるた』江橋崇/法政大学出版局)。

しかし17世紀に入ると日本は、徳川将軍が鎖国を行って海外との交流を制限するようになる。そうした時期「Carta」も日本独自の札に変化し、「短歌」と呼ばれる詩が記載され、さらに詠み人の肖像画が入れられたセットが人気を博すようになった。そうして「Carta」から、「かるた」が誕生したと考えられている。

短歌とは5 7 5 7 7というたった31の音から成る、ごく短い歌(詩)の形式。その伝統は古く、古代からずっと詠まれてきた。その中でも「かるた」に記載されるのは、「百人一首」と呼ばれる100のセレクションで、第1番目は天智天皇作とされる歌。収穫の季節に、更(ふ)けていく夜の情趣が歌われている。

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇はまだ各地の豪族が力を持っていた7世紀に、日本の中央集権化を進めた天皇だ。最後の100番目は順徳院。こちらは13世紀、父親と共に政治の主導権をめぐってサムライと争い、敗れて配流されてしまった天皇である。

大化の改新を行うなど日本史上の重要人物で、かつ優れた歌人でもあった天智天皇が祀られている近江神宮。そのゆかりにより「かるたの殿堂」とも称され、競技かるたの大会が盛んに開催されている(滋賀県大津市神宮町) 時事
大化の改新を行うなど日本史上の重要人物で、かつ優れた歌人でもあった天智天皇が祀られている近江神宮。そのゆかりにより「かるたの殿堂」とも称され、競技かるたの大会が盛んに開催されている(滋賀県大津市神宮町) 時事

100選に選ばれた歌は天皇の作だけではなく、むしろ下級貴族や僧侶のものも多い。ちなみにもともと短歌は決して優雅なセレブだけの趣味ではなく、サムライや商人出身の歌人もいたし、「万葉集」という最古の歌集には庶民や辺境を守る兵士の歌も収録されている。

「かるた」ではこの歌の前半が読み上げられて、プレーヤーはその後半の札を取ることを競う。

もともとは短歌の学習のために考えられた遊びだというが、やがてゲームとして独立。それが19世紀に入って日本が外国との交流を再開するようになると、再びローカルの伝統とグローバルな近代スポーツの概念が交錯して、「かるた」は競技としてルールが統一されていくようになる。

当時の帝国大学(現在の東京大学の旧称)ではかるた会が催され人気があったというが、それはひとつには男女の出会いの場。昔は今と違って出会い系アプリもSNSもない。こうした時代に男女ともに参加する「かるた会」は貴重な交流の機会だったそうだ。

近江神宮では、百人一首の歌人のような姿で撮影できる「かるたなりきり体験」を実施している 時事
近江神宮では、百人一首の歌人のような姿で撮影できる「かるたなりきり体験」を実施している 時事

知的で激しい競技かるた

しかし、「お正月に家族や親戚と楽しむまったりとしたゲーム」というイメージがある「かるた」と違って、「競技かるた」は激しい世界だ。まずプレーヤーは2人。配られるのは100首すべてではなく半分の50枚で、プレーヤーはそれぞれ25枚ずつ札を目の前のフィールドに並べることになる。

このルールがゲームに奥行きを生む。読み上げられた札が目の前にあるとは限らない。間違えて手を出すとペナルティー。つまりプレーヤーには、速さと同時に、冷静に踏みとどまる判断という“矛盾した能力”が求められるのだ。

ゲームはまず並べられた札の配置を記憶するところからはじまる。記憶力が問われるが、しかしただ頭が良いだけでもダメで、札を取るためには肉体的な瞬発力も必要。その動作は激しく、プレーヤーは時に手がぶつかって、突き指や、悪くすると脱臼や骨折など負傷することさえあるという。

小倉百人一首競技かるたのクイーン位決定戦は、高校教諭の山添百合さん(右)が2023年1月7日に行われた第67期戦で三笘成さんを下し3連覇を達成した(大津市・近江神宮) 共同
小倉百人一首競技かるたのクイーン位決定戦は、高校教諭の山添百合さん(右)が2023年1月7日に行われた第67期戦で三笘成さんを下し3連覇を達成した(大津市・近江神宮) 共同

「競技かるた」の頂点に立つ者は男性が「名人」、女性が「クイーン」。『ちはやふる』にはこのクイーン位に、史上最年少の中学3年生で就いた若宮詩暢(しのぶ)というキャラクターが登場する。この設定にはモデルがあり、現実でも2005年に楠木早紀(さき)氏が、史上最年少の15歳でクイーンとなっていた。

若きクイーンはなんと10連覇を達成して引退するのだが、その楠木氏は著書『瞬間の記憶力』(PHP新書)で、かるたが強くなるためには「記憶力」「集中力」「駆け引き」「瞬発力」「メンタルの強さ」という5つのファクターが必要だと述べている。

多様な要素から成るだけに、苦手を得意な分野で補うことも可能。そのため「競技かるた」では年齢や性別に関係なく、鍛えれば年配者が若者に、子どもが大人に勝つこともできるのだそうだ。

もっとも天性の資質に恵まれた人もやはりいて、人よりも早く、読み上げられる歌を聴き取ってしまうプレーヤーがいる。そうした人のことを「感じがいい」と表現するそうだが、『ちはやふる』の主人公、綾瀬千早も、そうした「感じ」を持つひとり。

彼女は、集中している時には「まばたきの音がうるさい」と感じるほどの聴力を持つ。実際、優れたプレーヤーになると、たとえば同じ「さ」の音にしても、続く音による微妙な違いまで聴き取ってしまうという。楠木氏によると、深く集中した時には、音が発音される前に、空気の変化を感じ取ってしまうことさえあるそうだ。

かるたに打ち込む青春

容姿端麗だが、明るく裏表のない性格で、口を開けば「かるたのことしか考えていない」。そのため、男子からはあまり恋愛対象とは見られない。そうした綾瀬千早が「かるた」と出会ったのは小学校6年生の時。転校生、綿谷新(わたや・あらた)が彼女に教えた。この出会いが、彼女の人生に大きな「目標」を与えることになる。

映画版『ちはやふる』は2016〜18年にかけて3作が制作されており、女優・広瀬すずがヒロインの綾瀬千早を演じた(2018年3月6日、『ちはやふる-結び-』試写会イベント) 時事
映画版『ちはやふる』は2016〜18年にかけて3作が制作されており、女優・広瀬すずがヒロインの綾瀬千早を演じた(2018年3月6日、『ちはやふる-結び-』試写会イベント) 時事

高校生になった千早は「競技かるた部」をつくり、仲間たちと試合を重ねていく。優れた「感じの速さ」を持ち、身体的にも恵まれていて、メンタルの強さもある。しかしそれでも「かるた」の世界は奥が深い。同世代には史上最年少で頂点を極めた最強のクイーン、若宮詩暢がいた。

『ちはやふる』という作品が素敵なのは、「天才たち」だけの物語ではないところだ。作中には若宮詩暢や千早、名人の周防(すおう)久志のように、常人の域を超えた才能の持ち主が登場する。しかし自分の限界に苦しむ秀才や、あるいは努力するふつうの人たちも描かれる。彼らは決してモブ(その他大勢の名もなき人々)ではなく、魅力的な個性と、彼ら自身の物語を持った大切な仲間であり、千早の夢は自分個人がクイーンになることと、そしてもうひとつ、自分の高校をかるたの強豪校にすることだった。

マンガとは不思議な表現で、読むと自分も高校生になって、仲間たちと一緒に、あるいはライバルと戦って、心から泣いたり笑ったりしたい気分になる。もっとも現実の自分はすでに大人。新たな分野に挑戦するような可能性はない……と感じてしまうが、そういえば「かるた」はジェンダーや年齢の別なく戦うことができる競技。

自分もこれからまた新たな挑戦と出会いがあり、情熱をかけて戦うことができるかも! 「青春は何度でも来る」—『ちはやふる』は、そんな気分に連れていってくれる作品だ。

『ちはやふる』を通して日本文化に関心を抱き、競技かるたを始めたり、日本を旅したりする外国人も増えている。写真は、宮城県石巻市立東浜小学校を訪れ、東日本大震災で被災した児童たちの前で実演するニュージーランド人のリントン・ラスジンさん(2011年5月17日) 時事
『ちはやふる』を通して日本文化に関心を抱き、競技かるたを始めたり、日本を旅したりする外国人も増えている。写真は、宮城県石巻市立東浜小学校を訪れ、東日本大震災で被災した児童たちの前で実演するニュージーランド人のリントン・ラスジンさん(2011年5月17日) 時事

ちなみに、少女マンガといえば、伝統的に「恋愛」が大きなテーマとなってきた分野だ。もちろん『ちはやふる』でも恋は大事な要素で、千早は自分に「かるた」を教えてくれた新のことを追いかける。しかし彼女のそばには幼なじみの真島太一がいた。

この三角関係も作品の大きなモチーフなのだが、しかし作中「恋愛要素」はあまり“濃い目”ではなく、登場人物自身がそのことを危惧していたりした(短歌には恋の歌も多いのに)。

2014年のディズニー作品『アナと雪の女王』では「真実の愛」が異性ではなく、姉妹のほうにあった。現在ではプリンセスが登場する作品でも、もはや「恋愛要素」が出てこないことが当たり前になっているが『ちはやふる』はそうした、「女性主人公だからといって恋愛がメインテーマとは限らない」という流れでも、先進的な作品だったといえる。

作中、恋のことでくよくよ悩んでいるのはむしろ男子のほうで、千早はひとつの夢のために、ほかの夢を諦めたりはしない。たくましく、なにもかも追いかける。そのように見えたりするのも、趣きが深い。

バナー写真:2007年12月に「BE・LOVE」(講談社)で連載が始まった『ちはやふる』は、全247話をもって22年8月に完結。50巻に達する単行本の累計発行部数は2700万部を超えている 撮影:ニッポンドットコム編集部

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