「美しき柔道」を支え続けてきた柔道衣の老舗・九櫻(くざくら)のこだわりとオンリーワンの技術
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競技の進化とともにあった柔道衣
日本に生まれた柔道は、世界中に普及していく過程で大きく変化、進化を遂げてきた。海外選手がレスリングや柔術など、自国の格闘技を取り込んだことで技は多様化したが、それでも真摯(しんし)に一本を追求する日本の柔道は、世界中の競技者にとって大きな目標であり、憧れであり続けている。
国際化という大きなうねりの中でも、柔道は本来の美しさを失わなかった。そこにはこの競技の本質を守り続けた日本柔道界のたゆまぬ努力とともに、一世紀以上、柔道衣を作り続けてきた老舗メーカーのこだわりが垣間見える。
柔道が公式競技としてオリンピックに採用されたのは1964年東京大会。この時、日本選手団が着用したのが『九櫻』の柔道衣だった。
1918年、大阪府南部の柏原市に生まれた九櫻の創業期を、6代目社長の三浦正彦さんが説明する。
「この地域では、江戸時代から明治時代にかけて河内木綿(かわちもめん)と呼ばれる木綿の栽培が盛んで、創業者の祖父が木綿を使って独自の刺し子織りの柔道衣を作ったそうです。その流れから、弊社は剣道や柔道といった武道の道着を作るようになりました」
刺し子織りとは、保温性や強度を高めるため、重ねた生地を手で刺し縫いしていく日本独自の伝統技能。独特の風合いがあり、装飾としても発展してきた。柔道では激しくつかみ合うため、柔道衣は刺し子織りでなければならないという決まりがあるが、それは草分けでもある九櫻が刺し子を採用したことが大きい。
やがて九櫻は、織布から始まる一貫製造を開始。第二次世界大戦後には、GHQの武道禁止令によって剣道袴や柔道衣を作れなくなり、モンペを作ってしのいだ時期もあったが、禁止令が解けると再び業績を拡大していく。
九櫻はその後も独自の技術やアイデアを駆使して、柔道衣の改良に貢献した。1979年には世界に先駆けてさらし(白化)に成功し、裾生地も初めて機械化。さらに96年には、さまざまなカラーのサンプルを提出し、ブルー柔道衣の採用に協力する。
柔道衣の規定確立に生きた知見
節目節目で柔道衣のアップデートに関わってきた九櫻。2014年には柔道衣の規定が確立されるが、ここにも同社は深くかかわっている。
柔道の国際化が進むにつれて、オリンピックや世界選手権では一本勝ちを狙わず、判定に持ち込もうとする消極的な戦術が幅を利かすようになった。海外選手の中には、相手につかまれないようにするため、襟を硬くした柔道衣や袖を細くした柔道衣を着用する選手も出てきた。柔道衣には細かな規定がなく、ほとんどやったもの勝ちの状態。こうした柔道衣のほとんどが、人件費の安いパキスタンで製造されていた。
これでは果敢に一本を取り合う、本物の柔道が廃れてしまう。
危機感を募らせたIJF(国際柔道連盟)は2014年、柔道衣に規定を設けようと動き出す。ここで彼らが頼りにしたのが、長年優れた柔道衣を作ってきた九櫻だった。
「弊社はIJFに依頼されて14年の規定確立にかかわり、その後もオリンピックが行われるたびに、規定の見直しに携わってきました。14年には襟の幅や襟を二つ折りした時の厚さが決められ、また道着1平方メートル当たりの生地の重さや生地の引っ張り強度が定められました。新規定の生地の重さは1平方メートル当たり750g。綿100%でできていた当時の柔道衣は、規定よりかなり重かったので、IJFは綿70%、ポリエステル30%の生地にすることを決めます。これによって柔道衣は軽くなり、同時に強度を増すことになりました」
公平さとエキサイティングな試合を担保するため、このときIJFがモデルにしたのが九櫻の柔道衣。100年の歴史を誇る同社の知見が、柔道衣に生かされているのだ。
IJFが公認するメーカーは現在15社あり、だれもが知る世界的なスポーツメーカーも少なくない。規模だけを見れば九櫻はかなり小規模だが、柔道衣ひと筋といってもいい同社には、他社にはない大きなアドバンテージがある。
三浦社長が自信を持って語る。
「生地の織布から製品化まで一貫して行っているのはウチだけ。世界でもオンリーワンです」
公認メーカーの柔道衣は、すべてメイド・イン・パキスタン。九櫻も学校正課用などの廉価版はパキスタンで生産しているが、競技者向けのハイエンドな柔道衣は、すべて自社で生産している。ちなみにIFJが国際大会に向けて審判講習会を行う時、受講者たちは九櫻の柔道衣を着ることが慣習になっている。それもまた、同社のクオリティのよさを物語る事例といっていい。
日本の職人が生み出す高品質
「柔道衣は硬いイメージもあるかもしれませんが、ウチの柔道衣は“内柔外剛”といって、丈夫でありながら肌触りがとてもいい。それは生地の生産を社内で行っているからできることです。また裁断も自動裁断機に頼らず、職人がお客さんの声を聞きながら手作業で行っています。そうしたところも着心地のよさにつながっていると思います」
公認メーカーがパキスタンに製造を発注しているのは、柔道衣作りはとにかく手間がかかるからだ。それが理由で、柔道衣に興味を示しながら、手を出さなかった大手メーカーも存在するという。だが九櫻は、材料費の高騰や職人の高齢化といった課題に直面しながら、織布、染色、裁断、縫製というすべての工程に優れた技術、知識を持つ職人を配し、妥協のない柔道衣作りを続けているのだ。
「縫製業にはなかなか若い人が集まらないので、技術の継承が大きな課題になっていますが、若手の育成には力を入れています。またウチで稼働しているシャトル織機は、もう生産されていないので、壊れてもスペアの部品がない。壊れた時は担当者が自ら部品を作って対応しています」
一貫生産ならではの丈夫で着心地のいい九櫻の柔道衣は、オリンピックや世界選手権に出場する実力者にも高く評価されている。だが、強豪国の代表選手は自国の競技団体が契約するメーカーの柔道衣を着なければいけないため、資金力に勝る世界的なメーカーがシェアを占めることになる。規模の小さな九櫻にとっては不利な状況だが、その中でも同社は大いに健闘している。
三浦社長が言う。
「2014年のリオ・オリンピックでは、男女でそれぞれ7階級、計56人のメダリストが生まれましたが、弊社の柔道衣を着用したメダリストは11人も出ました。メーカーの中では2位タイの人数。ウチはちっぽけな会社ですが、世界的な企業に食らいついて必死に戦っているのです」
少子化によって国内市場の成長が見込めない中、九櫻は近年、海外でのシェア拡大に注力。東京オリンピック翌年の22年には、ブラジル代表と契約を果たした。
「柔道が盛んな国でウチのものを使ってもらいたいと考え、13年に世界選手権を開催したブラジルに飛び、積極的に営業を行いました。連盟の人たちにあいさつをして、リオやサンパウロの道場を一つひとつ回りました。さらに私たちは販売ルートを粘り強く開拓したことで、10年がかりで代表チームとの契約にこぎ着けることができました。日系人が多いブラジルはフランスと並ぶ柔道大国で、競技人口は世界一といわれています」
手間を惜しまず、ただひたすらにいいものを作り続ける九櫻。小さな老舗の柔道衣の素晴らしさは少しずつ、しかし確実に世界中の柔道家に知られてきた。講道館のある東京・水道橋にオープンした『九櫻ワールドショップ』は、外国人柔道家が足しげく訪れる穴場スポットとなっている。
バナー写真:100年以上の伝統と技術が注ぎ込まれた九櫻の柔道衣 写真:九櫻