「世界が驚く卓球台」―材木店由来の技術で既成概念を打ち破った三英のプライド
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材木店が作った反らない卓球台
オリンピックが初めて南米で開催された2016年リオ大会、そこでは意外なスポーツ用品が脚光を浴びた。卓球台だ。
芸術品のように美しい、X型の黄金の脚を持つ卓球台の名は『SAN-EI Infinity(インフィニティー)』。手掛けたのは日本のスポーツメーカー『三英』である。
三英はもともとスポーツメーカーだったわけではない。『松田材木店』として1940年、東京都台東区に創業。跳び箱や平均台、卓球台などを製造している会社に木材を卸していた。
卓球台の納入先から求められたのは「反らない天板」。
3代目の現社長、三浦慎(しん)さんが言う。
「天板は木でできているので、経年劣化や環境変化で反ったり、割れてしまったりすることが最大の課題です。創業者である祖父は試行錯誤を繰り返して、特殊な卓球台専用合板を開発。そこから卓球台などを製造するだけでなく、自社で販売も行うようになりました。材木屋がスポーツ用具を売るのは違和感があるということで、1962年に三英(創業時は三英商会)を立ち上げたのです」
三英の反らない天板は徐々に評価されていくが、それは木材を専門に扱ってきたことが大きい。ほとんどのメーカーは市場に流通する板を買っているが、三英だけは木材を買って板をつくり、何層も重ねる独自の工法で天板を組み上げている。「そういうメーカーは、世界でもウチだけです」と三浦さんは言う。
海外デビューでの苦い経験
オリンピックにおける卓球の歴史は意外と浅く、1988年ソウル大会から始まった。そして三英の卓球台は、早くも4年後の92年バルセロナ大会に採用される。
「91年、千葉県幕張で世界選手権が開催され、開催国のメーカーということで弊社の卓球台が採用されました。この大会では従来グリーンだった天板を世界で初めてブルーにして好評を博し、品質の評価も得て弊社の卓球台がバルセロナでも採用されることになったのです」
三英にとって記念すべき初のオリンピック。それは苦い経験となる。
「それまで海外に多くの卓球台を出したことがなかった弊社は、コンテナに何十台も積んで船便でバルセロナに出荷しました。しかしコンテナ内の湿気や熱のせいで天板が反り返り、一部の卓球台が使いものにならなくなってしまったのです。急きょ、現地で天板を矯正し、状態の良いものを試合用に選ぶことでなんとか乗り切りましたが、以来国外に送るときは冷蔵コンテナに入れて出荷するようになりました」
オリンピックや世界選手権、また日本選手権といったハイレベルな大会には、ITTF(国際卓球連盟)が認定した卓球台が用いられている。認定試験は厳格で、例えば天板の反りは3ミリ以下でなければならないという規定がある。
またバウンド試験には、次のような規定が設けられている。半面につき19カ所ずつ、300ミリの高さからボールを自然落下させ、一度目のバウンドがすべて230〜260ミリの範囲に収まらなければならない。さらに、このテストを半面19カ所で3度ずつ計57回行い、バウンドの平均値を左右の天板で誤差1ミリ以内に収めなければならない。
さらにはラリー中に、選手の身体やラケットが台に当たって生じる振動を、早く収束することも重視されている。
ITTFが厳格な規定を設けているのは、言うまでもなく台の個体差を小さくするため。だが、鋭敏な感覚を持つトッププレーヤーにしたら、一つとして同じ台はないということになる。
三浦さんが言う。
「トッププレーヤーたちは、あの台は滑る、止まる、速い、伸びるといった言葉で台の特徴を表現します。彼らは試合前の練習でどこが弾んで、どこが弾まないといった特徴を素早くつかみ、試合で利用することがあります。よく言われるのは、脚がついている部分は弾みやすいということ。そこを狙うのは常とう手段の一つです」
台ごとの個体差や台の中でのイレギュラーは卓球につきもの。そのため、オリンピックのような大舞台になると、選手から台の品質を敗因とされることも珍しくない。
そうした現実を踏まえて、三浦さんが三英の台づくりの哲学を語る。
「卓球台は敵味方の双方がプレーする場なので、私たちは均一でだれにとってもイレギュラーのない、“公平な”台をつくることを目標にしています。そのためには天板だけでなく、脚の構造も大事。脚と天板の接合部は弾みやすいので、できるだけ影響の少ない構造にするなどさまざまな工夫をしています」
勝負をかけたリオ五輪への開発
三英にとって2度目のオリンピック、それは2016年リオ大会だった。
リクエストに応じる形で参加したバルセロナ大会と違い、リオは公式採用を意識的に獲りに行った。その狙いを三浦さんが語る。
「2007年ごろに国内シェアが60%を超えましたが、そこからシェアを伸ばすのは大変です。そこでより大きなヨーロッパの市場を目指すため、世界最高峰の大会に出ようということになりました。インフィニティーは、弊社がブランディングを重視して取り組んだ、初めての台になります」
新たな卓球台のコンセプトは「世界が驚く卓球台」。その製作には、予想を上回る困難が待ち受けていた。
三浦さんが、その過程を振り返る。
「開催国を理解するために、何度もブラジルに通いました。ブラジルの卓球は、日系移民の方々を抜きにしては語れません。夢の国だと喧伝(けんでん)されて日本から南米に渡った方々は、現地で大変な苦労をされた。困難な日常の中で、唯一の楽しみとなったのが卓球だったという話も聞きました。そうして百年を超える歴史を紡いできた日系の方々が、自身のルーツを誇りに思えるような卓球台をつくりたいと考えました」
三英は、通常金属でできている脚を木でつくることにした。ブラジルが誇る世界最大の熱帯雨林アマゾンのイメージ、また材木店として誕生した社のルーツを表現するためだ。設計を手掛けるプロダクトデザイナーの澄川伸一氏は、その木製の脚をX型に組むことを考案。製作過程で東日本大震災が起き、「共に支える」というメッセージを卓球台に込めようとした。脚につかう木材には被災地、岩手県宮古市のブナ材を採用することになった。
そして試作1号機ができる。だがそれは、及第点にはるかに届かない出来だった。
「木製で、しかもX型なので、天板をたたくとずっと振動しているんです。完全な強度不足。それを補うためにカーボンを貼りつけるなど、考えうるありとあらゆる策を施しましたが、どれも解決には程遠いものでした」
従来のように機能性だけを追求することはそう難しくないが、世界進出のアイコンとなるような卓球台をつくるには、メッセージ性やスタイルは無視できない。しかし、そこにこだわると自然と機能性は損なわれていくのだ。
相反する二つの要素を両立させるための、気の遠くなるような試行錯誤。設計開発本部長の吉澤今朝男(けさお)さんは、開発過程の心境を次のように語る。
「できるだけスマートな卓球台をつくりたかったのですが、振動を収束させるといった規格を満たそうとすると、スマートさがなくなっていく。そのせめぎ合いが続きました。試作機を何度つくっても、三浦からオッケーが出ない。正直、途中で嫌になったこともあります」
インフィニティーの開発、その多くは木製の脚の調整に費やされた。
吉澤さんが続ける。
「今日は1センチ、翌日は5ミリ削る。とにかくギリギリの線を攻め続けましたが、理想のイメージには到達せず、最後の最後に脚の角を斜めに切り落とし、またその部分のカラーリングを変えることでスマートな印象を出すことになりました。ちなみに脚の加工は、世界有数の加工技術を持つ天童木工さんの手によるもの。こうして振動の収束とデザイン性が両立する卓球台が完成しました。インフィニティーの開発には3年半がかかりましたが、これほど時間がかかった商品はありません」
五輪へのチャレンジで得た成果
光り輝く木製の脚と、フランス語で青い瞳を意味する「レジュブルー」の天板を持つスタイリッシュな卓球台。三英の技術、英知を結集したインフィニティーは、リオの大舞台で大きな反響を呼んだ。会社には取材や問い合わせが殺到し、「リオの、あの卓球台をつくった会社」として知名度は一気に高まった。
またリオでは、「台のせいで負けた」というクレームは一切出なかった。卓球台のブランディングという困難な戦いで、三英は勝利を収めたことになる。
インフィニティーで卓球台の概念を打ち破った三英は、2021年に開催された東京大会に「SAN-EI MOTIF(モティーフ)」を提供。インフィニティーの開発で培った知見を生かし、ここでも独創的なフォルムで観戦者を魅了する。木製のT型の脚は輪島塗で仕上げられ、それは後継者不足に直面する伝統工芸を活気づけるメッセージにもなった。
三浦さんは「輪島塗はお椀や箸のイメージですが、オリンピックという大きな舞台に出ることで、多くの人に注目されるきっかけになったのではないかと思います」と手応えを語る。
機能性という従来の価値観だけに満足しない三英の柔らかい発想と貪欲な姿勢、それが卓球台の新たな可能性を引き出したのだ。
バナー写真:三英の卓球台「インフィニティー」で、リオ五輪の卓球男子団体決勝を戦う日本(左)と中国。日本は敗れたものの、銀メダルを獲得した(2016年8月18日、ブラジル・リオデジャネイロ) 共同