「大車輪ができるようになる」―日本の“美しい体操”を支え続けるセノーの鉄棒に秘められた独自技術
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体操器具製造のきっかけは日露戦争
スポーツメーカーというと、シューズやボール、ラケットやグローブといった用具が思い浮かぶが、中には体育館を丸ごとプロデュースするようなメーカーもある。
その代表が千葉県松戸市に本社を置く総合スポーツ器具メーカーの『セノー株式会社』。マットや跳び箱といった学校体育で知られる会社だが、バスケットボールのゴールやバレーボールの支柱などを扱う中で “守備範囲”が広がり、体育館やアリーナの建設に設計段階から携わるようにもなった。
1908年創立。当初は農機具を扱う個人商店だったセノーが、スポーツメーカーへの第一歩を踏み出すきっかけは意外なところにあった。
広報担当の日吉野乃子さんが言う。
「日露戦争に従軍した創業者・勢能力蔵(せのう・りきぞう)がロシア人との体格差を痛感し、日本人はもっと身体を鍛えなければいけないという危機感から運動器具を作り始めました。創業者は(日本の学校体育の基礎を作り上げて)“体育の父”と呼ばれた三橋喜久雄さんと同じ鳥取の出身で、三橋さんに『私は指導者を育てるから、あなたは器具を作ってください』と言われたことも大きかったと聞いています」
「スポーツ」という言葉も概念もなかった当時の日本にあって、セノーは体育館に欠かせない「肋木(ろくぼく)」(※懸垂や昇降などの運動に用いるはしご状の体操器具)などを製造。それは主に軍事教練に使われた。創業期からの主力商品には、肋木に加えて鉄棒や鞍馬(あんば)といった体操器具もあった。
セノーはこれまでに、体操、バレーボール、バスケットボール、バドミントン、パラバレーと5つの競技で国際認定を取得。日本の総合スポーツ器具メーカーでは唯一、複数の国際認定を取得した企業として、多くの国際大会、国内大会を支えてきた。
2021年の東京五輪でも体操、バレーボール、ビーチバレー、またパラリンピックでもシッティングバレー、車いすバスケットでソール(単独)サプライヤーとなった。中でも最も実績があるのが1964年の東京五輪でも器具が採用された体操だ。
体操は日本のお家芸であり、実際に柔道や水泳を上回る競技別最多のメダルを獲得しているが、セノーが日本ならではの技術とこだわりによって“体操王国”を支えてきたことはあまり知られていない。
海外メーカーにはない独自機構
例えば鉄棒は、体操の種目別で最多の金メダルを獲得している“お家芸中のお家芸”。そして、代表クラスの選手たちが日常的に練習しているセノーの鉄棒には、海外メーカーにはない独自の仕組みが施されている。1988年に開発され、95年の世界選手権で採用された「双発機構」だ。
同社の開発本部で、体操器具の設計、開発を行う濁川靖さんが解説する。
「海外メーカーの鉄棒は、おおまかに言えば支柱にピンを突き刺す形でバーを固定していますが、弊社の鉄棒は支柱とバーのつなぎ目にキャップを取りつけ、その中に360度自在にたわむ仕組みを入れています。それが双発機構で、イメージとしては自動車などで使われるボールジョイントに似たものです」
串刺し型の海外メーカーの鉄棒と双発機構のセノーの鉄棒とでは、バーの動きが異なる。
前者で大車輪を行うと、支柱に固定されたバーは重力と反発力により天地方向に楕円形を描く。一方、バーが全方向にしなやかにたわむセノーの鉄棒は、より真円に近い軌道になる。
「双発機構ができたのは35年も昔のことなので詳細な記録は残されていませんが、おそらくは、よりスムーズに回転したいという選手の希望を受けて開発されたのだと思います」
体操選手は基本的に自国、もしくは近隣国のメーカーの器具で日頃の練習を行う。国際大会で使用される器具も同様に、開催国のメーカー、もしくは近隣国で作られた器具が採用されることが多い。体操器具の輸送に、多額のコストや時間がかかるからだ。
国際体操連盟は厳格な規格を設けて認定試験を行うことで、メーカーや器具間の差異をなくそうと努めている。だが、研ぎ澄まされた感覚を持つ選手たちはわずかな違いに敏感で、日頃練習で使っているメーカーの器具での演技を得意とすることが多い。
もちろん日本の選手たちは日頃から自国製の器具、つまりセノーの器具になじんでいる。
日本の大車輪が美しい理由
だが日本人選手がセノーの器具を好むのは、慣れだけが理由ではない。体操器具作りにおいて日本人の身体的ハンデの克服をも目的としてきた同社は、日本人の良さが最大限発揮できる器具を作るという思想を貫いてきた。
多くの競技でそうであるように、体操においても日本人選手は欧米人に比べて小柄でパワーが劣る傾向にある。だが日本体操界は、体格やパワーのハンデを埋めて余りある技術を追い求めることで、長年世界トップクラスの競技力を維持してきた。
実際に国際大会では「日本人選手の大車輪は美しい」と海外の選手やメディアに評されることがあるが、その理由について日本代表のコーチが「それは選手たちが幼い頃から、きれいな円運動をするセノーの鉄棒で練習しているからだ」と語ったことがある。
1993年、双発機構を搭載したセノーの鉄棒がデビューすると、やがて新しい鉄棒に買い替えた施設で興味深い現象が起きたという。体操教室に通いながらも、なかなか大車輪ができなかった子どもたちが、次々とこの技をクリアするようになったのだ。
競技者の知見を大事にするセノーには、アスリート経験を持つ社員も少なくない。幼少期から大学まで体操に打ち込んだ営業本部の周藤史樹さんが、双発機構の効果を次のように解説する。
「鉄棒の技はバーのしなりも使いながら行うのですが、鉄棒が硬いと身体が小さな子どもの力ではしなりにくいため、技を習得するのに苦戦しがちです。双発機構は、そうした課題を解消するものでした。鉄棒は遠心力を利用することが大事で、力任せにできるものではありません。バーが不規則な楕円形にたわむ海外製の鉄棒に比べて、360度(きれいな円の形)にたわむように設計された双発機構では、子どもであっても効率的に遠心力を生み出しやすく、正しい回転運動の中で技を習得しやすいと言えます」
日本体操界は1996年アトランタ、2000年シドニーと2大会連続メダルゼロに終わり、中国や東欧勢に大きく水を開けられた。だが当時、体操を志す子どもたちは双発機構を搭載したセノーの鉄棒で、“美しい体操”にまい進。やがて体操王国は復活する。
競技者たちの最高峰の技術と、それを余すところなく表現するセノーの器具によって、体操ニッポンの看板は守られたのだ。
バナー写真:東京五輪体操の男子個人総合決勝で鉄棒の演技をする橋本大輝。橋本はこの演技で0.467点差を逆転して金メダルを獲得した。鉄棒はもちろんセノー製(2021年7月28日、東京・有明体操競技場) 時事