特産の柿を生かし切る「ハリヨの柿酢」の循環型ビジネスへの挑戦
食 経済・ビジネス 仕事・労働 地域 People- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
耕作放棄地となっていた故郷の柿畑
東京・恵比寿の東京都写真美術館にあるカフェ「フロムトップ」で、野菜のカレーとルーロー飯のあいがけを注文すると、スポイトの付いた小瓶に入った柿酢が添えられて出てくる。その柿酢は、香りにも味にも「酢らしい」刺激があるのだが、料理に数滴たらすと刺激は鳴りを潜め、素材の風味を引き出し、料理は調和と旨(うま)味を増す。その効果は、なかなか劇的で、ちょっと魔法にかかったような気分にさせられる。
「ハリヨの柿酢」の醸造元(株式会社リバークレス)は岐阜県海津市にある。名古屋の西、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の川間が狭まり、濃尾平野が養老山脈に堰(せ)き止められる手前に位置する。「養老山地に降った雨が伏流水となり、このあたりで湧水になって出てくる、水の美しいところなんですよ」と代表の伊藤由紀さんは誇らしげに語る。
「柿で造るお酢」と聞くと、地域に古くから伝わる伝統食品かと思う人もいるだろうが、「ハリヨの柿酢」は、伊藤さんが独自に造り始めたプロダクトだ(柿酢は和歌山県、山形県などでも商業的に生産されている)。その開発秘話の発端は彼女の祖父がかつて農作業をしていた柿畑にある。
旧海津郡南濃町で生まれた伊藤さんは子供のころからモノを作ったり、実験したりするのが好きな“リケジョ”だったそうだ。名古屋大学の理学部化学科に進学。大学院修了後、東京の大手通信会社に就職し、IT系のコンサルティングを行う会社に転職。2007年には独立し、自らのコンサルティング会社を起こした。岡山の棚田再生など、地域の活性化を手掛ける中で、自らの故郷にも農家の高齢化、後継者不足、耕作放棄地の増大など日本各地の里山が抱えるのと同じ問題があることに気づく。
「海津は古くから富有(ふゆう)柿の産地でしたが、町の至る所で柿がなりっぱなしで放置されているようなありさまでした」
それを使って加工品を作れば、町の再生につながるかもしれないと考えた。11年の夏、手始めに、耕作放棄地となっていた祖父の柿畑を見に行く。そこは地面も見えぬほどに雑草がはびこり、立ち入ることさえためらわれるような場所だった。雑草の枯れる冬を待って、一気に草を刈り、生き残った柿の木に剪定(せんてい)を施した。
理系脳を生かして柿酢の製法を会得
東京での仕事の合間に海津に戻り、伊藤さんは柿から加工品を造る道を探り、柿ジャムやスイーツを試した。ちょうど巷(ちまた)では健康志向の高まりから「発酵」「果実酢」がブームになる兆しを見せていた。伊藤さんは柿酢にターゲットを絞り込み、書籍やネットで醸造を独学し、実験を繰り返した。持ち前の理系脳と実験好きの性質を大いに活用して。
4年間、柿の切り方を変える、発酵時に温度をコントロールするなどの試行錯誤を経て、柿酢の製法は完成した。そのころには「おじいちゃんの柿畑」も以前のように実を実らせるようになっていた。が、その収穫量はビジネスとして本格的に醸造を行うにはあまりにも少なかった。
16年、伊藤さんは拠点を海津に移し、柿酢造りに集中することに。まずは事業計画書を書いた。
「融資を得るためというよりは、自分の計画を客観的に見直すために書きました」
コンサルティングをしていたころはクライアントに必ず事業計画書を書かせていたので、その経験が生きた。
実は故郷に戻ったのには裏の理由があったと伊藤さんは告白する。
「コンサルティングという仕事に限界を感じていたんです。クライアントに経営指導していても、自分の実体験に即したものではなかったので、説得力に乏しくて」
リアルな体験をして初めて人にアドバイスできるのでは、との思いが募っていたという。
廃棄されていた規格外の柿に着目
原料となる柿はJAにしみの南濃柿部会に掛け合い、生食用としては流通に乗せられない規格外品を分けてもらうようにした。
「柿の収穫時期は短いので、多くの農家が選果場に柿を持ち込むタイミングが重なってしまい、選果を待つ間にせっかく完熟したきれいな柿が傷んでしまうこともあります。そうした柿が選果場の裏に無惨に積まれ、何の利用もされずにただ廃棄を待っていたのです」
伊藤さんの柿酢は、柿自身が持つ酵母で果実を発酵させ、できたもろみを搾ったものを在来の酢酸菌が生成する膜の下で、少しずつ酢に変えていくという、極めて自然でシンプルな工程で造られる。これは静置発酵という昔ながらの方法である。無添加で、加水も火入れもしない。実験の段階では、12月初旬に仕込めば3月末には酢になっていたのが、本番は容量5トンの大きなタンクで仕込んだので、発酵に時間がかかり、結局酢になったのは9月だった。「初めて自分の柿酢を飲んだとき、まず感じたのは安堵でした」と伊藤さんは振り返る。
出来上がった酢を日本食品分析センターに送って成分分析してもらったところ、市販の純米酢と比べてアミノ酸が5倍も多かった。
プロダクツデザインとブランディングは東京時代のつてを頼り、著名なデザイナーに依頼した。重厚感のあるボトルは伊藤さん自身がこだわって選んだ。
ブランド名の「ハリヨ」は、海津に生息する棘(とげ)のある魚、ハリヨからとった。清い水にしかすめず、環境省の絶滅危惧種にも指定されている。海津市ではこの魚と生育環境を守る活動を行っており、市内の清水池周辺は「津屋川水系清水池ハリヨ生息地」として国の天然記念物に指定されている。この土地の美しい自然を周知し、見守っていきたいという思いがこもる。
英語表記には柿を意味する「persimmon」ではなく「kaki」を採用した。ヨーロッパの市場に行くと柿はkakiとして売られている。樹木の名ではなくフルーツの名で流通しているのだ。酒がsakeで流通したように、kaki vinegarという言葉が柿の存在とともに外国でも知られることを伊藤さんは願っている。
造ったものは売らなければならない。モノを売った経験のない伊藤さんだったが、地元の道の駅等で販売するほか、東京・青山のファーマーズマーケットに出店するなどして柿酢の認知を広めた。自然な造りで食材のうま味をよく引き出す柿酢の評判はジワジワと広がり、都内の有名日本料理店でも使われるようになった。現在、売上はネット通販、業務用の販売、道の駅等への卸・小売がそれぞれ3割ずつであるという。
柿酢造りが中心の循環型ビジネスモデル
なりっぱなしで放置された柿や捨てられるはずだった規格外の柿を活用するのが伊藤さんの取り組みの起点であったのだから、柿酢造りで出る廃棄物も極力減らしたいと考えるのは当然のこと。伊藤さんはコーヒー豆の焙煎師に頼んで柿の種を煎ってもらい、世界のどこにもないノンカフェインのコーヒーを作った。醸造過程でもろみを搾った後に出る栄養価の高い搾りかすは、畑の肥料や養鶉所(ようじゅんじょ)のうずらの餌に。また、柿酢を使ったレトルトカレーの具材に使っている。剪定や間伐で柿畑から出る柿材はカットボードやランプシェードに加工した。サーキュラーエコノミー(循環型経済)という考え方があるが、柿酢造りを中心とした伊藤さんの取り組みは、この概念に合致すると言っていいだろう。
ここ数年力を入れているのは陽豊(ようほう)という品種の復活。陽豊は富有柿と次郎柿を掛け合わせたもので、濃い色合いと強い甘味を持ち、1991年に品種登録されているが、近年は出荷量が少なく、「幻の柿」と言われている。この品種が富有柿に次ぐ特産に成長することを伊藤さんは夢見る。
23年の暮れに伊藤さんは自身8度目になる柿酢の仕込みを終えた。今では前年の酢をタネ酢として使うことで発酵も安定するようになった。初期に造った酢も一部は寝かし続けており、熟成による変化を楽しみにしている。
次なる展開について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「もう少し販路を拡大したいです。ただ大量に造って売りさばきたいのではなくて、良い場所に置かれるようになってほしい。そうして柿酢が羽ばたいて、海津の柿のことがもっと多くの人々に知られ、海外から来た人が柿酢を探してくれたりしたらいいなと思います」
スタートは「地域に貢献したい」だったはずだが、現在の伊藤さんは「特産である柿を扱っているので、ある程度、地域貢献にはなっていると思いますが、それはたまたまです」と衒(てら)いがない。
「それよりも、半分冗談で言いますが、柿がマーケットでも売っている、私の大好きなスペインでいつか柿酢が造れたらいいなと思っています」
シンガポールのバイヤーから発注が来るなど、「ハリヨの柿酢」の海外展開はすでに始まっている。日本らしさを十分に備えたこのプロダクトの行方に注目したい。
バナー写真:柿畑に立つ伊藤由紀さん 写真:浮田泰幸