台湾海峡の地政学リスク

台湾海峡が阻んだ蒋介石の「大陸反攻の夢」

政治・外交 歴史

中国による台湾侵攻に対し、世界的に懸念が高まっているが、かつては台湾も「大陸反攻」を掲げて、大陸への上陸作戦を練り上げていた時代があった。蒋介石総統による共産党政権打倒への思いは強く、作戦発動の寸前までいったこともあった。蒋介石の夢であった大陸反攻を阻んだのは、皮肉なことに、共産党から台湾を守った台湾海峡だった。

米国に阻止された計画の発動

台湾からの大陸反攻について、蒋介石は確かに本気であったし、発動の直前まで至った時期もあった。だが、常に「制止役」としての米国が立ちはだかった。それは、台湾防衛を主要目標とする米国と、大陸返り咲きを目指す台湾との戦略目標が違っていた以上、当然のことだった。

そうした状況下では、自らによる単独反攻が唯一の方法だったが、ネックとなったのは台湾海峡だった。膨大な兵員・物資の輸送がどうしても台湾だけでは難しく、米国の協力が不可欠だったが、米国の協力が望めず、本格発動に蒋介石も踏み込めなかったのである。

その後、1965年の小規模の海戦で、台湾海軍の突撃隊が中国軍に徹底的に打ち破られ、台湾独力の上陸能力では大陸反攻の実現は不可能であると蒋介石も同意せざるを得なくなったようだ。70年代に入ると蒋介石の体調悪化もあって国光作業室も廃止された。台湾は経済成長に政策の重点を移し、大陸反攻は実現性を失っていく。

「攻勢作戦」から「攻守一体」への戦略転換

蒋介石の後継者・蒋経国時代は、「七分政治、三分軍事」という概念を打ち出した。これは、大陸での政治的な崩壊を導いてから決め手として軍事作戦を発動するという主張で、従来の「攻勢作戦」戦略から「攻守一体」戦略に転換し、台湾という「反攻基地」の建設・充実へ、重点を切り替えていった。

その背後には、米国が共産中国との共存を模索するようになり、台湾でも撤退から20年を経過した国軍の実力がすでに不十分なものなっているという蒋経国の冷静な現状判断があった。この点について、五十嵐は「『攻守一体』戦略への転換は、『正統中国』の原則を保持しつつ、厳しい現実に対応するための選択だったのである」と述べている。

台湾海峡は中台双方の「防波堤」

蒋経国の後を継ぎ、民主化を進めた李登輝総統は、1990年代、事実上大陸反攻を放棄させている。以来、台湾軍は、大陸による軍事行動から台湾を守る防衛軍に性質を変えて、今日に至っている。

台湾と大陸を隔てる台湾海峡は、両者を隔てる「防波堤」として、台湾を中国から守る役割を果たしながら、逆に大陸反攻を押しとどめる役割も担った。今日、台湾に対して、中国軍の進行シナリオは各方面で議論されている。だが、それでも全面的な占領については作戦上の難度が高いとの見方が軍事専門家の間では根強い。

その最大の理由は、台湾を守りやすく、攻めにくい「絶海の孤島」の「不沈空母」たらしめる台湾海峡の存在があるからである。

バナー写真=光計画甲案(台湾・国防部文書)

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