台湾海峡の地政学リスク

台湾海峡が阻んだ蒋介石の「大陸反攻の夢」

政治・外交 歴史

中国による台湾侵攻に対し、世界的に懸念が高まっているが、かつては台湾も「大陸反攻」を掲げて、大陸への上陸作戦を練り上げていた時代があった。蒋介石総統による共産党政権打倒への思いは強く、作戦発動の寸前までいったこともあった。蒋介石の夢であった大陸反攻を阻んだのは、皮肉なことに、共産党から台湾を守った台湾海峡だった。

渡海輸送をめぐる難題

『蒋介石を救った帝国軍人』
『蒋介石を救った帝国軍人』

中国の福建省と台湾に挟まれる台湾海峡は、南北380キロの長さがあり、地図上の印象では狭い海峡に見えるが、幅が狭いところでも130キロある。広いところで160キロもある。上陸作戦は、作戦遂行中に発見される可能性が大きく、しかも上陸後の補給地点を大陸に作る必要がある。大陸反攻には、大規模な上陸部隊を派遣し、少なくとも福建省沿岸部に一気に作戦拠点を複数確保し、要塞化する必要があった。

国防部の極秘文書にはこのように書かれている。

「台湾海峡の渡海輸送は、輸送艦を使う以外にも、小型船による分散渡海方式と大規模な空輸を、陸海空三軍の緊密な協力のもと、全作戦は万全のものとしたい。よって、空軍は制空権と護衛を主な任務として、海軍は直接護衛を主に行い、また、大型船の上陸点の防空機関の配置は輪番制で警備を配置し、遺漏なきものとしたい」

ただ、この光計画も、国際情勢、特に、米国からの圧力もあって実行に移されることはなかった。米国は「反共」を支持して台湾軍の強化には協力するが、第三次世界大戦を誘発しかねない国共内戦の再点火には消極的な姿勢を貫いた。米国の本音は「大陸反攻」より「台湾防衛」の重視にあり、蒋介石と米国は同床異夢の状態だった。

光計画で渡海方法を論じる部分(台湾・国防部文書)
光計画で渡海方法を論じる部分(台湾・国防部文書)

米台共同コミュニケにも諦めなかった蒋介石

1958年の蒋介石・米ダレス共同コミュニケは、大陸反攻にはやる蒋介石を押さえ込んだものだと米側に宣伝され、台湾も同意したと思われがちだが、蒋介石は決して大陸反攻を諦めておらず、計画をしつこく作り続けていたというのが最新の見方だ。

その後も大小さまざまな計画が浮上しては消えていった。五五〇四計画、凱旋計画、中興計画、田単計画などの名前が記録に残っている。

そのなかでも、最も大規模かつ集約的に作戦が練られ、実行寸前まで至ったのが61年に立案が始まった国光計画だった。

『大陸反攻と台湾』
『大陸反攻と台湾』

最近刊行された五十嵐隆幸著『大陸反攻と台湾 中華民国による統一の構想と挫折』によると、国光計画は、中国の大躍進政策の失敗による混乱を好機ととらえ、国防部に「国光作業室」を置き、反攻計画を策定した。陸軍20個師団のうち、16師団を投入する本格的なもので、台湾と澎湖諸島の防衛は米国に依頼するものだった。

しかし、米国のケネディ政権は蒋介石に協力する姿勢を表面的には見せつつ、実際は作戦発動を制止する姿勢を崩さず、63年には台湾側を実行断念に追い込んだ。

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