台湾海峡の地政学リスク

台湾海峡が阻んだ蒋介石の「大陸反攻の夢」

政治・外交 歴史

中国による台湾侵攻に対し、世界的に懸念が高まっているが、かつては台湾も「大陸反攻」を掲げて、大陸への上陸作戦を練り上げていた時代があった。蒋介石総統による共産党政権打倒への思いは強く、作戦発動の寸前までいったこともあった。蒋介石の夢であった大陸反攻を阻んだのは、皮肉なことに、共産党から台湾を守った台湾海峡だった。

蒋介石日記にも光計画報告会の記述

蒋介石日記の記述も、一致していた。6月11日、自らの日記に短く記している。

「9時半、実践学社(筆者注:白団による教育機関)に行き、白鴻亮らの大陸反攻光計画について聞く」

蒋介石日記、戸梶の日記には、光計画の詳細は記されていない。

このとき白団が提出した光計画について、筆者が入手した国防部の極秘文書を以下に公開したい。

光計画は、甲・乙2案で計画されており、1953年5月23日に蒋介石へ提出されている。甲案は単独での反攻を、乙案は米軍などの支援を受けながらの反攻を、それぞれ想定したものだった。

甲案は「奇襲によって福建省に作戦基地を作り、主翼は広東方面に展開し、華南地域を占領するのに4−6カ月を要する」として、まずは台湾各地の港から多数の上陸部隊を一斉に電撃派遣してしまおうという狙いである。

光計画甲案(台湾・国防部文書)
光計画甲案(台湾・国防部文書)

一方、乙案は、甲案よりも大幅に出兵規模は小さく、まずは福建省の半分を1~2カ月かけて占領し、「次なる作戦に向けた準備を進める」として、1~2カ月の作戦期間を想定している。

ここで問題になったのは「渡海の難しさ」だった。通常、いかなる上陸作戦でも、輸送が最大のネックになる。また、激戦となる上陸作戦では兵の損失も大きくなりがちで、多くの軍隊で難度の高い上陸作戦を担当する練度の高い「海兵隊」が組織される理由もそこにある。

光計画乙案(台湾・国防部文書)
光計画乙案(台湾・国防部文書)

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