台湾海峡の地政学リスク

台湾海峡が阻んだ蒋介石の「大陸反攻の夢」

政治・外交 歴史

中国による台湾侵攻に対し、世界的に懸念が高まっているが、かつては台湾も「大陸反攻」を掲げて、大陸への上陸作戦を練り上げていた時代があった。蒋介石総統による共産党政権打倒への思いは強く、作戦発動の寸前までいったこともあった。蒋介石の夢であった大陸反攻を阻んだのは、皮肉なことに、共産党から台湾を守った台湾海峡だった。

日本人が作った「最初の反攻計画」

蒋介石にとって、波乱に満ちた生涯の中で、大陸反攻は最後の夢だった。国共内戦で一敗地に塗(まみ)れた蒋介石は、1949年、中華民国の国家機能をそっくり台湾に遷移させ、台湾を拠点に中国全土の再統一を目指した。蒋介石は大陸反攻を最優先目標として「一年準備、二年反攻、三年掃討、五年成功」とのスローガンを唱えた。

中国共産党も「台湾解放」を目標としていたので、台湾海峡を挟んだ国共両者が相手を打倒する機会を狙っていたことになる。ただ、1950年代から60年代にかけて、軍事的な作戦を実行に移そうと懸命に動いていたのは蒋介石の方だった。一方、毛沢東は、台湾統一へ武力行使を発動しても、米国に阻まれることが分かっていたので、そこまで短期的に実現したい課題とは見ていなかった。

蒋介石が死去する75年まで、台湾では大小さまざまな大陸反攻計画が策定された。その中で最初に練られた計画は、実は、日本人の手によるものだった。その計画名は「光計画」と呼ばれた。

策定者は、旧帝国陸軍参謀たちで構成された軍事顧問団・白団(ぱいだん)だった。筆者は2021年6月に「白団」をめぐるノンフィクションの文庫版『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)を上梓したが、その白団の一員だった陸軍軍人、戸梶金次郎の日記に、52年から53年にかけて、光計画の記述がたびたび登場する。

計画について触れた戸梶氏の日記
計画について触れた戸梶氏の日記

 10月22日 午前 光計画研究会 いかにして共産党に勝つか 問題の焦点ぼけないようにする必要がある

 10月25日 午前 昨日 白(富田)、師(山本親雄)、范(本郷健)、秦(中島)と、将来の方針に関して打ち合わせを行う 一応 革命戦、独力の立場にて武力戦を中心に研究する事に意見の一致を見た。

 11月1日 光計画 大部分を完成した 夕刻 白先生 小型船の話をして大いに喜ばれた。

1953年6月11日、光計画が最終的にまとまり、蒋介石に対する報告会の日がやってきた。戸梶は日記にこう記す。

「0930より1230にわたり第一講堂において光計画に関して総統に説明す」

蒋介石総統の他、正副参謀総長も同席し、戸梶は「昨年九月以来の研究一応の仕上げを終了し、ほっとせる感慨なし」と書いている。その夜には富田直亮(なおすけ)団長(白団リーダー、中国名コードネーム・白鴻亮)主催のメンバー慰労会も開催された。

蒋介石(右前方)と戸梶さん(左から2人目、新田豊子さん提供)
蒋介石(右前方)と戸梶さん(左から2人目、新田豊子さん提供)

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