芥川賞作家・李琴峰:多様性を内包した独自の世界観を持つ作家
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台湾人初の芥川賞
2021年7月14日、東京・日比谷の帝国ホテルで第165回芥川賞の受賞者会見が行われた。今回は台湾出身の作家・李琴峰さんと石沢麻依さんのダブル受賞となった。和やかな雰囲気の会場で、李琴峰さんは顔をほころばせ、作品を手に撮影に応じた。日本語非母語話者による芥川賞受賞は中国出身の作家・楊逸(ヤン・イー)さんに続いて2人目、台湾人としては初である。
17年発表のデビュー作『独り舞』から文壇で頭角を現した李さん。19年に『五つ数えれば三日月が』で初めて芥川賞候補にノミネート。21年3月に『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞し、二度目の候補作『彼岸花が咲く島』で芥川賞を手にした。
賞を受賞しようがしまいが、李さんは常に冷静沈着だ。だがその穏やかで上品な面立ちの下では、想像力あふれる世界観がみなぎっている。それが彼女の創作の基盤である。同時に李さんはLGBT(性的マイノリティ)権利回復運動にも関心を寄せており、これらの要素も作品に注がれているのだ。
近年、日本では呉明益さん、陳耀昌さんら台湾人作家の作品の出版が相次いでいる。デジタル担当相のオードリー・タン氏に関する書籍も好調なほか、東山彰良さんや温又柔さんのような台湾にルーツを持つ作家らが折に触れて台湾の歴史や文化を作品に取り入れている。これら台湾関連の書籍が日本で大きく注目されているのは、歴史の類似性と民主社会が抱える問題の共通性があるからかもしれない。
文化を融合させた実験的作品
さて、李琴峰さんの芥川賞受賞作『彼岸花が咲く島』からは、文化や言語の融合に対する彼女なり思索が読み取れる。本作の舞台はある架空の島だ。島の住人は日本語、中国語、台湾語、そして琉球語をチャンポンにして用い、島は「ノロ(祝女)」と呼ばれる祭祀を司る女性によって統治されていた。さらに島には女性だけが学ぶことができ、ノロが歴史を語り継ぐのに用いる「女語(じょご)」という言葉が存在した。島に流れ着いたヒロイン・宇実も女語を学ぶ1人となっていくのだ。
李さんは「この作品では、言語、そして文化を融合させる実験がしたかった」と話す。作中の舞台は架空の島ではあるものの、その文化的背景は沖縄の与那国島と非常によく似ている。与那国島は台湾から最も近い沖縄県の島だ。距離は111キロほどしか離れていない。李さんは実際に現地を訪れ、与那国島こそ作品が求める舞台にふさわしいと感じた。
このようなアイデアは、李さんが2017年にデンマークのコペンハーゲンにあるクリスチャニア自治区を訪れた際に生まれた。
「クリスチャニアに足を一歩踏み入れたとき、そこには一種の混沌とした美しさがあることに気づきました。建物は落書きだらけ、市場らしき場所もあったのですが、とても雑然としていて、マリファナを売る人もいました。まるでボヘミアンのような雰囲気でした」
そんなクリスチャニアを目の当たりにした李さんは、もし日本に同じような世界があったらどうなるだろうと想像せずにはいられなかったという。
多くの資料に当たり、李さんはこの与那国島の文化的背景、歴史、宗教や信仰が物語の設定に適していると考えた。
「実際に与那国島に行き、3つの集落と自然の環境を見て、私は物語の舞台に本当にぴったりだと感じ、作品に取り入れていったのです」
本作は19年末から20年前半にかけて執筆され、何度か手直しを経て21年に発表された。実に4年の歳月をかけ、ゆっくりと形になっていった。
ユートピアの虚構と現実
『彼岸花が咲く島』における言語の融合について、李琴峰さんは「台湾で言えば、宜蘭(ぎらん)にはクレオール言語(※1)である『宜蘭クレオール(寒溪語)』があります。これは1つの例です。シンガポール英語も、英語でありながら中国語や閩南語(びんなんご)と融合していて、分かりやすい例だと言えます」と話す。李さんはこの構造を台湾と与那国島に当てはめ、2つの地にある複数の言語を融合させて作品を執筆した。そうしてできた混成言語は、独自の文法や単語を持っているのだ。
本作は文化と言語を融合させる新しい試みを実践している一方、一種のユートピア思想の表出でもある。
「最初はユートピアを書きたかったのですが、ユートピアというものはよく考えてみると、存在しないのではないかと感じました。そもそもユートピアの語源自体が『存在しえない場所』なのです」
中国の古典「桃花源記」は、秦の乱世に生まれた人たちが災禍をまぬがれるために山に身を隠し、それが「漢有るを知らず、魏・晋に論無し(漢の時代があったことを知らず、ましてや魏や晋の時代は言うまでもない)」の状況を作り上げたという物語を記している。『彼岸花が咲く島』に登場する島の住民も外の世界を全く知らないので、彼らにとっては島こそが世界の全てだ。そのため彼らは島に漂流してきたヒロイン・宇実のことを、一度は琉球神話の天国「ニライカナイ」から来た人だと思っていた。
この小説で、李さんは理想と闇の二面性を描こうとしたという。「作中の島も実はそこまで理想的な場所ではなく、闇の部分もあります。それは人類の歴史も同じです。書いてみるとユートピアは簡単には存在しないものだと分かりました。どんな場所にも二面性があるものだと思います」と李さんが話す。作品に登場する彼岸花も、鎮痛剤と依存性のある薬物のような存在という2つの顔を持っている。
異なる文化を融合させる新しい試みと言える本作は、大きな成功を収めた。2013年に来日し、今は小説家として活動する李さんだが、来日後に日本文化に接し、何か得たものはあるかと問われた際、少し考えてからはっきりとこう答えた。「『文化とは何か』というのが最も重要なポイントだと思います」
文化か、悪習か?
李さんは中国語、台湾語、日本語に精通し、文化や習慣についても深い知見を持っているが、十把一絡げに「文化」という言葉で表現することには少し抵抗があるという。
「文化という言葉はとても便利ですが、何でもかんでも文化と呼んでいいのか、疑問に思います。ときどき、何が『文化』で何が『文化ではない』かということを考えますが、簡単に線引きできるものではないようです」
「たとえば、日本には現在も男尊女卑、女性差別、女性を性的対象物として消費するといった問題が根強く残っています。女性が政治権力の中枢に入ることもとても難しい。これは文化と言えるんですか? とても難しい問題ですよね。国情、と言うことはできても、文化と言うことには抵抗があります」
何しろ、日本という土地に暮らす全ての日本人が、男尊女卑や女性差別が日本の文化だと思っているわけではないのだから、と李さんは付け加える。
日本では以前からいわゆる「夫婦別姓問題」が議論されている。若い世代は選択的夫婦別姓に対し理解を示しているが、これが年配者となると夫婦同姓を支持する傾向にあり、夫婦同姓が日本の伝統文化であるという認識も少なからず存在する。
李さん自身は「私たちは一刀両断に、これは文化でこれは文化でないという線引きをすることはなかなかできません。今に残っている多くの価値観が確かに伝統と密接につながっているからです。ですが、日本の夫婦同姓だって明治時代に制定されたもので、そんなに長い歴史も伝統もないのです」という認識を示している。
李さんは様々なテーマに独自の見解を持っている。彼女はLGBT権利回復運動にも大いに関心を持っているが、デビュー作『独り舞』で描いたのはレズビアンの台湾人女性が新しい人生を求めて、たった1人で日本にやって来るという物語だった。物語には李さん自身、そして友人の経験が投影されているという。
あらゆる属性に代わり声を上げる
『独り舞』のヒロイン・趙紀恵は仕事で台湾から日本に来たレズビアンだ。一見、華やかな経歴を持つ紀恵だが、実は台湾に暗い過去を残していた。一方、足に障がいを持つ同僚の絵梨香は、同じ会社に勤める岡部とは誰もが羨(うらや)むカップルだ。李さんは、強そうに見えても心には誰も知らない傷を抱えている紀恵と、人々から同情を受けやすい足の障がいを持つ絵梨香は、いい対比だと考えているそうだ。
新宿2丁目を中心とした性的少数者たちの群像劇『ポラリスが降り注ぐ夜』では、舞台を中国、台湾、豪州にまで広げ、時代も90年代から2018年までを描いた。同作には李さんも満足しているという。李さんは邱妙津さんのようなセクシュアル・マイノリティ文学の作家の影響を受けた。日本人なら中山可穂さんが好きだという。
「中山さんの作品は、今でも私の指針の一つです。彼女は文章がとてもきれいで、いつも参考にしています。私も中山さんのような美しい文章を書けるようになりたいですね」
台湾中部の郊外出身の李さんは、中学生の時から日本語に興味を持った。
「14か15歳の時に独学で日本語を勉強し始めました。と言っても田舎の子供です。日本語の先生もいないので、本を買って自分で勉強するしかありませんでした」
高校卒業後、台湾大学に進学するため、台北に上京した。大学では日本語文学科、中国文学科の2学科を専攻した。だが社会に対して抱く違和感や、自身のセクシュアリティの関係で、「大学時代は本当につらかったです。大学だけではなく、学生時代全てが本当につらかった」と李さんは振り返る。
2013年に日本に留学し、卒業後は一般企業に就職。その後、専業作家へと転身した。来日して数年たった今、日本の社会制度には公平でいい面もあると李さんは感じている。特に大都市・東京では、誰もが自分に合った「居場所」を見つけることができる、と。一方で、ひまわり学生運動や同性婚法案の可決など、ここ数年の台湾社会の急激な変化には驚いたという。
外から見れば、李さんは中国語と日本語を自在に操る作家に見えるだろう。実は、彼女はいわゆるバイリンガルにはとどまらず、国境を含むさまざま境界を越え、どんな場所へも自由に思いを馳せることができる。以前から彼女はとにかく旅行が好きで、さまざまなものから創作のインスピレーションを得ていた。李さんは文化の壁や性別といった属性にとらわれず、それらを自身の多様性へと変えていく。この独自の世界観を持つ作家は、この時代に最も必要とされる新しい風なのかもしれない。
バナー写真=台湾出身の芥川賞作家・李琴峰氏(大坪尚人氏提供)
(※1) ^ クレオール言語=交易などで2つ以上の異なる言語圏の言語が接触し、意思疎通のために両者の間で作り上げられた言語(ピジン語)が、のちにその地域の母語として定着した言語のこと