金子みすゞの童謡:神さまは、小ちゃな蜂の中に
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神さまは全てのもの中に
『蜂と神さま』
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。
『蜂と神さま』を読むと、神さまは特別の存在として遠く離れたところにいるのではなく、人間も含めて、全てのものの中にいるのだと思えて、うれしくなる。
金子みすゞにとって地球上の全ての存在は、動植物だけでなく、命なき鉱物までも、共に支え合い、ともに生きている大切な存在なのだ。人間優先の眼差しでは、この発想は浮かばない。
以前、目の前に落ちてきた柿の葉っぱを手に取ってみたとき、
――ああ、自分は今、自身が天空にのぼって地上を見ているのだ
と、不思議な感覚にとらわれたことがあった。支流をいくつもつくりながら、穏やかに流れている大河と、静かな町の空中写真が一枚の葉っぱの上にあった。
みすゞの『蜂と神さま』に出会わなかったら、こんな感動に出会えていなかったかもしれない。「部分の中に全体があり、全体の中に部分がある」ということが、深く信じられた。
人間は地球上の一部でしかないのに、まるで人間が地球を自分の思い通りにできるかのように、「地球に優しい」と言いがちだが、これは違う。「地球は優しい」から、いまだに私たちは地球に存在させてもらっているだけだ。
先住民族・インディオの言葉に「地球の自然は子孫からの預かりもの」というのがあるそうだ。この謙虚さを深く心に刻むときにきていると、みすゞの作品を読むたびに思う。
丸ごと受け入れる
『こだまでしょうか』
「遊(あす)ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。そうして、あとで
さみしくなって「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
こだまの原形は、赤ちゃんとお母さんの心音から始まる。「いるよ」「いるね」、「うれしいな」「うれしいね」、「大好き」「大好き」と、心音がきちんとこだまし合ったから、私たちは人間として生まれることができた。
だから、こだまは人間の最も尊い行為だ。
世界中の誰でも、わが子が幼い時、転んで「痛い」と言ったら、「痛いね」と丸ごと受け入れて返したに違いない。ところが、いつの間にか、相手の痛みや悲しみを丸ごと受け入れる前に、自分の言いたいことを先に言う大人になっていないだろうか。
「痛いね」とこだますることなく、「痛くない」「泣くな」と。
「このお父さんなら、このお母さんなら、愛してくれると思って生まれてきてくれたわが子」だ。愛してくれるはずの大人から、「痛くない」と一方的に否定された心の痛みは、一体どこに行くのだろうか。
愛するとは、大切な相手にきちんと向かい合い、痛さや悲しみを自分のこととして丸ごと受け入れてあげることと、みすゞは私たちに言っている気がする。
心の中で生きていく
『繭(まゆ)とお墓』
蚕(かいこ)は繭に
はいります。
きゅうくつそうな
あの繭に。けれど、蚕は
うれしかろ、
蝶々(ちょうちょ)になって
飛べるのよ。人はお墓へ
はいります、
暗いさみしい
あの墓へ。そして、いい子は
翅(はね)が生え、
天使になって
飛べるのよ。
「あのね、かいこは大きくなっても、ちょうちょにはならないの」とこの作品を口ずさんでくれてから、小さな女の子は教えてくれた。
その通りで、蚕は成虫になっても、空を飛ぶことはできない。それだけでなく、多くの蚕は成虫になることさえできずに、人間が生糸(絹糸)をとるために利用され、繭の中でこの世を去っていく。
だからこそ、みすゞは生き続けることなく死んでいった蚕たちを、せめて蝶々にして、大空高く飛ばせてやりたかったのだろう。
人間も亡くなると、暗くて寂しい墓に入れられる。でも、一度、この世に生まれさえすれば、何歳で亡くなろうが、その間に出会った人の心の中で、ずっと生きていけるのだ。
みすゞは、「いい子」とうたっているけれど、両親から命を受け継いだ、それだけで十分いい子なのだ。あなたも、そして私も。そう思うと、亡くなることが少し怖くなくなる。
この作品は、みすゞの没後、師の西條八十が随筆『下関の一夜――亡き金子みすゞの追憶』の中でとりあげ、「おそらく絶唱といっていい」と称賛したものだ。
これを機会に世界中の多くの方が、みすゞの作品に出会っていただけるとうれしい。
作品出典:『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)
金子みすゞ肖像写真・提供=金子みすゞ著作保存会
イラスト=moeko