李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

行けなくなった地獄──桜島を巡る

旅と暮らし 地域

李 琴峰 【Profile】

全てを一瞬で壊滅させかねない活火山で人は寝て、起きて、食べて、人間関係を構築する。桜島という不思議な島で、“地獄” を目指した李琴峰が、“地獄” に行けなかったかわりにたどり着いた結論は…。

3日に1回噴火する火山に人が住む

桜島は別に桜の名所ではない。そもそも島でもない。

鹿児島港でフェリーに乗り、僅か15分で桜島港に到着する。運賃は後払いで200円。フェリーなのに後払い運賃なのも珍しいが、もっと珍しいことがある――このフェリーは24時間運航なのだ。昼間は大抵15分間隔だが、深夜も1時間に1本は出ている。東京のバスや電車ですら24時間運航ではないのに。

日本で最も有名な火山と言っても過言ではない、桜島。東京に住んでいても、桜島噴火の情報は防災アプリで時々流れてくるし、ネットニュースでもたまに「桜島、爆発的噴火」みたいな文字列が目に入る。統計によれば、2021年で桜島は145回も噴火し、そのうち84回は「爆発的噴火」らしい。平均して3日に1回は噴火している。そんな火山活動が活発な地域でも人間が住んでいるということ自体、不思議と言えるかもしれない。

桜島に上陸し、早速火山地域の特徴を実感する出来事に遭遇した。動きやすいよう港の近くのレンタカー店で原付を借りようとしたところ、店主である60代くらいのおじさんが、

「普段は結構原付乗ってるの?」

と訊いてきた。

「ええ、まあ、それなりに」質問の意図を測りかねて、私は曖昧に答えた。

「桜島は事故多いよ」と店主が言った。「火山灰がよく降ってきてね、道路が滑りやすいんだよ。慣れてないとやめた方がいいよ」

「こないだもバイクの死亡事故が起きたね、2台のバイクが衝突しちゃって」店主の隣で、妻と思われる女性もそう話した。

「そんなに危ないんですか?」私はびっくりして訊いた。

「まあ慣れてないとどうしてもね。うちに原付は6台あるけど、4台は事故で壊れたよ。だから今は2台しかない」

そう言われると、流石にビビらざるを得ない。身の安全を第一に考え、大人しくバスに乗ることにした。後になって考えれば、私はミャンマー・バガンの未舗装の砂埃の道を電動バイクで走ったことがある。バガンが大丈夫なら、桜島も大丈夫ではないだろうか。とはいえ火山地域を訪れるのは初めてなので、やはり慎重を期すに越したことはない。桜島は何度でも来られるが、身体と命は一つしかないのだ。

桜の名所ではないのに何故桜島というのか。名前の由来については諸説あるが、有力とされる説は2つある。1つは「地名語源説」で、「桜島」の語源を「サ・クラ・ジマ」とする説である。「サ」は接頭語で、「クラ」は「断崖、崩壊谷あるいは峻険な斜面をもった山」、「シマ」は文字通り島である。つまりもとより花の桜とは関係がないのだ。もう1つは「文明噴火説」と言う。文明の大噴火(1471~1476)で、火口から上がった噴煙が桜の木を思わせ、更には降ってきた白い軽石が海に浮かんで花いかだのように見えたから、「桜島」と名付けられたという説である。どちらが正しいかは分からない。

いくつもの村を埋めた溶岩の上に建つ神社

港から徒歩数分のところに、「月読神社」があった。『古事記』の中で、伊邪那伎命が黄泉の国から現世に戻り、身体を浄化しようと禊(みそぎ)をした時、左目を洗うと天照大御神が生まれ、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれ、鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれた。天照大御神は太陽の神で、高天原を司り、月讀命は月の神で、夜の国を司り、建速須佐之男命は海を司ることになった。この三柱の神を併せて「三貴子(さんきし)」と呼び、本来は同レベルの神のはずなのに、『古事記』では何故か月読命だけ出番がほとんどなく、影が薄い。そんな影の薄い神を祀る神社があるということで興味が湧き、石の階段を上って境内に入った。

月読神社の社殿 ©李琴峰
月読神社の社殿 ©李琴峰

境内には全く人影がなく、白い鳥居に赤い社殿、どこにでもある神社に見えた。案内板に「土俗口碑に依れば(…)月読命出生の地は桜島であると云われる」と書いてあり、なるほどと頷く。案内板の文章は更に続く。「大正三年一月十二日の大爆発の際社殿及敷地の悉くが溶岩に埋没したので御神体を一時仝村武に遷し更に昭和十四年十一月此の地に社殿の新築に着手し翌十五年八月四日遷座したのである。」

要するに、月読神社の場所は元々ここではなかったが、大正3(1914)年に起きた大噴火によって元の社殿が埋没したため、ここに移したということだ。それだけではない。現在の月読神社もまた大正の大噴火で流出した溶岩の上に建っており、溶岩の下では村がいくつも埋まっているという。

つまり私の足が今踏んでいる土の下には、百数年前の噴火で壊滅した村が埋まっているということか。

境内を更に進むと、高浜虚子の句碑があった。その句はこうある。

「溶岩に秋風の吹きわたりけり」

村を丸ごと埋めた溶岩の上で、今はただ秋風が吹きぬけていくだけという。

高浜虚子の句碑 ©李琴峰
高浜虚子の句碑 ©李琴峰

ロシアまで火山灰が飛んだ大正大噴火

大正の大噴火は歴史的に見てもかなり大規模なもので、噴煙が8000メートル上空に昇り、火山灰は風に乗ってロシアのカムチャツカ半島まで到達したという。桜島は九州にあるので、ロシアまで飛んだということは火山灰が日本列島全体を飛び越えたということになる。噴火による噴出物は30億トンに及ぶらしい。人間の平均体重を70キロだとして、30億トンは地球の全人口の体重の合計の5.6倍である。確かに想像を絶する規模だった。元々桜島は確かに「島」だったが、この時の溶岩流により大隅(おおすみ)半島と陸続きとなり、今はもう島ではない。

百数年前に、桜島は島ではなくなったのだ。

荒々しい海岸の景色 ©李琴峰
荒々しい海岸の景色 ©李琴峰

それくらいの大噴火ならさぞかし死傷者が多かっただろうと想像するが、そうでもない。大正の大噴火では死者35人、行方不明者23人、負傷者112人だったが、そのほとんどは桜島の人ではなかった。火山活動に慣れていたのだろう、噴火が起きる前から既に多くの人が手持ちの船で避難していたらしい。ほとんどの死傷者は鹿児島市の人で、噴火そのものではなく、噴火後の地震による建物の崩壊などで被害を受けたのだという。

目の前にある風光明媚な桜島を見ていると、とてもそんな自然災害の様子を想像できない。道路の道端の生垣では皐月(さつき)がピンクの花を咲かせ、海辺の遊歩道ではマンゴーの樹が生えている。遊歩道には地熱を使った足湯があり、何人かの観光客が足湯に浸かっている。碧い海を眺めると、対岸の鹿児島市の市街地がぼんやり見える。この海、錦江湾もまた約2万9千年前の大噴火が引き起こした地盤陥落でできたものだという。

皐月の花が咲く生垣 ©李琴峰
皐月の花が咲く生垣 ©李琴峰

平らげることができないから受け入れる

桜島のハザードマップを見ると、「大規模噴火とほぼ同時に噴石が到達する可能性のある範囲」は、ほぼ桜島全域に及ぶ。そんな大規模噴火がいつ起こるかはもちろん誰にも分からない。つまりいつ石が空から飛んできてもおかしくないということだ。3日に1度は噴火し、全てを一瞬で壊滅させかねない活火山がすぐ傍に聳え立っているにもかかわらず、人々はここで寝て、起きて、食べて、学校や仕事に行き、事業を営み、人間関係を構築する。何の変哲もない日常生活がここで繰り広げられている。

火山を平らげることができないから、受け入れ、共存するしかない。登下校時に火山礫から頭を守るためにヘルメットを被り、家の敷地に降ってくる火山灰を「克灰袋(こくはいぶくろ)」に入れて指定置場に出し、緊急時にはそこら中に建っている「退避壕」に逃げ込むといった対策を講じながら、日常がなおも続く。そんな強(したた)かさに敬意を抱いたのと同時に、しかし思えば、いつ首都直下地震が起きてもおかしくない東京に住んでいる自分とて他人事ではない。

こんな退避壕は桜島の随所に建っている ©李琴峰
こんな退避壕は桜島の随所に建っている ©李琴峰

大正の大噴火の恐ろしさを物語るスポットに、「黒神埋没鳥居」がある。桜島の東側の黒神町にあり、港からタクシーで約30分。これは元々3メートルもある鳥居だったが、大正の大噴火で地中に埋もれてしまい、今は鳥居の上部だけが地面から露出している。埋没鳥居のすぐ傍に中学校があり、週末だからか全く人気(ひとけ)がなかった。

黒神埋没鳥居。元々は3メートルあるが、そのほとんどが溶岩に埋没している ©李琴峰
黒神埋没鳥居。元々は3メートルあるが、そのほとんどが溶岩に埋没している ©李琴峰

埋没鳥居は有名なスポットだが、付近には他のスポットも、レストランやカフェといった店もない。つまりやることもなければ、休憩できる場所もないのだ。バスの本数は少なく、次のバスまであと1時間もある。このまま道端で1時間も待つのかと悩んでいると、ある案内標識に目を引かれた。その標識には、「黒神地獄・鍋山 1.5km」と書いてある。

黒神地獄?

何故か撤去されない道路標識 ©李琴峰
何故か撤去されない道路標識 ©李琴峰

地獄への一本道

標識にはそれ以外の情報が一切なく、英語も「Lava Hell of Kurokami」なので、どんな場所なのか測りかねた。やることもないし行ってみようかな、でも1.5キロか……悩みながらスマホで「黒神地獄」を検索する。出てきたのは荒涼とした河原の写真で、火山の噴火が残した爪痕なのか、荒々しくも壮観な景色が広がっている。これは行ってみる価値はある、そう考え、私は「黒神地獄」に続く一本道に足を踏み入れた。

黒神地獄に続く長い一本道 © 李琴峰
黒神地獄に続く長い一本道 © 李琴峰

この日は見事な快晴で、午後4時半とはいえそれなりに暑い。まっすぐな一本道は長く、果てが見えない。道の両側では樹木が乱雑に生い茂っているだけで何の施設もなく、人も全くいない。こんな誰もいないところで、一人で向かって本当に大丈夫なのかと心細くなった。グーグルマップを見ると、道の途中に「京都大学防災研究所付属火山活動研究センター 桜島火山観測所 黒神観測室」があると出ている。観測室があるなら人くらいいるだろう、そう考えて勇気を出した。しかしその観測室は建物があるだけで人がいるようには見えず、入り口のゲートも閉ざされていた。

心を無にし、足の疲れに耐えて、ひたすら歩いた。こんなに苦労しているのだからとびっきりの景色を見せてくれないと承知しないぞ、とぼんやり思った。15分くらい歩いたところ、ようやく道の終わりが見えてきた。

――この先、立入禁止。

忌々しい「立入禁止」©李琴峰
忌々しい「立入禁止」©李琴峰

それでも生きていくしかない

えっ? そんなの聞いてないよ! だったらあの道路標識は何だったの?

理不尽だと思い、やり場のない怒りを覚えるが、しかし文字通りやり場がないのだからどうしようもない。まさか黒神町の役所にクレームを入れるというわけにもいかない。

これもまた、受け入れるしかない事柄だ。私は諦め、先刻歩いてきた長い一本道をそのまま引き返した。

後になってネットで旅のブログを読み漁ったところ、2010年にはまだ「黒神地獄」の写真を上げている人がいたが、2011年のブログでは既に立入禁止になっていた。つまり11年も前から入れなくなっていたのだ。

だったらその「黒神地獄・鍋山 1.5km」の標識を撤去してくれよ、と心の中で叫ぶ。

往復30分の無駄足のおかげで、次のバスまであと20数分になった。ポッドキャストを聴きながら待っていると、バスが来た。バスには他の乗客がいない。運転手さんはかなりおしゃべりな人で、「あのバス停にはどうやって行ったの?」と怪訝そうに訊いてきた。恐らく観光客は車を運転する人が多く、バスを使う人が珍しいのだろう。雑談に付き合っていると、港まで戻った。黒神町へ向かった時は南側の道から行ったが、帰りは北側の道、つまりちょうど桜島を一周したのだ。

行けなくなった地獄のことを思いながら、鹿児島市へ戻るフェリーに乗った。思えば、この世も地獄ではない保証はどこにもない。しかしたとえ地獄でも、それを受け入れ、何とか生きていくしかないのだ。桜島の人たちみたいに。

バナー写真 : ©李琴峰

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    李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

    日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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