李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

神々の島・小豆島――初めての四国・その二

暮らし

李 琴峰 【Profile】

自粛生活から解放されて目指したのは、初めて訪れる四国だった。島をめぐり、鬼と観音菩薩とエンジェルと日本創生の神に出会った後、夜のフェリーの中で聞いた波の音は、得体の知れない獣の低い唸り声のようだったという。あれから半年、東京は再び得体の知れないウイルスに苦しめられている。

ロマンチックなエンジェルロードを一人で味わう

人っ子一人いない寒霞渓とは違い、エンジェルロードには観光客がちらほらいて、そのほとんどが若者だった。一緒に旅行しているらしい数人の若い女の子が近くではしゃぎながらお喋りしていて、盗み聞きをするつもりがなくても話し声が勝手に潮風に乗って耳に入ってくる。「今度は男と一緒に来たいなー」だそうだ。「エンジェルロード」はロマンチックな名前だし、ここも「恋人の聖地」に選ばれているから、女の子たちの気持ちも分からないでもない。とはいえ、私みたいに傍に友達も恋人もいなくて、一人で漫然と写真を撮ったり、太陽が夕焼けを纏いながら向こう側の山へと沈んでいくのを静かに眺めたりするのも、また一興である。

干潮時にのみ浮かび上がる天使の散歩道、エンジェルロード
干潮時にのみ浮かび上がる天使の散歩道、エンジェルロード

エンジェルロードの近くに目立たない小さな神社がある。名を「蛭子神社」という。日本最古の歴史書『古事記』によれば、創生の兄妹神、伊邪那岐と伊邪那美が日本列島を産むことに成功する前に、女である伊邪那美の方が先に声をかけたせいで、最初に生まれた島は失敗作になったという。それが「蛭子(ヒルコ)」なのだ。『古事記』の原文ではヒルコについて「不良(良くあらず)」としか書かれていないが、後世では異形の子ではないかと推測されている。ともあれ、兄妹神はヒルコを葦船に乗せ、海へ流して捨てたのだった。

最初にこの神話を読んだ時は憤りを覚えたものだった。この神話には男尊女卑臭があまりにもぷんぷんしているし、また、生まれてきた我が子を気に入らないからってすぐそれを捨てた兄妹神の無責任ぶりにも辟易した。エンジェルロードの近くの「蛭子神社」はまさしく神話の中の、あの捨てられた異形の神の如く、砂浜の一角で肩身が狭そうに、身を潜めるように建っている。本当にあの可哀想なヒルコを祀っているというのだろうか。しかしいくら探しても、神社の周りには説明板みたいなものが一切なかったので、結局どの神を祀っているのか、正しいことは知らないままだった。あとで調べたら、どうやら『古事記』のヒルコは後世では福の神・恵比寿と同一視されるようになったらしい。ヒルコを祀ることは即ち恵比寿を祀ることなのだという。だとすれば、この「蛭子神社」は何も可哀想な不遇の神を祀っているわけではなく、福の神を祀っているに過ぎないのかもしれない。

エンジェルロードの近くにある蛭子神社
エンジェルロードの近くにある蛭子神社

秋分はもう過ぎているので昼は日に日に短くなり、夕陽が沈んだあと暫くすると空も暗くなり始めた。店で原付を返却し、タクシーで土庄港に戻り、高松港行きのフェリーに乗り込んだ時、夜の帳は既に深々と下りていた。港に灯る疎らな明かり以外に、周りはすっかり暗闇に沈んでいた。昼と夜とで様相が大きく異なるものを挙げるならば、海はその筆頭に来ると思う。昼間の碧く美しい海は、光がことごとく失われた夜になると果ての見えない黒い水になり、何かを囁いているような寄せては返す波の音も、得体の知れない獣の低い唸り声に聞こえてくる。予定時刻になるとフェリーは港を発ち、一寸先は闇の黒い水の彼岸へ滑っていく。遠ざかる港の明かりを振り返って見つめながら、私は心の中で、この神々の島に無言の別れを告げた。

写真は全て筆者撮影
バナー写真=香川県・高松駅周辺

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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