李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

神々の島・小豆島――初めての四国・その二

暮らし

李 琴峰 【Profile】

自粛生活から解放されて目指したのは、初めて訪れる四国だった。島をめぐり、鬼と観音菩薩とエンジェルと日本創生の神に出会った後、夜のフェリーの中で聞いた波の音は、得体の知れない獣の低い唸り声のようだったという。あれから半年、東京は再び得体の知れないウイルスに苦しめられている。

天使に導かれて、山道を進む

大観音を出て、グーグルマップの指示通り寒霞渓へ向かって原付を走らせ続ける。人里を遠ざかるにつれ、坂の傾斜がどんどん急になっていき、道も曲がりくねってきた。もう山道に入っているのがよく分かる。ある急なカーブで、ふと眼前の景色に惹きつけられ、私はエンジンを止め、しばし留まることにした。灰色の雲に覆われてぼんやりと薄暗かった空だが、いつの間にか雲が割れ、その切れ間から太陽の光が漏れていた。光の束が幾筋も、青々とした平野と、それを囲むように聳え立つ山々に降り注ぎ、まるで何かの天啓のような景色だった。このような薄明光線が天使の梯子という別名を持っていることを思い出し、私はひとり笑みをこぼした。鬼だと菩薩だの、仏様だの天使だの、なんてスピリチュアルな一日なのだろう。

天使の梯子
天使の梯子

また暫く走ると、ある違和感に襲われた。思ったよりだいぶ長い距離を走った気がした。道端で原付を止め、スマホを取り出して確認すると、グーグルマップの目的地の設定をミスしたことにようやく気が付いた。元々は寒霞渓の麓まで行き、そこからロープウェーで山頂へ向かう計画だったが、間違えて目的地を山頂に設定したのだ。もう既に山の中腹まで来ているのだから今更引き返しても仕方がないので、開き直ってそのまま山頂へ突き進むことにした。50ccの原付なので、急勾配を上る時はエンジン全開でも時速30キロしか出なかった。

ひたすら走り続けると、ようやく寒霞渓の山頂に辿り着いた。展望台からは、うっすらと霧がかかっている中、遠くの草壁港(くさかべこう)や内海湾、そしてその近くの島々まで一望できた。10月の寒霞渓は紅葉がなくて少々彩りに欠け、観光客がほとんどなく、ロープウェー乗り場もお土産処もすっからかんで、スタッフが一人、店の片隅に座り込んで営業時間が終わるのを待っているだけだった。寒霞渓は「表十二景」と「裏八景」と呼ばれる美しい景観で知られており、スポットにはそれぞれ「玉筍峰(ぎょくじゅんぼう)」や「層雲壇(そううんだん)」のような趣深く詩的な名前がついている。しかし体力がきつくなってきたし、時刻ももう午後4時半、そろそろ次の目的地に向かわなければならないので、私はとんぼ返りで下山した。色鮮やかな紅葉の寒霞渓は、いつか再訪の時に譲るとしよう。

寒霞渓の山頂からの眺望
寒霞渓の山頂からの眺望

当たり前のことだが、上る時より下りる時の方が断然楽で、あっという間に土庄町の市街地まで戻った。次の目的地は、土庄町にある「天使の散歩道」こと「エンジェルロード」なのだ。これは普段は海に沈んでいるが、干潮の時にだけ浮かび上がる、対岸の小さな島まで繋がる細い砂の道で、つまり1日に2回しか現れないのだ。急いで山を下りたのは干潮の時刻に間に合わせるためであり、ここで夕陽を見るためでもあった。

エンジェルロードから見た夕日
エンジェルロードから見た夕日

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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