李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

神々の島・小豆島――初めての四国・その二

暮らし

李 琴峰 【Profile】

自粛生活から解放されて目指したのは、初めて訪れる四国だった。島をめぐり、鬼と観音菩薩とエンジェルと日本創生の神に出会った後、夜のフェリーの中で聞いた波の音は、得体の知れない獣の低い唸り声のようだったという。あれから半年、東京は再び得体の知れないウイルスに苦しめられている。

観音菩薩の両性具有性

土庄町から大通りに沿って山の方へ進み、市街地を離れると家や店が疎(まば)らになり、車もだんだん少なくなっていく。すると、巨大な白亜の観音像が突如として目の前に現れた。長い裳(も)を身に纏い、慈悲深い顔つきをし、手で印を結び、一輪の花を手に穏やかな微笑みを浮かべているその観音像は、左側の丘の上に鎮座している。

初期の仏教では、観音菩薩というのは元来男性の身だったが、中国や日本に仏教が伝来すると、衆生を慈しむ女性の姿形になって普及していった。言うなれば、観音菩薩は「性転換」を経た神様で、また異なる時代や異なる地域で、男でもあり、女でもあるのだ。その両性具有的な在り方に私は惹きつけられていた。私は宗教を持っていないし、仏教にも特段詳しいわけではないが、突然現れた壮観な観音像はじっくり見てみたいという気持ちになった。

観音像が位置する丘の上への道路は舗装されておらず、土や石が剥き出しになってでこぼこで、原付を転倒させず走らせるのに苦労した。観音像の足元に着いてはじめて、この像は実は寺院であることに気付き、名を「仏歯寺(ぶっしじ)」という。寺の中は見学できるようになっていて、エレベーターに乗れば最上階まで上れて、そこの展望窓からは島の景色を俯瞰できるとのこと。もともと高いところが好きなので、これは見学しない手はない。

平日の午後だからか、伽藍の中は他の信者や旅人がおらず、実にがらんとしていた。1階には書庫があり、その近くでは様々な色や香りの線香が売られていた。奥へ進むと仏間があり、赤いカーペットに黄朽葉色の薄暗い照明、真っ白な観音像が仏壇の真ん中に鎮座していて、なかなか厳かな雰囲気だった。仏間の一角では巨大な数珠が展示されており、「しあわせの大数珠」とも、「ギネスに挑戦 世界一の大数珠」とも書いてあった。

しあわせの大数珠
しあわせの大数珠

更に奥へ進むと明かりが一段と暗くなり、金のメッキを施した胎内仏の仏像が数百数千、通路の両側でびっしり並び、部屋を埋め尽くしていた。全て信者が納めたものだろう。天井に近いところは青い光が当てられ、お経をメロディに乗せて唱える仏教音楽と思しき音楽が微かに流れ、その神々しい吟唱以外に物音一つせず、その中で歩を進めていると足音を立てたり、大きく息をしたりすることも憚られた。

胎内仏がびっしり並ぶ廊下
胎内仏がびっしり並ぶ廊下

エレベーターで最上階である13階に上り、更に54段の螺旋階段を上っていくと「釈迦殿」、またの名は「仏歯の間」と呼ばれる部屋に辿り着く。説明を読んで、ようやくこの巨大な観音像の来歴を知る。この大観音が竣工したのは1994年のことで、スリランカのキャンディに位置するダラダー・マーリガーワ寺院から仏歯を寄贈されたのが工事のきっかけだった。この観音像が仏歯を祀るための寺院というわけだ。

釈迦殿への螺旋階段も仏像がずらりと並び、雰囲気が厳か
釈迦殿への螺旋階段も仏像がずらりと並び、雰囲気が厳か

釈迦殿では当時のスリランカ大統領、R・プレマダーナ氏から寄せられたメッセージも展示されている。スリランカとの交流がきっかけで建てられた寺院だが、この寺の建築様式はスリランカの上座部仏教式のものではなく、どちらかといえば大乗仏教のそれのように思われた。釈迦殿の北側と南側の壁にはそれぞれ窓が3つ開いている。光を取り入れるためのものでもあり、そこから島内の風景を眺めることもできる。片方からは幾重にも連なる緑の山々が見え、もう片方からは遠くの瀬戸内海の青い海が眺望できる。仏像が立ち並ぶ荘厳な部屋による洗礼の後、美しい山と海の景色が眺められて、身の心も洗われた気分になり、偶然この観音像の存在に気付いてよかったと心底思った。ちなみに3つの窓の開いている場所は、観音像の胸元のアクセサリーのところに当たる。

釈迦殿の展望窓から望む島内風景
釈迦殿の展望窓から望む島内風景

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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