李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

神々の島・小豆島――初めての四国・その二

暮らし

自粛生活から解放されて目指したのは、初めて訪れる四国だった。島をめぐり、鬼と観音菩薩とエンジェルと日本創生の神に出会った後、夜のフェリーの中で聞いた波の音は、得体の知れない獣の低い唸り声のようだったという。あれから半年、東京は再び得体の知れないウイルスに苦しめられている。

小豆島(しょうどしま)が小豆(あずき)を生産しないことを密かに残念に思っている。甘い小豆ではなく、しょっぱい醤油や苦いオリーブがこの島の特産物だ。

徳島を出て、電車1時間で香川県最大の高松駅に着く。香川県北方の瀬戸内海に浮かぶ数多くの離島に連絡するフェリーの乗り場は、駅から歩ける距離にある。これらの離島では3年に1度、「瀬戸内国際芸術祭」が開催され、私は関連する翻訳案件を請け負ったことがあるものの、実際に瀬戸内海を訪れるのは今回が初めてだ。夥しい数の離島は当然回り切れないので、行きたい島は事前に決めてある。桃太郎伝説に出てくる鬼ヶ島と言われる女木島(めぎじま)と、名前が美味しそうな小豆島だ。女木島は男木島(おぎじま)と合わせて「雌雄島(しゆうじま)」と呼ばれるが、時間の関係でオスの方は割愛することにした。

観光資源となった鬼

高松港から女木島までフェリーで僅か20分。上陸すると目の前は「鬼の灯台」に「おにの館」の鬼づくし、島の案内図でも「女木島」の正式名称ではなく「鬼ヶ島」という名称を使っており、港から目玉の観光地である「鬼ヶ島大洞窟」までの往復バス便も整備されている。島にとって桃太郎伝説とのゆかりが大事な観光資源になっていることがよく分かる。

鬼ヶ島・女木島のあちこちにこのような人形がある
鬼ヶ島・女木島のあちこちにこのような人形がある

かつては鬼たちが巣くっていたという「鬼ヶ島大洞窟」の中はいかにもという感じで、大広間や居間、会議場などいくつもの部屋に仕切られていて、宝庫や監禁室まであり、あちこち桃太郎と鬼の立て看板や人形が設置されている。監禁室には鉄の柵が嵌められており、中には囚われた女性の人形もあって、なかなかシュールだ。薄暗くひんやりとした洞窟を回りながら「かの有名な桃太郎伝説のゆかりの地に来ている!」という感動に耽りたいところだが、残念ながら桃太郎伝説はただのファンタジーであり、この島が鬼ヶ島だったというのも単なるこじつけだろう。当然、真に受けてはいけない。何しろ、鬼ヶ島のモデルを自称する土地は、日本では他にいくらでもあるのだ。鬼ヶ島がそんなにたくさんあってたまるか。ただ、案内板の説明文によれば、女木島の「鬼ヶ島大洞窟」は自然にできたものではなく人工的に作られたものらしく、だとしたら遠い昔、本当に誰かがその中で暮らしていたのかもしれない。入口の両側にある階段からは洞窟の直上の山、鷲ヶ峰(わしがみね)の山頂の展望台まで上れて、そこから望む瀬戸内海の眺望は開放感があって、とてもよかった。

鬼ヶ島大洞窟内の監禁室
鬼ヶ島大洞窟内の監禁室

予想外のものに出会える原付の旅

女木島から一旦高松港に戻り、そこからまたフェリーに乗って小豆島へ向かう。乗船時間は1時間、小豆島の土庄港(とのしょうこう)に着いたのは午後1時半ごろ。今日は雲が厚く、空は少し霞んで見え、港の近くはしんとしていて、観光客がほとんどいない。コンビニで適当に腹ごしらえをしてから、私は原付をレンタルし、島の旅を始めた。

自動車免許は18歳のとき既に台湾で取ったし、日本に来た後もそれを日本の免許に切り替えたが、何を隠そう、道路で実際に車を運転したことが一度もなく、免許保有歴イコールペーパードライバー歴という有り様だ。交通が便利な東京に住んでいるのだから普段は車を運転する必要はないが、地下鉄や電車がなかったり、バスの本数が少なかったりする地方や海外に旅行すると、アシがなくていつも不便に思う。2019年与那国島を旅行したとき他の観光客に言われてはじめて、バイクの免許がなくても自動車免許を持っていれば50ccの原付スクーターは運転できることを知った。原付なら台湾にいた頃は割かし乗っていたので、何ら難しくはない。かくしてあの時は原付で与那国島を回る旅をし、バス時刻に縛られることなく島内の風景をじっくり堪能することができた。以来、原付で島旅をする楽しさにハマっている。とはいえ、日本はバイク社会ではなく、レンタカーの店はあちこちあるけれど、原付やバイクが借りられる店は少ない。幸い、小豆島にはあった。港から少し距離があったので、店にはタクシーで行った。

小豆島で最も有名な景勝地は何をおいても寒霞渓(かんかけい)なのだろう。それは雄大な渓谷で、秋が深まると紅葉スポットとしても有名なので、いつも観光客が殺到するという。ただ10月上旬の今は当然紅葉が見られるわけもなく、しかも平日なので観光客がほとんどおらず、バスですら寒霞渓には行かない。原付で行くしかないのだ。

公共交通機関を使う旅はしばしば点と点の移動になりがちで、移動の途中で気になるものを見つけてゆっくり見てみたい気持ちになっても、車を降りるわけにはいかない。自分で運転するとそれができるので、予想外のものに出会う楽しみがある。小豆島大観音が、そんな予想外の出会いの一つだ。

小豆島大観音
小豆島大観音

観音菩薩の両性具有性

土庄町から大通りに沿って山の方へ進み、市街地を離れると家や店が疎(まば)らになり、車もだんだん少なくなっていく。すると、巨大な白亜の観音像が突如として目の前に現れた。長い裳(も)を身に纏い、慈悲深い顔つきをし、手で印を結び、一輪の花を手に穏やかな微笑みを浮かべているその観音像は、左側の丘の上に鎮座している。

初期の仏教では、観音菩薩というのは元来男性の身だったが、中国や日本に仏教が伝来すると、衆生を慈しむ女性の姿形になって普及していった。言うなれば、観音菩薩は「性転換」を経た神様で、また異なる時代や異なる地域で、男でもあり、女でもあるのだ。その両性具有的な在り方に私は惹きつけられていた。私は宗教を持っていないし、仏教にも特段詳しいわけではないが、突然現れた壮観な観音像はじっくり見てみたいという気持ちになった。

観音像が位置する丘の上への道路は舗装されておらず、土や石が剥き出しになってでこぼこで、原付を転倒させず走らせるのに苦労した。観音像の足元に着いてはじめて、この像は実は寺院であることに気付き、名を「仏歯寺(ぶっしじ)」という。寺の中は見学できるようになっていて、エレベーターに乗れば最上階まで上れて、そこの展望窓からは島の景色を俯瞰できるとのこと。もともと高いところが好きなので、これは見学しない手はない。

平日の午後だからか、伽藍の中は他の信者や旅人がおらず、実にがらんとしていた。1階には書庫があり、その近くでは様々な色や香りの線香が売られていた。奥へ進むと仏間があり、赤いカーペットに黄朽葉色の薄暗い照明、真っ白な観音像が仏壇の真ん中に鎮座していて、なかなか厳かな雰囲気だった。仏間の一角では巨大な数珠が展示されており、「しあわせの大数珠」とも、「ギネスに挑戦 世界一の大数珠」とも書いてあった。

しあわせの大数珠
しあわせの大数珠

更に奥へ進むと明かりが一段と暗くなり、金のメッキを施した胎内仏の仏像が数百数千、通路の両側でびっしり並び、部屋を埋め尽くしていた。全て信者が納めたものだろう。天井に近いところは青い光が当てられ、お経をメロディに乗せて唱える仏教音楽と思しき音楽が微かに流れ、その神々しい吟唱以外に物音一つせず、その中で歩を進めていると足音を立てたり、大きく息をしたりすることも憚られた。

胎内仏がびっしり並ぶ廊下
胎内仏がびっしり並ぶ廊下

エレベーターで最上階である13階に上り、更に54段の螺旋階段を上っていくと「釈迦殿」、またの名は「仏歯の間」と呼ばれる部屋に辿り着く。説明を読んで、ようやくこの巨大な観音像の来歴を知る。この大観音が竣工したのは1994年のことで、スリランカのキャンディに位置するダラダー・マーリガーワ寺院から仏歯を寄贈されたのが工事のきっかけだった。この観音像が仏歯を祀るための寺院というわけだ。

釈迦殿への螺旋階段も仏像がずらりと並び、雰囲気が厳か
釈迦殿への螺旋階段も仏像がずらりと並び、雰囲気が厳か

釈迦殿では当時のスリランカ大統領、R・プレマダーナ氏から寄せられたメッセージも展示されている。スリランカとの交流がきっかけで建てられた寺院だが、この寺の建築様式はスリランカの上座部仏教式のものではなく、どちらかといえば大乗仏教のそれのように思われた。釈迦殿の北側と南側の壁にはそれぞれ窓が3つ開いている。光を取り入れるためのものでもあり、そこから島内の風景を眺めることもできる。片方からは幾重にも連なる緑の山々が見え、もう片方からは遠くの瀬戸内海の青い海が眺望できる。仏像が立ち並ぶ荘厳な部屋による洗礼の後、美しい山と海の景色が眺められて、身の心も洗われた気分になり、偶然この観音像の存在に気付いてよかったと心底思った。ちなみに3つの窓の開いている場所は、観音像の胸元のアクセサリーのところに当たる。

釈迦殿の展望窓から望む島内風景
釈迦殿の展望窓から望む島内風景

天使に導かれて、山道を進む

大観音を出て、グーグルマップの指示通り寒霞渓へ向かって原付を走らせ続ける。人里を遠ざかるにつれ、坂の傾斜がどんどん急になっていき、道も曲がりくねってきた。もう山道に入っているのがよく分かる。ある急なカーブで、ふと眼前の景色に惹きつけられ、私はエンジンを止め、しばし留まることにした。灰色の雲に覆われてぼんやりと薄暗かった空だが、いつの間にか雲が割れ、その切れ間から太陽の光が漏れていた。光の束が幾筋も、青々とした平野と、それを囲むように聳え立つ山々に降り注ぎ、まるで何かの天啓のような景色だった。このような薄明光線が天使の梯子という別名を持っていることを思い出し、私はひとり笑みをこぼした。鬼だと菩薩だの、仏様だの天使だの、なんてスピリチュアルな一日なのだろう。

天使の梯子
天使の梯子

また暫く走ると、ある違和感に襲われた。思ったよりだいぶ長い距離を走った気がした。道端で原付を止め、スマホを取り出して確認すると、グーグルマップの目的地の設定をミスしたことにようやく気が付いた。元々は寒霞渓の麓まで行き、そこからロープウェーで山頂へ向かう計画だったが、間違えて目的地を山頂に設定したのだ。もう既に山の中腹まで来ているのだから今更引き返しても仕方がないので、開き直ってそのまま山頂へ突き進むことにした。50ccの原付なので、急勾配を上る時はエンジン全開でも時速30キロしか出なかった。

ひたすら走り続けると、ようやく寒霞渓の山頂に辿り着いた。展望台からは、うっすらと霧がかかっている中、遠くの草壁港(くさかべこう)や内海湾、そしてその近くの島々まで一望できた。10月の寒霞渓は紅葉がなくて少々彩りに欠け、観光客がほとんどなく、ロープウェー乗り場もお土産処もすっからかんで、スタッフが一人、店の片隅に座り込んで営業時間が終わるのを待っているだけだった。寒霞渓は「表十二景」と「裏八景」と呼ばれる美しい景観で知られており、スポットにはそれぞれ「玉筍峰(ぎょくじゅんぼう)」や「層雲壇(そううんだん)」のような趣深く詩的な名前がついている。しかし体力がきつくなってきたし、時刻ももう午後4時半、そろそろ次の目的地に向かわなければならないので、私はとんぼ返りで下山した。色鮮やかな紅葉の寒霞渓は、いつか再訪の時に譲るとしよう。

寒霞渓の山頂からの眺望
寒霞渓の山頂からの眺望

当たり前のことだが、上る時より下りる時の方が断然楽で、あっという間に土庄町の市街地まで戻った。次の目的地は、土庄町にある「天使の散歩道」こと「エンジェルロード」なのだ。これは普段は海に沈んでいるが、干潮の時にだけ浮かび上がる、対岸の小さな島まで繋がる細い砂の道で、つまり1日に2回しか現れないのだ。急いで山を下りたのは干潮の時刻に間に合わせるためであり、ここで夕陽を見るためでもあった。

エンジェルロードから見た夕日
エンジェルロードから見た夕日

ロマンチックなエンジェルロードを一人で味わう

人っ子一人いない寒霞渓とは違い、エンジェルロードには観光客がちらほらいて、そのほとんどが若者だった。一緒に旅行しているらしい数人の若い女の子が近くではしゃぎながらお喋りしていて、盗み聞きをするつもりがなくても話し声が勝手に潮風に乗って耳に入ってくる。「今度は男と一緒に来たいなー」だそうだ。「エンジェルロード」はロマンチックな名前だし、ここも「恋人の聖地」に選ばれているから、女の子たちの気持ちも分からないでもない。とはいえ、私みたいに傍に友達も恋人もいなくて、一人で漫然と写真を撮ったり、太陽が夕焼けを纏いながら向こう側の山へと沈んでいくのを静かに眺めたりするのも、また一興である。

干潮時にのみ浮かび上がる天使の散歩道、エンジェルロード
干潮時にのみ浮かび上がる天使の散歩道、エンジェルロード

エンジェルロードの近くに目立たない小さな神社がある。名を「蛭子神社」という。日本最古の歴史書『古事記』によれば、創生の兄妹神、伊邪那岐と伊邪那美が日本列島を産むことに成功する前に、女である伊邪那美の方が先に声をかけたせいで、最初に生まれた島は失敗作になったという。それが「蛭子(ヒルコ)」なのだ。『古事記』の原文ではヒルコについて「不良(良くあらず)」としか書かれていないが、後世では異形の子ではないかと推測されている。ともあれ、兄妹神はヒルコを葦船に乗せ、海へ流して捨てたのだった。

最初にこの神話を読んだ時は憤りを覚えたものだった。この神話には男尊女卑臭があまりにもぷんぷんしているし、また、生まれてきた我が子を気に入らないからってすぐそれを捨てた兄妹神の無責任ぶりにも辟易した。エンジェルロードの近くの「蛭子神社」はまさしく神話の中の、あの捨てられた異形の神の如く、砂浜の一角で肩身が狭そうに、身を潜めるように建っている。本当にあの可哀想なヒルコを祀っているというのだろうか。しかしいくら探しても、神社の周りには説明板みたいなものが一切なかったので、結局どの神を祀っているのか、正しいことは知らないままだった。あとで調べたら、どうやら『古事記』のヒルコは後世では福の神・恵比寿と同一視されるようになったらしい。ヒルコを祀ることは即ち恵比寿を祀ることなのだという。だとすれば、この「蛭子神社」は何も可哀想な不遇の神を祀っているわけではなく、福の神を祀っているに過ぎないのかもしれない。

エンジェルロードの近くにある蛭子神社
エンジェルロードの近くにある蛭子神社

秋分はもう過ぎているので昼は日に日に短くなり、夕陽が沈んだあと暫くすると空も暗くなり始めた。店で原付を返却し、タクシーで土庄港に戻り、高松港行きのフェリーに乗り込んだ時、夜の帳は既に深々と下りていた。港に灯る疎らな明かり以外に、周りはすっかり暗闇に沈んでいた。昼と夜とで様相が大きく異なるものを挙げるならば、海はその筆頭に来ると思う。昼間の碧く美しい海は、光がことごとく失われた夜になると果ての見えない黒い水になり、何かを囁いているような寄せては返す波の音も、得体の知れない獣の低い唸り声に聞こえてくる。予定時刻になるとフェリーは港を発ち、一寸先は闇の黒い水の彼岸へ滑っていく。遠ざかる港の明かりを振り返って見つめながら、私は心の中で、この神々の島に無言の別れを告げた。

写真は全て筆者撮影
バナー写真=香川県・高松駅周辺

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