李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

精一杯の秘境・祖谷——初めての四国・その一

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李 琴峰 【Profile】

コロナ禍で最初の緊急事態宣言が出てからの半年間、外出先と言えばドラッグストアやドン・キホーテやスーパーくらい、打ち合わせも取材も講演もほとんどオンラインだったという。自粛生活から解放された李琴峰が向かった先は、日本三大秘境の1つである祖谷(いや)エリア。バスが通り、土産物屋や食事処が軒を連ねる場所が果たして秘境なのか? という疑問はさておき、新鮮でひんやりとした空気、深い緑色の川の流れが、旅への渇望感を満たしてくれる。

秘境の奇橋 : 祖谷のかずら橋

遊覧船乗り場は大歩危駅から徒歩25分のところにあり、バスも一応はあるものの本数が少ないので歩いていくことにした。乗船するには乗船名簿を記入する必要があるが、そこに国籍の欄があり、素直に「台湾」と書くと係の人は中国語の案内パンフレットを渡してきたり、やたらと聞き取れない台湾語で話しかけてきたりして、日本語でいいと言っても聞き入れてもらえず対応に困った。コロナ禍で外国人観光客が激減している中で珍しく現れた外国籍の客におもてなしをしようというつもりかもしれないが、普通に日本語で対応してほしかった。

切符売り場からひたすら階段を下りていくと谷底に着き、そこから船に乗ることになっている。船頭の解説によれば、大歩危峡両側の岩壁は約2億年前に海底で形成された含礫片岩(がんれきへんがん)で非常に珍しいものらしく、地質学的な価値も高いという。残念ながら中学時代から地球科学が苦手なので詳しい仕組みは分からないが、よく眺めると、確かに石英の結晶みたいな規則的で綺麗な片理になっている。川の水は深い緑色になっており、流れはさほど速くなく、せせらぎが耳を洗っていて心地良く、よく見ると水の中を魚が泳いでいる。船は暫く川をゆっくり下ってからUターンをし、今度は川を遡って乗船場に戻ってくる。

大歩危峡の両側の含礫片岩の片理
大歩危峡の両側の含礫片岩の片理

乗船場を出て、次はバスに乗って「祖谷のかずら橋」へ向かう。こちらはバスでも40分かかるので、流石に徒歩は無理だった。1日8本しかないバスが曲がりくねった山道を辿って山奥に分け入るにつれ、窓の外の風景も絶壁と針葉樹林に変わっていく。バスがなければとても来られるようなところではない。途中で何軒かの温泉旅館で停車した。こんな山の中の温泉旅館に缶詰で小説を書いたらどんな気分なのだろう、などと詮無き想像をせずにはいられなかった。

「祖谷のかずら橋」は文字通り蔓(かずら)で編み連ねて作った橋で、長さ45メートルの吊り橋が祖谷川渓谷の両岸に架けられており、広く空いている橋床の隙間から谷底が見えて、渡るのはなかなかにスリルだ。網も張られていないし、谷底の河原は巨岩で埋め尽くされているので落ちたら最後、万に一つも助かるはずがない。そのため、橋を渡る人たちはみなしっかり手すりに掴まりながら、一歩一歩慎重に足を運んでいる。

この橋もまた「日本三奇橋」の1つに数えられており、元は谷によって分断される山中の集落を連絡するためのものだが、誰がいつ作ったのかは不明で、平家の落人の手によるものだとか、弘法大師・空海が住民のために作ったものだとか、様々な伝説が残っている。今は安全のため3年に1度架け替え工事をしているらしい。

祖谷のかずら橋
祖谷のかずら橋

祖谷のかずら橋を渡る時祖谷のかずら橋を渡る時

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日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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