Netflix『マルコ・ポーロ』シーズン1&2 :大胆な歴史解釈と比類なき映像美でみせる壮大なドラマ
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父に捕虜として置き去りにされるマルコ
17歳のマルコ(ロレンツォ・リチェルミ)は、商人である父・ニコロ、叔父・マッフェオと共に東へ向かった。長い旅の末、フビライ(ベネディクト・ウォン)が造営した都市カンバリク(現・北京)に到着するが、父は交易路の確保と引き換えに、「息子は陛下の僕(しもべ)です」と言って、マルコを置き去りにする。
マルコは「捨てられた」と思う。捕虜であり、賓客(ひんきゃく)でもあるマルコは、フビライの監視下で必死に生き延びていくことになった。乗馬をはじめ武芸の特訓を受け、フビライから「見たままを報告せよ」と命じられて領土内のあちこちへ派遣される。
観察眼に優れたマルコをフビライは重宝がり、2人は“疑似親子”のような関係になっていく。
若さゆえの情熱と誠実さで周囲の信頼を得るものの、異文化の考え方をすんなり受け入れることはできなかった。そんな中、マルコはフビライに滅ぼされたある王族の唯一の生き残り、蒼い王女(チュウ・チュウ)に心引かれる。
フビライの宮廷に囚われた多国籍な人々
フビライの宮廷には、モンゴル人以外にもさまざまな人々がいる。
名前でなく「ラテン人」と呼ばれるマルコ。
謎めいた行動を取る蒼い王女。
ムスリムのアフマド(マヘシュ・ジャドゥ)はフビライの膝下(しっか)で育ち、財務長官として重きをなしている。
宋の道教寺院にいた「百の眼」ことリー・ジンバオ(トム・ウー)は、皇太子チンキム(レミー・ヒー)の武芸の師匠であり、多くの武人を育てている。マルコも百の眼に鍛えられた一人だ。
それぞれ居場所を得ているが、“囚われの身”でもある。彼らは忠誠を尽くすのか、その衣の下にやいばを隠すのか―。
重層的に描かれる父子関係
『マルコ・ポーロ』は「父と子」を描くドラマでもある。何組もの父と子が、思い合い、憎み合い、裏切り、裏切られる。それぞれが抱える葛藤を丁寧に描き出し、見ごたえがある。
ニコロはマルコの生前から遠路、貿易の旅に出かけたため、マルコは父を知らずに育った。父への思いはとても複雑だ。父によって何度も窮地に立たされるが、親子の情を断ち切ることはできない。一方、ニコロはマルコを愛してはいるものの、ある使命を負っており、そのためには息子の命を斟酌(しんしゃく)しない苛烈さがある。
むしろ、マルコはフビライとの間に、怖れながらも親密な関係を築いていくのだ。
フビライと子供たちの間柄も複雑だ。
皇后チャブイとの間に生まれた皇太子チンキムは、なかなか父から評価されず苦悩する。フビライが示すマルコへの厚情に、嫉妬心をあらわにしてしまう。モンゴル人でありながら、中国風の教育を授けられ、それが父との距離を遠いものにしていた。
嫡子(ちゃくし)と比べて扱いの差が歴然としている庶子(しょし)は、もはや父を父とも思えずにいる。
また、フビライとハーン(モンゴル帝国最高君主)の座を争うハイドゥも、後継者として息子と娘のどちらを選ぶのか大いに悩んでいた。父の方針に批判的な娘は、苦渋の決断を迫られる。
そして、フビライの実子同様に育てられたアフマドが抱える心の闇は、ドラマの展開に大きく影響することになるのだ。
エンターテインメントに徹した贅沢なつくり
『東方見聞録』はマルコ・ポーロが異郷で過ごした20年以上の歳月を口述筆記したものだ。
中には伝聞も含まれ、多種類の写本が存在していることから、どこまでが実際に見聞きしたものかは分からないようだ。
そんなマルコ・ポーロだから、どんなドラマにもなり得るということだろう。
史実に必ずしもこだわらず、自由で大胆に解釈し、エンターテインメントに徹している。マルコが八面六臂(ろっぴ)の大活躍を見せ、ワクワクする物語が編まれているのだ。
それは何より映像の見事さによく表れている。カザフスタンをはじめ東欧、マレーシアなどで撮影され、ゲル(移動式住居)が並ぶ大平原や山岳地帯の雄大さ、重厚な宮殿としっとりとした庭園の美しさなどが印象的だ。
モンゴルといえば「馬」は欠かせない。遠く、近く、時に空から、カメラは縦横無尽に馬を追う。単騎で駆ける姿もいいが、軍団の移動や白馬の群れが疾走するシーンは迫力満点。その美しさに陶然とする。
金が映えるエキゾチックな衣装も豪華で、エキストラの数も膨大だ。
これらは巨額の製作費の大きな部分を占めていることだろう。ストーリー以上に映像美が注目され、評価された(2016年の全米撮影監督協会賞を受賞)のも頷ける。制作費の負担が重すぎたのか、ストーリーが複雑過ぎて広範な支持を得られなかったからか、シーズン2で製作は打ち切られてしまった。タイトルが『マルコ・ポーロ』なのに、フビライにスポットが当たり過ぎたきらいもある(それが大いに興味を引くのだが)。
しかし、打ち切り、すなわち失敗作、とは言えないように思う。
宋王朝との戦いや宮廷内の権力闘争、ハーンの座をめぐる一族間の確執、美しい舞いを見るような百の眼のカンフーなど、見ごたえのあるシーンの連続だ。悪役のキャラクターも立っている。
シーズン1から2へと進むにつれ、物語の展開は巧みになり、高揚感が増していく。マルコの成長やフビライの心情の描写も細やかで、蒼い王女の運命にハラハラしてしまう。
なんの予備知識がなくても楽しめるようになってはいるが、チンギス・ハーンを祖とする帝国の歴史に少しでも関心を寄せれば、面白さは何倍にもなるだろう。
「百の眼」を主人公にした特別編を含め、大いに楽しんだ。願わくは、いつか、マルコのその後を見たい。
Netflixシリーズ『マルコ・ポーロ』シーズン1~2独占配信中