稲葉可奈子(産婦人科医):「女性がより快適な日々を送るためには」:犬山紙子対談 第11回
ジェンダー・性 健康・医療 社会- English
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かかりつけの婦人科医を持つことの重要性
犬山 この数年、雑誌でもフェムテックの特集が組まれるようになり、生理をはじめとする女性のつらさに寄り添う動きが出てきたことは、個人的にはとても歓迎すべきことだと思っています。
稲葉 2021年には流行語大賞にノミネートされましたし、日本で女性の健康がここまでフォーカスされるようになったのは、おそらく初めてのことではないでしょうか。
犬山 ただ、ブームの中でエビデンス(科学的根拠)の裏付けはあるのか、と心配になる情報も混在していると感じていて。稲葉さんは医師の立場から、正しいフェムテックの啓発など、さまざまな活動をされていると聞き、ぜひお話を伺ってみたいと思っていました。
稲葉 ありがとうございます。まず、「女性がより快適になるために」という理念はいいのですが、日本の現在のフェムテックはセルフケアが主体になっていて、医療を抜きにして語られがちだと感じています。一方、フェムテックが誕生した欧米では、初潮が来たらかかりつけの産婦人科医を持つのが当たり前で、その上でフェムテックがあるんですね。
犬山 日本では婦人科に行くこと自体に抵抗がある人も多いですよね。
稲葉 生理に伴う不調や妊娠、出産、更年期は、根本的にはホルモンが関与していますから、改善するためには、ある程度適切な医療介入というのがやはり必要です。ところが、フェムテックの商品はエビデンスがなく、「これを使ってより快適になってね」という、「なれるかも」みたいなものが多いんですね。誤った認識が広がると、結局、女性がセルフケアの呪縛(じゅばく)に陥りかねないのでは、と危惧を抱いています。
犬山 医療を土台にしつつフェムテックで自愛をするという流れの基盤が日本ではまだまだ整備されていない状況なのですね。確かに経血量が異常に多いのに、「月経カップで前より楽になったから大丈夫」などと、病院に行かないで自己解決できると勘違いされるのは問題ですよね。まずは気軽に婦人科で診察を受ける習慣付けが大切だと思うのですが、私自身、初潮が来たときには婦人科に行っておらず、初めて婦人科で診察を受けたのは20歳の頃です。しかも恥ずかしくてコソコソと行った覚えがある。実は大人でもかかりつけの産婦人科医を持っている人は少ないのではないでしょうか。
稲葉 おっしゃる通り、持っていない方が多いのが現状です。かかりつけの産婦人科医がいると、生理痛の相談もできますし、例えば「今度結婚する予定があって」とか「妊活をいつ頃したい」とか「これは更年期の不調なのか」など、気軽に相談できるようになります。
SRHRの普及活動
犬山 自分の周りでも更年期で悩んでいる人が多く、私もいろいろと学んでいるのですが、初めて知ることもすごく多くて。
稲葉 きちんと知る機会のないまま、漠然と恐怖心を抱いている方は多いですね。中には40歳前後で一時的な不調なのに、「更年期かもしれない」と悩んでいる方もいらっしゃいます。更年期もホルモンの影響なので、適切な医療介入で改善できますので、産婦人科医に相談をしてほしいですね。
犬山 私には5歳の娘がいるのですが、子供に初潮が来たときに、どのようにかかりつけの産婦人科医を見つけたらいいのでしょうか?
稲葉 まず、できれば初潮が来る前に、生理やホルモンについてお子さんと話をしていただきたいです。生理痛や経血量に異常がなければ、無理して産婦人科医に行く必要はありませんが、「困ったら一緒に行こうね」などと声をかけてあげてほしい。ベストなのは、お母さんにかかりつけの産婦人科医があることです。自分の知らない病院に娘を行かせるのは、不安があると思いますし。
犬山 なるほど。確かに医者にばかにされたような口調をされたり、怒られたり、嫌な思いをして帰ってくる方も多い。病院不信になっている方も結構いらっしゃると思います。
稲葉 これは全力でおわびします。実は産婦人科のドクターの間でも悩みの種なんです。東京なら病院の選択肢は多いのですが、地方だと選択肢がないこともあります。そこでMFCとは別に、もっとSRHRについて発信していく活動もしています。SRHRとはSexual and Reproductive Health and Rightsのことで、「性と生殖に関する健康と権利」を意味します。全ての人が自分の性や出産を自分で選択できることを掲げ、内閣府や地方自治体でも使われています。今後は、SRHRに賛同していて、女性が安心して受診できる産婦人科リストも作っていきたいと思っています。
犬山 そういう情報があるとうれしいですね。このような必要情報が発信されていなかったり、緊急避妊薬が薬局で買えないなど、日本ではまだまだ課題も多いですし、女性の自己決定権が尊重されていない印象があります。
稲葉 そうですね。例えば、先日、フランスでは全ての年齢の女性が、緊急避妊薬を医師の処方箋なしで、無料で手に入れられるようになりました。ただ、フランスでは基本的な避妊の知識と、避妊法へのアクセス(避妊具や避妊薬の入手ルートや方法)の良さがセットになっています。一方、日本は十分な情報提供(教育)もなく、アクセスも悪い状況です。
希望出生率と合計特殊出生率
犬山 日本では避妊=コンドームと思っている人が圧倒的ですが、コンドームでは15%は(避妊に)失敗すると言われていることが知られていなかったり……。
稲葉 そうなんです。低用量ピルや子宮内避妊器具もあり、女性自身が自分の身を守ることができるという教育・啓発がきちんと行われるべきです。小学校高学年や中学生のうちに、そうした方法があると知る機会を作ってほしいですね。そして、無料とまではいかなくても、せめて保険適用になれば、経済的にも心理的にもハードルが下がると思います。もう1つの危惧は、日本は希望出生率(妊娠可能年齢世代における結婚や出産の希望がかなったときの出生率)の水準が達成できていないことです。
犬山 日本の希望出生率はどれぐらいなのでしょうか?
稲葉 1.8です。それに対して合計特殊出生率(15~49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの)は1.3。ここ数年、出生率低下が急激に進んでいるので、このままでは社会として大丈夫なのかとも危惧しています。
犬山 経済面や自分のキャリアを考えると産めないという人もいます。
稲葉 子供を望む方もいれば、望んでいない方もいて、多様な生き方があっていいのですが、子供を望んでいるのに、何かしらのハードルがあって、かなわないというのは改善していきたいですね。
犬山 確かにそうですね。そのためには教育が重要だと思うのですが、私たちの子供時代とは性教育は変わってきているのでしょうか?
稲葉 これは学校によって温度差があるのが現状です。ただ、最近10代向けの雑誌や漫画に生理の情報が掲載されたり、社会全体が変わってきているとは感じています。
犬山 子供が読む漫画雑誌に入っているのはすごくいいですよね。
誤った認知の拡散
稲葉 一方でフェムテックが急速に拡大したことで、誤った認知が拡散していると感じることもあります。例えば卵巣年齢をチェックする検査をご存知ですか?
犬山 聞いたことはあります。
稲葉 AMH(Anti-Mullerian Hormone、抗ミュラー管ホルモン)というホルモンの値を測る検査で、血液をほんの少し採取して郵送すると「卵巣年齢を測れる」と謳(うた)っているサービスです。
犬山 すごく科学的に聞こえますね。
稲葉 けれども、実はAMHは不妊治療をする方の治療方針を決める上で参考にするホルモンで、自分が妊娠できるかどうかを反映するものではありません。例えば30代の方が「卵巣年齢25歳」となっても、妊娠を先延ばしにできる根拠にはなりません。逆に「卵巣年齢50歳」となっても、ネガティブになる必要もありません。ところが、この検査を取り入れる企業や自治体が出てきている。この検査の認知が誤ったまま広がっていくと、結婚する時に男性が「AMHはいくつ?」と聞く、なんて話にもなりかねません。エビデンスがあり、方向性が合っていればまだしもですが、女性の健康がビジネスの対象になってしまっていることは懸念材料です。
犬山 確かにフェムテックの特集などでは、商品ありきの取り上げ方が多いですよね。もちろん良い側面も多いので、フェムテックをきっかけに正しい知識を得、そして、まずは産婦人科に行こうということですね。
稲葉 そうです。女性は自分の体に対して自己決定権を持っているということを知ってもらいたいですね。
犬山 先生とお話をして、ずっとモヤモヤしていたことが解消された気がします。今日はありがとうございました。
対談まとめ:林田順子 撮影:上平庸文
本連載は今回を以て終了となります。長らくご愛読、ありがとうございました。