大野将平:「柔道ニッポン」の中でも最も金メダルに近い男―東京五輪の金メダル候補たち(3)
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柔道の復活
1992年に山口県で生まれた。エリート養成の私塾である東京の講道学舎に入り、天理大に進んだ。講道学舎は古賀稔彦、吉田秀彦らの五輪金メダリストを育て、天理大では五輪3連覇の偉業を果たした野村忠宏が技を磨いた。恵まれた環境といえる。
大野の競技生活は若いころからすべてが順調だったとはいえないが、もがきながら柔道と真摯に向き合ったことで心身が鍛えられた。13年の世界選手権で初優勝し、15年でも勝った。優勝候補として初の五輪に臨んだ16年リオデジャネイロ五輪では、大会前に「最低でも金メダル」という、逃げることのできないプレッシャーを自らにかけた。
結果は圧勝だった。日本男子は12年ロンドン五輪で金メダルゼロに終わっていただけに、鮮やかな勝利は「柔道ニッポン」の復活をより強く印象付けた。さらに、大野の勝っても相手への礼を欠かさない態度は、柔道家のあるべき姿としてたたえられた。テディ・リネール(フランス)ら世界のトップ選手からも一目置かれる存在となった。
一本勝ちこそがスタイル
大学院での勉強のために一時は競技から離れたが、それも4年という五輪のスパンを考えればよかったのだろう。昨年の世界選手権では、6試合すべて一本勝ちという快進撃で「大野強し」をあらためて国内外に知らしめた。2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会でライバルの安昌林(韓国)を破って優勝したときも、「本戦(五輪)しか私は見ていない」とさらりと言ってのけた。
男子柔道で日本勢の五輪連覇はこれまで、先輩の野村や斉藤仁、内柴正人の3人しか達成していない。それでも大野は勝つことだけをゴールとは考えていない。より高い理想があるという。「自分の柔道スタイルを証明するために2連覇という結果が必要」と言い切る。
そのスタイルとは、しっかり相手と組んで正しく投げる、というものだ。その先に一本勝ちがある。
28歳の大野は、唯一無二の絶対的な存在であることを示すために、64年東京五輪の会場ともなった「聖地」日本武道館での戦いに挑む。
写真:世界柔道決勝で一本勝ちした大野将平(時事通信)