藤田倭:ソフトボール界の“二刀流”にして、レジェンド投手・上野由岐子と並ぶ二枚看板―東京五輪アスリートの肖像(11)
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先発完投型にして長距離砲
日本が悲願の金メダルを獲得した2008年北京五輪以来、3大会ぶりに実施されるソフトボール。13年越しの“五輪連覇”を狙う東京大会には、上野由岐子に続くニューヒロイン候補がいる。投打の二刀流として大車輪の活躍を期待されている藤田倭(ビックカメラ高崎)だ。
投手としては、大エースの上野と並ぶ先発完投型右腕。打者としては、一発が魅力の長距離砲。投打で日本を引っ張る姿から「ソフトボール界の大谷翔平」の異名を取る30歳は、「東京五輪では自分がキープレーヤーになる」と覚悟を決め、2021年の年明けに周囲をあっと驚かせる大きな決断を下した。
「もっともっと成長したい」と、高校卒業から12年間所属した太陽誘電を離れ、同じ群馬県高崎市に本拠を置くライバルチームのビックカメラ高崎に移籍したのだ。
移籍の決め手は、尊敬してやまない上野の存在だった。
「自分はまだ粗削りな部分が多い。上野さんやいろいろな方から技術や心の持ちようを学びたい。いつか上野さんと肩を並べられるよう努力したい」
五輪本番を目前にした今、藤田は高ぶる気持ちをコントロールしながら最終調整に入っている。
藤田は1990年生まれ、長崎県で育った。兄の影響でソフトボールを始め、高校は強豪の佐賀女子へ進む。高校1年で高校総体優勝を果たすなど、将来を嘱望される選手だった。
だが、高校3年の08年に北京五輪が開催され、「上野の413球」で日本が悲願の初優勝に沸く様子をテレビで見た時は「自分が日本代表に入るなんて100年早い」と思ったという。
実際、高校卒業後に入団した太陽誘電では、最初の2年間は投手として芽が出ず、打者としての起用が続いた。3年目を迎えた11年、投手で勝負したいと監督に直訴し、ここから結果が出るようになった。
二刀流で投打の三冠達成
12年の世界選手権で日本代表初選出。ただ、当時ソフトボールは五輪種目から外されており、世間の関心は低かった。日本は12、14年と世界選手権を制したが、そもそもアメリカがどれほど強化に本腰を入れていたのかが不透明だった。
しかし、ソフトボールにあまり光が当たらない時でも、藤田の意欲に陰りはなかった。13年9月に東京五輪の開催が決定し、ソフトボールと野球の五輪種目復帰の機運が高まっていくと、さらにモチベーションが上がった。
本格的に二刀流に挑むようになったのは14年。日本代表にもすっかり定着していた藤田は、宇津木麗華監督から「将来は上野との二枚看板に育てたい」と目をかけられた。
16年は日本リーグで最多勝、本塁打王、打点王に輝き、投打の三冠を達成。MVPに選ばれた。今では「投げる時に打者の心理が分かるし、投手を見るときに打者としての目を使うことができる」と、二刀流としてのメリットを存分に生かして地位を確立している。
日本代表では上野から多くのことを吸収してきた。上野は7月22日に39歳を迎えるが、今なお新しい球種のマスターに挑むなど、飽くなき向上心を持つ選手。藤田は不世出の大エースから少しでも何かを学ぼうと、国際試合のベンチでは上野の隣に座り、積極的に会話を続けてきた。合宿で同部屋になる時は、練習や試合の準備の仕方を間近で見ながら教わった。
こうして少しずつ前進していた藤田が一気に階段を駆け上がったのは19年だ。上野が左顎骨折で戦列を離れていた6月に開催された「日米対抗戦」で11奪三振、2安打完封勝利。上野の不在で充満していた不安な空気を振り払う好投で、周囲の信頼も一気に高まった。
二枚看板のアドバンテージ
東京五輪のソフトボール競技は、開会式の2日前の7月21日、全競技に先駆けて福島県営あづま球場で始まり、日本はオーストラリアと開幕戦で当たる。
出場は日本、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イタリア、メキシコ。この6カ国で総当たりのリーグ戦を実施し、1位と2位が27日に横浜スタジアムで行われる決勝に進む。金メダルを取るには「1試合も落とせない」と宇津木監督は言う。
そんな中、エースの上野と二枚看板を張れる藤田がいることは大きい。宇津木監督は3人いる投手の中で20歳の左腕・後藤希友(みう)をリリーフで起用することを明言しており、先発候補は上野と藤田の2人。藤田は過去の対戦で相性の良かった初戦のオーストラリア戦での先発が予想される。
「自分の一番の持ち味は制球力。制球力をしっかり出していけば、任されるイニングはしっかりと投げられるのではないかと思っている」と藤田は胸を張っている。五輪では藤田が先発し、上野が締めるという継投策も考えられる。
「後ろに上野さんがいるのはやはり心強い。ロングイニングだと先のことも考えてしまうが、思い切ってショートイニングを投げることができる」と精神的なメリットにも言及している。
上野は今季から所属チームでも同僚になった藤田に対し、「代表だからとか、ビックカメラだからとかではなく、どっちも二人でどう戦っていくか。チームを勝たせるピッチングをどう作るかを考えていけるのでやりやすくなった。深い話をしやすくなった」と語っている。
そして、藤田はこのように言う。
「最高の舞台で上野さんと一緒に戦えるのは本当に嬉しいこと。だからこそ、嬉しいだけで終わらせるのではなく、しっかり二人で良い仕事をできるようにしたい」
北京五輪からここまでの13年、日本のソフトボール界をけん引してきたのは上野だった。五輪の実施競技から外れている間もたゆまぬ努力を続けてきたからこそ、世界トップの力を維持できた。
ソフトボールは24年パリ五輪で再び実施競技から外されるが、その後の28年ロサンゼルス五輪で復活させようとの動きがある。上野がつないできたように、この先へと夢をつないでいくのは藤田の役割になる。そのためにも、まずは目の前の東京五輪で頂点に立つことだけに集中する。
バナー写真:165cm、65kgのがっしりした体格を生かした思い切りのよいスイングが、「打」の藤田の魅力(2021年4月3日、兵庫・ベイコム野球場)時事