
瀬戸大也:不祥事を乗り越え、ただひたむきに。3種目で金を狙う日本競泳陣の切り込み役―東京五輪アスリートの肖像(9)
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リオの屈辱は東京で晴らす
メダルラッシュが期待される日本競泳陣の中でも注目のスイマーといえば、この選手を挙げないわけにはいかない。2019年世界選手権で金メダルに輝いた400mと200mの個人メドレーに加え、200mバタフライの3種目に出場する瀬戸大也(27歳)だ。
とりわけ400m個人メドレーは競泳2日目の7月25日に決勝が行われるとあって、金メダルラッシュの口火を切ることが大いに期待されている種目。瀬戸は「一発目からいい成績で泳げるようにしたい」と意気込んでいる。
1994年、埼玉県に生まれ、同い年の萩野公介と切磋琢磨しながら成長を遂げてきた。五輪出場は2012年ロンドン大会に出た萩野に先を越されたが、世界を制したのは瀬戸が先。2013年世界選手権の400m個人メドレーで金メダルを取って、15年には同種目の連覇を果たした。
リオ五輪・競泳男子400m個人メドレーの表彰式で、金メダルを掲げる萩野公介(右)と銅メダルの瀬戸(2016年8月6日、ブラジル・リオデジャネイロ)時事
しかし、満を持して臨んだ16年リオデジャネイロ五輪では悔しさを味わった。萩野と競った400m個人メドレー。終わってみれば、金メダルを獲得した萩野が表彰台の真ん中に立つ横で、銅メダルだった瀬戸は笑顔を見せながらも悔しさを募らせていた。
「東京五輪では必ず金メダルを取る」
表彰台の上で早くもそう誓った。
世界を転戦して挑んだ強化策
ブラジルから帰国した後はすぐに練習を再開した。まずは数多くのレースをこなしてタフな心身を作り上げていこうと、北京、ドバイ、ドーハを転戦するワールドカップへの自費参加を決め、9月下旬に日本を出発した。10月7日に東京・銀座を舞台に行われたリオデジャネイロ五輪・パラリンピックのメダリスト合同パレードにも参加せず、1カ月余りの間、ただひたすら泳ぎ続けた。
意欲の塊になって臨んだワールドカップは連戦連勝だった。転戦を重ねていくにつれて疲労がピークに達して敗れることもあったが、「疲れているからといって棄権していたら、他の選手と変わらないですから」と、がむしゃらに自分を追い込んだ。
17年からは4年計画を立て、厳しいトレーニングをこなしていった。個人メドレーで勝負するという軸は変えずに、得意のバタフライを伸ばすことにも挑んだ。
「単種目を頑張るというのは自分を磨き上げることでもあるし、個人メドレーにも生きる」との信念で強化を進め、世界選手権では200mバタフライで17年銅メダル、19年銀メダル。さらに20年1月には1分52秒53の日本新記録を樹立するまでになった。
弱点だったキックの強化にも本腰を入れた。「400m個人メドレーの最後の自由形で競ってスパートをかける時に、もっと足の力が必要になる」と言い、バイクを漕ぐトレーニングを継続して行った。足の弱さがいかばかりかをはっきりと認識するために、トライアスロンの大会に出たこともある。
競泳日本代表合宿で練習に励む瀬戸(2021年6月22日、長野県・GMOアスリーツパーク湯の丸)時事
五輪内定後に招いた謹慎処分
こうして迎えた19年世界選手権。瀬戸は200mと400mの個人メドレー2冠に輝き、この2種目の東京五輪の代表に内定した。まさに順風満帆。あとは五輪本番まで調整をぬかりなく行うのみであった。
世間を揺るがし、水泳ファンや五輪ファンを失望させ、自らをどん底に落とす女性スキャンダルが発覚したのは、20年9月のことだ。所属会社との契約が打ち切られ、スポンサーも離れ、日本水泳連盟からは20年いっぱいの活動停止処分を受けた。
瀬戸は、20年3月に東京五輪の1年延期が決まった時点でモチベーションが大きく下がってしまったため、活動停止期間の前も身が入った練習はできていなかった。五輪代表の内定を取り消されることはなかったが、金メダルを狙うレベルまで実力を取り戻せるかは未知の状態となった。
しかし、多くのものを失った瀬戸を再び受け入れたのは、やはり水泳だった。年が明けて21年2月のジャパンオープン。謹慎明けの初戦となったこの大会で、瀬戸は神妙な面持ちで、こう言った。
「去年の軽率な行動でたくさんの方に迷惑をかけ、おわびの気持ちと泳げる感謝の気持ちがありました」
出直しレースとなった400m個人メドレーのタイムは4分12秒57。優勝だった。2月上旬という時期や、復帰初戦であることを踏まえると上々といえるタイム。その姿には、活動停止期間に一般のプールなどを転々としながらトレーニングに打ち込んできた様子がにじみ出ていた。
ジャパンオープン400m個人メドレー決勝で力泳する瀬戸(2021年2月4日、東京アクアティクスセンター)時事
復帰後は順調にタイムを縮めていった。4月、東京五輪会場となる東京アクアティクスセンターで行われた日本選手権の初日。瀬戸は400m個人メドレーを危なげなく制した。この時の4分9秒02というタイムは、瀬戸が過去に出場した日本選手権での自己ベスト。19年の日本選手権で出した4分9秒98を1秒近く上回る好タイムだった。
「年明けから2月のジャパンオープンまでと、ジャパンオープンから4月の日本選手権までを比べると、タイムの上がり幅や、体力面や技術面で自分の感覚が、日に日に戻ってきている」
ダイヤが再び輝くとき
五輪本番に対しての手応えを徐々に口にするようになっていった瀬戸は、日本選手権を終えてから、あらためてこのように心情を語った。
「自分を表現できるのが水泳であり、自分が有名になれたのも水泳です。もちろん、自分が調子に乗って起こしたことは自分のせい。でも、水泳で頑張ることによって少しは救われるところがあるかもしれない。今できることは水泳でひたむきに頑張ることだと思っています」
瀬戸は自分自身について、「気持ちが入った時は、多分誰にも止められないくらい強いのが自分の強みだと思っています」と分析している。
「自分が思い描く最高のレースを完璧にできるよう、それだけに集中して泳ぎたい。そうすれば必ず、自分が目指す金メダルがついてくると思う」
子どもの頃からポジティブ思考へ育て上げてくれた両親が「磨けば磨くほど輝く」という思いも込めてつけた「大也」という名前。東京五輪はその名をもう一度輝かせる舞台となる。
バナー写真:競泳日本選手権・男子200m個人メドレーで優勝し、笑顔を見せる瀬戸(2021年4月8日、東京アクアティクスセンター)AFP=時事