内村航平:目指すは「完璧な演技」―初めての挫折を乗り越え、4度目の五輪に挑む体操界の“キング”―東京五輪アスリートの肖像(6)
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鉄棒のスペシャリストとして
4度目の熱い夏がやって来る。
五輪の金メダル3個を持つ体操界の“キング”こと内村航平(ジョイカル)が、自身4度目の大舞台となる東京五輪に挑む。狙うのはもちろん、金メダルだ。ただし今回は過去3度とは状況が異なり、6種目で競うオールラウンダーとしての出場ではない。団体総合のメンバーでもない。鉄棒のスペシャリストとしての出場である。
「僕の鉄棒の演技時間は1分弱。その1分にすべてを凝縮して、演技として出せればいい」と、静かな口調の奥に闘志を秘めている。
内村の五輪での成績は華やかだ。19歳で初出場した2008年北京五輪で、団体総合と個人総合の2個の銀メダルを手にしたのを皮切りに、12年ロンドン五輪では個人総合金メダル、16年リオデジャネイロ五輪では団体総合と個人総合で二つの金メダルを獲得した。五輪通算のメダル獲得数7個(金3、銀4)は、現役の日本人選手の中で最多を誇る。
今回は五輪の出場回数で史上最多タイを記録することにもなる。体操の日本人選手で4大会連続の五輪出場は、1964年東京大会で日本選手団主将を務め、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた小野喬さん以来、57年ぶり2人目だ。
内村自身もそこは強く意識しており、「かなり近いというか、年齢や立場はほとんど一緒ですよね」とうなずく。「東京五輪」出場時の年齢は小野さんが33歳で、内村は32歳。その時代のスポーツ界の顔であること、鉄棒を得意とするのも共通項と言える。
そして、最大の共通項は何より体操を愛する気持ちだと胸を張る。
「五輪4大会に出るというのは、やはり大変という以外、言葉が出てきません。自分でもよくやったなと思う。しつこいというか、心から体操が好きな人でないと到達できない領域なのではないかと思います」
内村は、2016年リオ五輪前の国内合宿時に、1964年東京五輪のメンバーが合宿地である東京に集結して自分たちを激励してくれたエピソードを明かし、「小野さんと話をさせていただく機会がありました」と感慨深げだった。
リオ五輪2冠獲得後のいばらの道
過去の五輪での成績を見れば華やかさばかりが目立つ内村だが、団体と個人総合の2冠に輝いたリオ五輪の後は、いばらの道が続いた。
2016年末に体操界初のプロ選手となり、東京五輪に向けて再スタートを切ったところまでは良かったが、翌17年には世界選手権の試合中に跳馬の着地で左足首を痛めて大会を途中棄権。世界選手権の個人総合連覇が6でストップした。
18年には世界選手権直前の国内合宿で、今度は前年と逆の右足首を負傷した。けがをしたのは前年と同様に、跳馬の練習でのことだった。足首をテーピングでぐるぐる巻きにしてどうにか世界選手権には出たが、足首に負担のかかるゆかや跳馬の演技はできず、個人総合の出場を断念。鉄棒など、種目を絞っての演技となった。
最も苦しんだのは19年。長年の蓄積疲労で体が悲鳴を上げたのだ。全日本個人総合選手権は両肩痛の影響で予選落ちし、北京五輪に出場した08年以降で初めて日本代表入りを逃した。一番ひどいのは両肩だったが、「首から下は全部痛い」(内村)という最悪の体調だった。
けがだけではない。
「リオ五輪で金メダルを二つ取ったことで、まだいけると思ったのですが、現実はそんなに甘くなかった。年齢の壁があったし、結果を残したことによるプレッシャーもあったのかなと思います」
苦渋の選択がもたらしたもの
精神的にも追い詰められていた内村は、当初の予定ならば五輪1年前だった19年夏に、「東京五輪は夢物語」と口にすることもあった。しかしこの苦境を打開するきっかけとなる決断があった。
2020年2月。内村は、6種目で競う個人総合から鉄棒に絞って東京五輪を目指すと決めたのだ。
オールラウンダーへの強いこだわりを持ってきた内村にとっては苦渋の選択だったが、これが功を奏した。「不思議なことに、鉄棒だけは練習しても肩が痛くならない」と笑顔も取り戻していた。
もちろん、種目を絞れば五輪に出やすくなるというものではない。実際、一つしかない「個人枠」を巡る戦いは熾烈だった。しかし、最後は運も味方した。今年6月にあった全日本種目別選手権兼東京五輪最終選考会。内村は、跳馬のスペシャリストである米倉英信(徳洲会)をタイブレークポイントでかわして代表入りを果たした。点数にして0.001点という超僅差での代表入りだった。
目指すは「完璧な演技」
東京五輪出場決定から3週間後。内村はこのように語った。
「リオ五輪後の5年は、2008年から日本代表として日本を引っ張ってきて初めて挫折を味わった5年間でした。北京五輪の年からリオ五輪までは、自分が思い描く通りうまくいったし、練習も結果もそれなりに出すことができたのですが、リオ五輪の後はまったくできませんでした。でも、今はそれを乗り越えられました」
衰えつつある肉体に鞭を打って体操を続けてきたのは、2020年五輪が東京開催だったからに他ならない。これまで数々の栄光を勝ち取ってきた内村にとっても、自国開催の五輪は特別だ。
4度目の五輪本番に向けて最終調整に入っている今、内村が見つめているのはメダルだけではない。
「自分の満足のいく演技を練習で追求しながら、五輪に照準を合わせていければいいと思っています。一番目指しているのは完璧な演技。どんなに打ちのめされても、心底、理想を追い求めてここまで来ていますから」
あくなき挑戦の先には、内村でさえも見たことのない光景が待っているかもしれない。1分間の鉄棒の演技にすべてを凝縮させるキングの雄姿に、全世界が視線を注ぐ日が、もうそこまで来ている。
バナー写真:NHK杯の種目別・鉄棒で、納得の演技を終え、笑顔を見せる内村(2021年5月16日)時事