石川祐希:オリンピックはゴールではない、目指すは「世界のトップ選手」-東京五輪アスリートの肖像(4)
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観客と選手が一体に
2月9日、日曜夜。北イタリア・パドヴァ市郊外にあるバレーボール専用アリーナ「Kioene Arena」は熱気に包まれていた。3500人の観客の地鳴りのような声援が館内にこだまする。強豪トレンティーノをホームに迎えての一戦。第1セットを先取したパドヴァは、第2、第3セットと連取されたものの、アウトサイドスパイカー・石川の活躍で第4セットを奪ってファイナルセットに持ち込む。最後は地力で勝る相手に競り負けたものの、手に汗握る熱戦にサポーターたちも満足顔だった。
試合終了の整列が解けると、ファンがコートになだれ込んできた。お目当ての選手に駆け寄り、サインを求める。石川の姿も中学生や高校生、家族連れの中に埋もれた。笑顔でツーショットに応じる光景を見て、彼がパドヴァ市民に愛されていることが分かった。
偶然開けたセリエAの扉
セリエAでプレーするのは今季で5シーズン目。だが、イタリアにやって来るまで、プロ選手として海外でプレーすることなど全く考えたことがなかったという。愛知・星城高校時代、2年連続3冠(インターハイ・国体・春高)を獲得。将来の日本代表のエースと目され、大学バレーの名門・中央大学に入学。「当時の目標は全日本に入って、大学を卒業したら実業団(Vリーグ)でプレーすることだった」
世界最高峰リーグと称されるイタリア・セリエAでプレーするきっかけは、「ほんの偶然」だった。大学1年の冬、モデナに3カ月間“バレー留学”したことが石川の人生を変えた。
フェラーリ本社があるイタリア中部モデナ県のモデナチームが当時、日本人選手の獲得に動いていた。ところが、Vリーグを含めた国内トップレベルの選手からは、誰一人志願者がいなかった。ならば前途有望な大学生を呼ぼう、と中央大の松永理生監督(当時)のもとに話が舞い込む。
石川は入学したばかり。しかも、チームを支える貴重な戦力だ。だが、監督は石川の将来を考え、本人にイタリア行きを打診した。
「セリエAもイタリア語の知識もゼロ。でも、未知の世界である分、興味が湧いた。単純に、行ってみたいと思った」
石川にとってさらに幸運だったのは、モデナがセリエAでも屈指の強豪であり、F1のフェラーリ同様、地元市民から熱烈に愛されていることだった。各国の代表クラスが居並ぶ選手層の厚さに、公式戦でのフル出場は1試合にとどまったが、ピンチサーバーやピンチレシーバーとしてチームに貢献する姿に、サポーターたちは石川の応援歌を作って激励した。
帰国の送別会では、チーム最年長で、遠征先のホテルでは同室でイタリア語を教えてくれたアンドレア・サラーから「ユウキ、強くなって戻って来い!」とハグされた。もちろん石川もそのつもりだった。
「高校時代、アンダーカテゴリーの日本代表として外国人選手と戦う機会が何度かあった。その時はなかなか勝てなくて、海外は強いというイメージを持っていたけど、実際に彼らと暮らすうちに、強さだけじゃなくて弱点もあることがわかった。力不足だと感じる半面、もっと成長すれば通用するという感覚はあった」
大学3・4年時は、インカレのオフシーズンに、イタリア・ラツィオ州の中堅チーム・ラティーナでプレー。大学卒業後の昨季、晴れてプロ選手としてシエナに移籍した。チーム唯一、全26試合に先発出場し、通算111セットをプレーし、得点ランキングリーグ12位の376得点を記録。今季はセリエAの半数以上のチームからオファーを受け、パドヴァを選んだ。
セリエAでの経験を代表に還元
東京五輪を控えて国内Vリーグでのプレーを望む関係者もいたが、「世界のトップ選手になるためには、今はセリエAでプレーし、経験を積むことが大切。シエナよりもレベルが高く、かつスターティング6(スタメン)に入れるチームを選んだ」。昨季リーグ7位のパドヴァは、上位8チームで争うプレーオフに進出する力を持つ。プレーオフでも力を発揮し、来季はモデナやペルージャといったトップチーム入りを目指すのが石川の描くビジョンだ。
もちろん、日本代表でもメダルを目指して全力で戦う。昨秋のワールドカップ、日本はリオデジャネイロ五輪銀のイタリアに勝つなど8勝を挙げて4位に食い込んだ。石川は文字通りエースとして活躍。バックアタックするとみせてトスするなど、セリエAで習得した技が光った。プレーばかりではなく、19歳の新鋭・西田有志を励ますなどチームメイトに積極的に声をかけた。これもはっきり自己主張するセリエAで身につけたものだ。セリエAで蓄積した技と経験を還元することが、結果的に日本男子バレーの復活につながる。
郷に入れば郷に従え
2メートルを超す巨体ぞろいのセリエAにあって、192センチの石川は一回り小さく映る。最高到達点3.51メートルという跳躍力から繰り出す時速120キロのスパイクが武器だが、「瞬間的なパワーだけではなく、体力で勝負しなければならない。そのためはケガをしにくい肉体が必要」。イタリアでは外食続きだったが、栄養士の助言を受けて2年前、自炊に切り替えた。嫌いだったトマトもスープに入れるなど工夫して食べている。
昨年夏には自動車免許を取得した。イタリアの練習は、量より質を重視し、実戦スタイルが主体。基礎トレに割く時間が日本に比べて少ない。「ただ、日本人の僕にとって、上手くなるためには「質×量」が必要。それまではチームメイトに送り迎えをしてもらっていたが、自分の車で早めにアリーナに着いて、個人練習をしている」。こうした地道な積み重ねで、この2年で体重が10キロ増え、ケガをしにくい体になったという。
イタリア語の向上も必須課題だ。電子辞書ではなく、もっぱら紙の辞書を使う。「中学・高校時代の英語もそうだった。自分は紙の辞書のほうが頭に入る」。日常生活や練習中に分からない単語に遭遇したら、まず携帯電話に入力する。イタリア語は基本ローマ字読みだから、聞き取るのはそんなに難しくない。家に帰って新出単語を辞書で探し、アンダーラインを引いて手帳に書き写し、その日のうちに覚える。
「お互いの意見や意思をぶつけながらコミュニケーションをはかる社会の中で、最初は言いたいことが言葉にできずにストレスが溜まった。3年目ぐらいから日常生活で困らなくなり、今ではプレー中も自分の気持ちをきちんと伝えられる」。食事のときもテレビニュースを見るよう心掛けている。
「昨年まではスポーツニュースだけだったけど、イタリアの政治や社会も理解しようと努めている」。もはやイタリア語は、単なるバレーボールのためのツールではない。地元コミュニティーに融け込むためにも、もっともっと上達したいという。
いまこそ「感謝の気持ち」をつなげよう
プレーオフ進出をかけてリーグ戦も佳境に入った矢先、イタリア全土が惨禍に見舞われた。新型コロナウイルスの蔓延で国内の活動がすべてストップ。セリエAも4月13日まで全試合が中断となった。
チームの活動が一切ストップする中、それでも石川は状況をポジティブにとらえ、心に温めていた企画を実行に移した。それは、日本全国の小中高生に向けて「今、あなたが伝えたい『感謝の気持ち』」を募集し、自身のインスタグラム・公式アカウント (@yuki_ishikawa_official)に掲載するものだ。
「『感謝の気持ちを忘れずに』は、高校時代、バレー部の顧問の先生から教わった言葉で、今の自分を動かす指針。卒業式や入学式ができなくなり、友人やお世話になった人たちに伝えられなかった「ありがとう」などの気持ちを、バレーボールでボールをつなぐようにつないで、少しでも明日への活力に変えていければ」と願っている。
※応募方法など詳細は公式サイトを参照
バナー写真:最高到達点3.51メートルの跳躍力を生かした果敢なアタック