元NHKアナウンサー山本浩の「五輪の風景」

「前例のない五輪」だからこそ、新しい芽をレガシーに―山本浩の五輪の風景(7)

東京2020 スポーツ 社会

山本 浩 【Profile】

過去に経験のない、ウイルスが猛威を振るう中での五輪が幕を下した。2020年開催の日程を1年延期しただけでも前例のない大会だったのに、開催直前にして観客を入れる、入れないで大きな議論が巻き起こった。1896年に第1回近代五輪が始まり、周りを取り巻く人々が競技を間近に見られるようになってこの方、観客のいない試合など誰が想像しただろうか。そこまでして開催した五輪だ。真のレガシー(遺産)を未来に向け残さぬ手はない。

不自由な大会

歓声や応援のないスタンドに取り巻かれた中での試合は、選手にとってはバーチャル五輪、画面で触れる国民にとっては異国の大会を見るまなざしに近いものがあったはずだ。

取材現場も異例ずくめだった。組織委員会から記者証(アクレディテーションカード)を受けたこともあって、3密にならないように気を配りながらいくつかの競技場を訪ねる機会があった。これまでの五輪と明らかに違ったのは、競技関係者と国境を越えた横の交流がほとんどできないこと。いつもの大会なら、世界各国から集まったコーチや指導者に声を掛けて情報交換をするのが、相手も距離を取り、こちらも遠慮がちになる。

観客のいないバスケットボール3×3の試合風景(山本浩氏提供)
観客のいないバスケットボール3×3の試合風景(山本浩氏提供)

多少なりとも近づいて長話でもしようものなら、会場によっては国際競技団体の「3密対応」とおぼしき外国人スタッフがやってきてやんわりと注意される。チーム取材はおろか情報のやりとりさえも、横たわる障害が多くてなかなか思うように運ばない。かつて経験したことのない不自由な大会だった。

激戦を支えたもの

数字に見る日本の成績には華々しいものが残された。金メダル27個をはじめとして、表彰台に上がった回数が合わせて58回。これまでの数字を大幅に超えたことに注目が集まる一方で、スポーツの専門家はこのほかの入賞者、つまり4位から8位までの数にも目を向ける。五輪と言えば、世界最高レベルのアスリートが集まる舞台。キャリアや条件によっては、メダルには届かなくとも入賞をターゲットにして出場してきた選手も少なくない。

今大会の日本人入賞者は77人。前回のリオの47人、前々回のロンドンの44人を大きく上回った。優れた成果がもたらされた背景には、選手やチームの活躍はもとより、指導やサポートに当たった多くの人たちの功績、それに勝手知ったる土地で戦ったホームアドバンテージが幸いしたことも見落とせない。

男子3000メートル障害で力走する三浦龍司選手(右から2番目)、決勝では7位入賞した(山本浩氏提供)
男子3000メートル障害で力走する三浦龍司選手(右から2番目)、決勝では7位入賞した(山本浩氏提供)

序盤から好成績に沸いたのが日本の柔道。使い慣れた東京北区のナショナルトレーニングセンターをベースにした調整が実力発揮を容易なものにしたとされる。諸外国の選手が配分された時間に従って講道館を使っていたのに対し、日本チームは設備の整った独自の環境を占有することができたのだ。

同じように好調でスタートを切った種目に男子サッカーがある。メダル獲得にこそ至らなかったが、序盤の一次リーグ3連勝の見事な戦いぶりの陰に、千葉市の海浜幕張に昨年4月に開所したサッカー専用施設「高円宮記念JFA夢フィールド」があった。疲労回復や身体のメンテナンスなど、最新の機器を揃えた施設に寝泊まりしながら、しかも豊富な人材がこれをサポートする。かつてはプロ野球の選手たちが、五輪の選手村に入らず豪華なホテルを宿泊場所にした例があったが、それとは違った意味で高いレベルのチーム力維持を支えていた。

狭き門

「金」「銀」「銅」という特異なメダル概念は、近代五輪に初めて持ち込まれた。上位3位までに特別な価値を与え、なお最上位には国歌を演奏してこれをたたえるという格別の待遇を許しているのである。1800年代にイングランドで近代スポーツが始まった頃には、そのような思考回路は形成されていなかった。

五輪でのメダル獲得を目指す道は限りなく厳しい。それぞれの競技団体が主催する世界選手権とは違って限られた日数しか配分されず、少ない戦力の中でそれを競うことを余儀なくされる。サッカーで言えばワールドカップが23人の登録で中4日を戦うのに対して、五輪では18人で中2日の勝負に耐えなければならない。

肥大化を警戒する国際オリンピック委員会(IOC)が、世界の競技団体を取り込みながら、なお規模の爆発的な膨張を回避するという厳しい課題を実現するために、参加人員の制限と厳密なスケジュール管理を貫こうとするからだ。いきおい、疲労をいかに克服するがそれぞれの大命題となり、そこの対応の善し悪しによって勝負の針が振れやすい。

日本は都市型スポーツ大国か

この大会で多くの人に強い印象を残したのは、追加競技と言われた幾つかのスポーツで日本が華々しい成果を上げたことだろう。IOCが「五輪離れ」の進む若い世代へのアピールに力を入れ、持続可能なイベントとしての将来を見越しているからこその新競技は、3年後のパリ大会でもさらに規模を広げようとしている。

男女がそろって世界の頂点を取ったスケートボードや、メダルを複数手にしたスポーツクライミングにサーフィン。多くの国は日本のことをアーバン(都市型)スポーツ大国と見始めているに違いない。さて、それでは私たちが自らを振り返ってみたときにはどうだろう。こうした競技を「新参者」として、強化を後回しにしてはいないだろうか。

スケートボード女子パークで金メダルを獲得した四十住さくら(共同)
スケートボード女子パークで金メダルを獲得した四十住さくら(共同)

日本のスポーツは五輪に影響されやすい。IOCが方向を変えれば、日本のスポーツ組織もすぐにこれに対応しようとする。しかし、今でこそ、スケートボードを使えるしっかりした施設が徐々に増え始めているものの、どこにでもあるという状況にまでは至っていない。志ある人や自治体、その他の団体が施設の設置に尽力し、わずかなチャンスを広げようとしているに過ぎないのだ。

真のレガシーとは

日本の競技スポーツを子どもの時代から育ててきたのは、かなりの部分で学校体育であった。小学校の時代に手を染めて、中学や高校のクラブ活動で本格的に打ち込んだのが、競技スポーツへの道を形作り、そこから今日のオリンピアンのほとんどが生まれてきたのである。そうした場が今、学校の外に持ち出される時代に向かっている。

これまでと変わらない肥沃な大地を、私たちがこれからも子どもたちのスポーツ活動の前に提示できるのだろうか。一方で学校の教員の働き方改革はまだ始まったばかり。教員の生活を守りながら、スポーツを柱に立てて作られてきた社会をどんな形で維持していくのか。引き返すことのできないテーマが目の前に横たわっている。

大会が始まる前から盛んに繰り返されたフレーズのひとつに「レガシー」があった。多くの議論は五輪に使った施設をどう残すのかに終始した。この言葉が過去にどのように使われてきたかは別にして、レガシーとは五輪によってわれわれが享受すべき遺産の総体を示すものと考えれば、視野を大きく広げて考える必要がある。ハードウエアはもちろんのことスポーツを巡る制度や取り組みにはもっともっと改革しなければならないことがある。

これからのスポーツ世界をさらに豊かにすることで、メダルのもたらした喜びは未来に向かって倍加する。多くの反対を押し切ってまで開催した大会だからこそ、そのレガシーを生かさねばならない。

バナー写真:東京五輪閉会式のフィナーレで花火が打ち上げられた国立競技場=2021年8月8日(共同)

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    法政大学スポーツ健康学部教授。元NHK解説主幹、エグゼクティブ・アナウンサー。東京外国語大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。スポーツ実況を数多く手がけ、1986年のサッカーW杯メキシコ大会では「マラドーナの5人抜き」の名実況など、臨場感あふれるアナウンスで知られる。五輪は夏・冬合わせて15大会取材した。2009年にNHKを退職し、現職。

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