本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
Books 文化 地域 社会- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日本海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。
美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌本線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。
昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。
タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り沿いにはデパートや書店、ケーキ屋、洋品店が軒を並べ、市内に書店は5軒、映画館は6つ。ボーリング場だった建物は閉鎖された今も屋上にピンの形のシンボルを担いでいる。港町らしく、料亭やキャバレー、芸者の置屋まであったという。今、歩く人がまばらなかつての市街地を海風がうなるように吹き抜ける。
人口は1967年の4万2千人をピークに減少の一途をたどり、現在は約2万人。
アイコンだったデパートが閉店して20年以上になる。そして、同じ通りにあった書店が倒産したのは2010年12月。戦前に創業した老舗だった。留萌市は一度、本屋を失った。
スタッフは全員地元から
中心街から東へ5キロほど、イオングループのショッピングモールの一角に、市民の誘致によって三省堂書店が開業した留萌ブックセンターはある。
朝7時半、広い駐車場に山からの冷たい風が吹き下ろしている。店内には届いたばかりの大量の本の箱を裁く男性の姿があった。留萌ブックセンターの店長、今拓巳(こん・たくみ)さんだ。
今さんは三省堂書店の社員ではない。三省堂書店と雇用契約を結んだ個人事業主だ。三省堂書店と直接雇用契約をしているのは今さん一人で、5人のアルバイト社員は今さんが雇用する形をとっている。
三省堂書店は東京・神保町に本店を持ち、関東を中心に、愛知・岐阜、北海道で23店舗を運営する老舗の大手書店だ。店長は東京本店から転勤でやってくるのが通常の人事だが、留萌ブックセンターでは今さんをはじめスタッフはみんな留萌の人たちだ。特殊な人事の背景には、書店の生い立ちが関わっている。
「この店は留萌の人たちの思いがこもってるから、預かる方もずっしりと責任が重たいんだよねえ」
作業の手を動かしながら今さんが言った。
雑誌、新刊の単行本、そして客注で取り寄せた本や雑誌。棚に並べる新刊、客注の本、配達する単行本、漫画雑誌や女性誌、週刊誌。今さんは1冊1冊を分類し、帳簿にペンで記録していく。店長になって10年、この作業を休まず引き受けてきた。
広い店内は雑誌、文芸、人文科学から受験参考書、絵本まで、ほぼ全てのジャンルをカバーする。配本の方向を大まかに定めるのは三省堂書店本店だが、独自に留萌の人たちの好みに合わせて注文をかける。三省堂書店との契約で今さんが責任を負うのは、責任者としてアルバイト社員の労務管理を含めた店舗運営を行い、約束した売上を上げることだ。家賃や本の仕入れなどにかかる経費は三省堂書店が管理する。
「公表はできないんだけどね……」とためらう今さんから年間売上を聞いて驚いた。一般に、書店での一人当たりの購入額は年間平均1200円程度と言われるが、留萌ブックセンターの年商はそれを大きく上回る額だった。
この売上が、今さんをはじめスタッフとこの町に本屋がなくては困るという人たちによるさまざまな工夫の上に成り立っていることを、4日間の取材で知ることになる。
その前にまず留萌における書店と今さんの歩みから始めたい。
突然の閉店で「本のある空間」を失う
最盛期、留萌市には5軒の書店があった。人口減と出版不況により閉店が続いた。今さんが勤めていた書店は留萌市に残る最後の書店だったが、2010年12月のある朝、経営者は今さんをはじめ従業員に突然閉店を告げた。
今さんは1949年に留萌から70キロほど離れた浜益に生まれ、小5のときに家族で留萌に移り住んだ。高校卒業と同時に上京したが、結婚後に30歳で家族とともに帰郷。以来30年、留萌の老舗書店に勤めた。学校や官公庁をはじめ、地元の商業施設、美容院、飲食店などに本を納める外商が主な仕事だった。また、80年代には百科事典や文学全集ブームの到来で、家庭向けに売りに売った。
仕事の場こそ店外だったが、朝、うなぎの寝床のような書店に出勤し、ぎっしりと本が並んだ棚の前に立つと心が落ち着いた。書店が突然閉店し、仕事を失っただけでなく、書店に身を置けないことも堪えた。本のある空間に心を落ち着かせる作用があることには若い時期からの書店通いで気づいていた。そもそも、留萌に戻ってきて書店に勤め始めたのも、人生に迷い、本を求めて書店に通ううちに、空間の心地よさに気づいていたところへ、求人を見つけて応募したのだった。
失業保険の手続きや仕事探しに職業安定所に通う生活になってからは、留萌市民図書館に立ち寄って心を落ち着かせた。
「そうでもしないと、もう精神的に参っちゃう。そんな感じだったよねえ」
2011年の春、新学年を迎えた子どもたちのため、三省堂書店札幌店が出張販売を実施することになった。今さんは6週間の期間限定で出張販売の責任者として雇われた。
同じ頃、本好きの主婦を中心に「三省堂書店を留萌に呼び隊」が発足したことを北海道新聞留萌支局が伝えている。以後、同紙は活動を丹念に報道した。記事によれば、呼び隊は発足翌月には三省堂書店に陳情したが、三省堂書店は当初、「経営はボランティアではないので」と慎重な姿勢だった。呼び隊は市民に三省堂書店メンバーズカードの申し込みを募る作戦を立てた。1カ月で人口の約1割に当たる2500人分の申し込み書を集め、再び陳情書とともに三省堂書店に手渡した。
一方、数カ月ぶりに本を取り扱う現場に立った今さんは、アルバイトスタッフ2人と「とにかくこの6週間、人生で見れば一瞬だけど、精いっぱい本を売ろう」と声を掛け合い、仕事に熱中した。思いがけないことがあった。孫を連れてやってきた祖父母や親から「大人が読む本はないのかい」と思わぬ要望を受けたのだ。今さんは、大人のための本を自宅から三省堂札幌店にファックスで注文。期間中、売りあげた大人向けの本は数百冊になった。
呼び隊は最終的に8000人の入会申し込みを集めた。今さんたちの熱意ある売り方も強い印象を残したのだろう。三省堂書店は人口30万人以上の都市にしか出店をしないという原則を覆して、留萌への出店を決めた。
北海道庁も側面支援で
三省堂出店の吉報をいち早く受け取ったのは、北海道庁留萌振興局の農政課長だった。現在の留萌市副市長・渡辺稔之さんだ。
「もう、時効でしょうから」と、日本海を見下ろす高台にある留萌市庁舎で、渡辺さんは当時水面下で留萌振興局が行った側面支援の動きを明かしてくれた。
11年前の12月、書店が留萌から消えたことを気がかりに思った渡辺さんは、忘年会の二次会でそのことを振興局長に話した。すると、思いがある者が動くべしとの局長判断で、言い出しっぺの渡辺さんが農政とは畑違いでありながら、特命で書店誘致のプロジェクトを進めることになった。このとき、渡辺さんは「せっかくなら、全国展開をしている書店を誘致したい」と目標を立てた。札幌に出店している複数の大書店チェーンに断られるなか、唯一、「現地を見てみないとなんとも言えない」と返答したのが三省堂書店だった。
市民から要請してもらうアイデアを渡辺さんに示したのは、市立留萌図書館館長の伊端隆康さんだった。伊端さんや渡辺さんに誘われて呼び隊の代表となった武良千春さんは、旭川出身で、獣医の夫の転勤により北海道のあちこちに暮らした。三人の娘はみんな本好きで、書店のない町に暮らしていた頃には旭川の実家に戻るたびに本屋から本を箱で持ち帰る生活だった。せっかく気に入って定住した留萌から本屋がなくなることは考えられないという思いがあった。気の合うママ友たちと本の読み聞かせのサークル活動をした経験もあり、代表を引き受けた。
三省堂書店が前向きな検討に入るまで、渡辺さんの立場は厳しかったという。「なぜ農政がやるんだ」といった庁内の反発に加え、留萌市民の「どうせ無理」という声には心が折れかけた。当時の留萌市長も積極的な姿勢を見せなかった。
そんななか、呼び隊が短期間で驚くほどのメンバーズカードの申し込みを集め、態度が軟化した三省堂書店に対して、留萌振興局から包括連携協定を提案し、締結に至る。地域密着型のブックフェアや書籍や読書をテーマとしたイベントの実施など、本を媒介に両者が協力し合って留萌市の繁栄に寄与しようという内容だ。加えて、留萌市は雇用や店舗改修のために補助金を捻出した。
事情を知らなかった今さんに、三省堂書店札幌店から呼び出しがかかった。夫婦で札幌へ出向いた今さんは、留萌出店にあたり、責任者になってほしいと告げられ、その場で泣いた。
約500平方メートルの店内に10万冊の本を並べた留萌ブックセンターが開店したのは、2011年7月24日だった。(後編へ続く)
バナー写真:留萌ブックセンター(写真は全て筆者撮影)
留萌ブックセンター
北海道留萌市南町4丁目73−1 マックスバリュ留萌店 別棟
https://www.books-sanseido.co.jp/shop/rumoi/
営業時間 10〜20時
定休日 なし
ジャンル 新刊
蔵書数 10万冊