究極の親日国・ミャンマーの不確かな明日

(1)善意の連鎖が生んだミャンマーの親日感情

政治・外交 国際

野嶋 剛 【Profile】

ミャンマーではアニメや映画など日本の文化が若者層を中心にブームを起こし、日本語を学ぼうという人たちも急増している。良好な対日感情の裏にあるのは、不幸な歴史でも途切れなかった相互信頼なのかもしれない。

日本人とミャンマー人の「相性」

ミャンマー在留歴が50年に達し、現地の対日観をつぶさに観察してきた池谷さんは、日本とミャンマーがお互い好感情を抱く理由について、こう語った。

「日本の兵士も農村出身者が中心で、実際に触れ合ってみると、日本人にいい印象を抱くことも多かったのでしょう。そして、英国人からはアジア人はダメだと教え込まれていたので、戦後の日本人の発展には驚き、日本をさらに高く評価したはずです」

私の取材に通訳として付き添ってくれた、日本で5年間働いた経験のあるネイ・ミョー・チョーさん(41)はこんな話を教えてくれた。

「よくミャンマーの人は中国人、韓国人と比較して、韓国人は傲慢(ごうまん)で怒鳴る。中国人はお金をだます。日本人は押し付けがましくないので、付き合いやすい人たちだと語り合っています」

日本人とミャンマー人の価値観の近さを指摘するのが、ミャンマー語の専門家として初めて大使となった丸山市郎駐ミャンマー大使だ。

「相性の良さには、日本人の常識がミャンマー人の常識である、という面が大きい。決定的な文化の違いがないのです。ミャンマー語には遠慮するという意味の『アーナー・デー』という表現がある。『遠慮』という感覚は、ほかの国ではあまりないように思います」

善意と感謝の積み重ね

こうした事情に加え、ミャンマーの対日好感情が決定的になったのは、両国の関係が「建設的」な形でつながっていたからではないだろうか。

日本が最初に戦後賠償協定を結んだ国は、当時のビルマ連邦だった。1954年のことで、フィリピンなどアジア各国との賠償交渉がスムーズに進んだきっかけになったと言われる。

その賠償第1号プロジェクトとして建設されたバルーチャンダム水力発電所には、その後も政府開発援助(ODA)が投じられ、今日でも友好の象徴としてミャンマーの電力需要を担い続けている。同国で日本車が愛好されている理由の一つに、この賠償・援助のなかで日本製のピックアップトラックが大量に導入され、ミャンマー人に丈夫さと性能の良さが強く印象付けられたことがあるとの説もある。

バルーチャンダム水力発電所(在ミャンマー日本大使館提供)
バルーチャンダム水力発電所(在ミャンマー日本大使館提供)

その賠償第1号にはさらに前段がある。日本が戦後間もなく食糧不足で苦しんでいた時、英国から独立したばかりのビルマ連邦がコメを安く輸出してくれた歴史があった。古い世代の日本人には「ビルマ米」でお腹を満たした記憶を持つ人もいる。

日本が英国からの独立に手を貸した歴史への感謝があったことは容易に想像がつく。だが、負の歴史もあった。戦時中に日本は泰緬鉄道工事にミャンマー人を動員し、「枕木一本で一人が死んだ」といわれる難工事で多数の命が失われた。

一方で、インパール作戦などで敗れた日本兵が英軍の追跡から逃れる際、ミャンマーの人々がかくまったり食事を施したりしてくれた物語は無数にある。

こうした恩義に対して、日本人も報いようと努力を重ね、その姿を認められていたのは確かだろう。日本政府も、戦後のミャンマーにおいて、独立から軍事政権、民政移管に至るまでの間、欧米のように制裁一辺倒ではない「関与」のスタンスを取り、経済支援を続けながら軍政と民主化勢力の両方とパイプを維持した。そのことが、日本の存在をミャンマー人が常に近く感じる一因になったはずだ。

2017年に外務省が行なったASEAN10カ国に対する世論調査で、「現在最も信頼できる国」としてミャンマー人の34%が日本を挙げ、米国の18%、中国の13%を大きく上回った。

アウンサン・スーチー国家主席が今年2月にヤンゴンで開かれた日本・ミャンマーの友好イベントで行なった挨拶の言葉が、両国の今日をよく物語っている。

「困難があっても、お互いに分かち合い、慈悲、慈愛を抱き、お互いに助け合ってきました。ゆえに両国の関係はこれまで非常に親しい関係であり続けてきました」

「善意の連鎖」が今日の両国関係を作り、ミャンマーの親日観を形成したのは間違いない。日本はそんなミャンマーの未来に、より深く関わっていく必要がある。

バナー写真:日本語教師を目指して学ぶミャンマー人の若者ら(国際交流基金ヤンゴン事務所提供)

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野嶋 剛NOJIMA Tsuyoshi経歴・執筆一覧を見る

ジャーナリスト。大東文化大学教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。92年、朝日新聞社入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長などを歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)、『台湾はなぜ新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)『香港とは何か』(ちくま新書)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

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