皇女愛子さまの先輩、黒田清子さんの歩み:国民と皇室のため 務め果たす
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夫が運転の乗用車で皇居入り
愛子さま(学習院大学2年)の成年行事が行われた2021年12月5日、皇族方や岸田文雄首相らの高級車に混じって、1台の乗用車が皇居に入った。助手席には黒田清子さんが座り、運転していたのは夫の黒田慶樹(よしき)さん(56)。この映像を見た人から、ネットにはこんな書き込みがあった。
「黒田清子さんご夫妻(だけ)が、旦那様が自ら運転される自家用車と思われる庶民的な(失礼!)お車でした。なんだか清子さんの生き方、考え方や国民へのお気遣いを感じて、涙が出そうでした」。黒田夫妻のぜいたくを排した生活ぶりに感動したのだろう。
清子さんが愛子さまの成年行事で注目されたのは、愛子さまが着用したティアラが叔母(現天皇陛下の妹)の清子さんから借りたものだったからである。最近の女性皇族用のティアラは、成年に際して宮内庁の経理に属する公金(宮廷費)で作られるので、所有者は国。結婚して皇籍を離れる際には返還することになっており、小室眞子さんもティアラを返した。
皇籍離脱後もティアラの所有者である理由
では、なぜ今回は清子さんから「借りた」ことになるのか。そこには、上皇ご夫妻の娘に対する深い愛情が感じられる経緯がある。このティアラは1989年、清子さんが20歳を迎えた時に作られた。費用は、天皇ご夫妻(現上皇ご夫妻)のポケットマネーと言われる私有の財産から支払われた。そのため、結婚後の今も清子さんの所有物となっている。
清子さんの成年祝賀行事は祖父の昭和天皇の喪中だったため、翌年に延期された。その後、女性皇族のティアラは公費で作るのが慣例となった。愛子さまも本来ならご自分のティアラを作ることになるが、天皇ご一家が現在も続く「コロナ禍」を考慮して、今回は国費による製作を見合わせ、清子さんからお借りすることになったのだ。
給料をもらった初の内親王
清子さんは1969年4月18日、皇太子ご夫妻の第三子で、初めての女の子(紀宮清子内親王)として誕生した。兄の現天皇陛下、秋篠宮さまとは違い、いずれは結婚して民間人となることが前提の教育が行われた。母の美智子さま(現上皇后)とは学習院初等科(小学校)時代の77年から10年間、母娘二人だけで小旅行を続けた。趣味は中学から始めた日本舞踊で、国立劇場の公演に出演したこともある。
88年に学習院大学文学部国文科(現在の日本語日本文学科で、愛子さまと同じ学科)に入学。翌年に平成のお代替わりがあった。92年に大学を卒業して財団法人「山階鳥類研究所」の非常勤研究助手となり、週2回勤務。「給料をもらった初の内親王」などと言われた。その後、非常勤研究員として、皇居や赤坂御用地の鳥類調査などの研究報告を共著で発表した。
成年皇族としての公務も続け、「日本ブラジル修好100周年」で95年にブラジルを訪問するなど、お一人で8回、14カ国を公式訪問。また、盲導犬の育成など福祉活動にも関心が深かった。ご両親の側にいて相談相手になり、またご両親が病の時、入院した時に、大きな慰め、心の支えとなったのも清子さんだった。
兄の親友だった黒田慶樹さん
天皇家の娘として結婚が騒がれると、記者会見で自ら「報道された男性に迷惑がかかるので自粛を」と訴えたこともあった。そんな清子さんが34歳だった2003年に、兄の秋篠宮さまの親友で、東京都職員の黒田慶樹さんと、秋篠宮さまが主催した会で再会した。慶樹さんは小学校から学習院で、秋篠宮さま(当時は礼宮)と同級生だったので、お住いの東宮御所によく遊びに行っていたから、清子さんも「お背が高くて、いつもまじめなお顔」の慶樹さんを覚えていた。
慶樹さんは高等科で礼宮さまと同じクラブに所属。大学でも礼宮さまが主宰し、川嶋紀子さん(後に秋篠宮妃)がいた「自然文化研究会」のメンバーだった。法学部在学中に「トヨタ自動車」に勤務していた父が病気で亡くなった。大学卒業後に大手都市銀行に入行するが、1996年、31歳の時に退職。翌年、都の職員となった。
転職の理由を「公共の仕事に携わりたかったから」と述べている。長男だったので、東京・原宿のマンションで一緒に暮らす母親を守るため、地方への転勤がない都職員を選んだとも言われた。都庁では主に都市整備局や建設局の仕事をしている。
そして清子さんと運命の出会いがあった。キューピッド役の秋篠宮さまが、デート場所に宮邸を提供された。2004年12月に婚約内定し、記者会見が行われる。
紀宮さま「しばらくぶりにお会いして、とても温かな笑顔で人々の中に入っておられる姿が心に残り、お話も楽しくいたしました」「少しずつお話を重ねていく中で、だんだんと自然に結婚についての意識が深まってまいりました」
黒田さん「久しぶりにお目にかかった宮さまは、常に細かいお心配りをなさり、どなたとも楽しそうにお話をなさっておいででした。私もお話をさせていただくことが大変楽しく、心の安らぎのようなものを感じておりました」
「私から宮さまに『私と結婚してくださいませんか』と申し上げました。秋篠宮邸で、お茶をいただいていた時と存じております」
紀宮さま「その場でお受けする旨を申し上げました。両陛下(上皇ご夫妻)は、これまで静かに見守ってくださいましたが、お話を申し上げますと、とてもうれしそうに微笑まれて、『おめでとう』と喜んでくださいました」
「幼いころから、いつか結婚する場合にはこの(皇族の)立場を離れるという意識を持っておりましたので、新しい生活に入る不安や戸惑いはあっても、(皇籍離脱について)今改めて感じることは特にないように思います」
筆者はこの記者会見を聞いて、紀宮さまのとても上品な語り口と、黒田さんの朴訥(ぼくとつ)とした人柄の良さを強く感じたのを覚えている。
専業主婦、そして伊勢神宮祭主
こうして、翌2005年11月に結婚。皇室を離れる清子さんに結婚一時金として、国から1億5250万円が支給された。帝国ホテルで開かれた結婚式と、披露宴には両陛下や皇太子ご夫妻らも出席された。当時の石原慎太郎都知事が披露宴で乾杯の発声を務めた。
翌年、二人の母校である学習院大学に近い地に立つセキュリティ対策が万全の新築高級マンションを購入した。“億ション”と言われ、約3分の2を清子さんが払い、残りを黒田さんがローンを組んで負担した。
専業主婦となった清子さんは、近くの商店街などで買い物もしている。初めは、外出の際に少し距離を置いて見守る警視庁の警備が付いたが、現在は地元の警察署が必要に応じてソフトな警備をしているという。また時折、ご両親を訪ねている。宮中行事に夫妻で出席することもある。
清子さんが転機を迎えたのは2012年。皇祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮(三重県伊勢市)で、臨時祭主となった。翌年の神宮最大行事である「式年遷宮」まで、高齢となった叔母(上皇さまの姉)の池田厚子祭主を補佐するためだ。祭主は天皇陛下に代わって神事を行う重職で、戦後は皇女(天皇の娘)が務めている。
いつもは柔和なお顔の清子さんだが、白の上衣に、朱色の袴(はかま)を履いた祭主の表情には神に仕える貴き人の雰囲気が漂う。清子さんの決意を感じ取った美智子皇后(現上皇后)は14年の歌会始でこう詠まれた。
み遷(うつ)りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘(こ)は言ひて発つ
正式な伊勢神宮祭主には17年に就任し、年間に数十日は東京を離れて、伊勢市で過ごすことになった。19年4月、父陛下の退位に関連して、両陛下が伊勢神宮を参拝して天照大神に退位を報告される儀式にも立ち会った。
都市整備局都市づくり政策部都市計画課長の夫、黒田さんが21年4月、重要かつ困難な事務を担当する「統括課長」に昇進した。都の課長職は年収約1000万円だが、今回の昇進で昇給もあった。同じころに、自宅マンションのローンを完済したという。15年かかったが、黒田夫妻が堅実な生活を続けていることがうかがえた。
天皇家で育った清子さんは皇籍を離れても、国民と皇室のために祈りを捧げる務めを果たそうと、心静かに自覚したのである。
バナー写真:新宿御苑のバラ園を散策する黒田慶樹さん、清子さん夫妻=2005年11月23日、東京都新宿区[代表撮影](ロイター)