即位の礼:「賢所大前の儀」に始まり「正殿の儀」「饗宴の儀」-パレードは11月10日

社会 皇室

天皇陛下が国内外に即位を宣言する「即位の礼」が、休日となる10月22日に国の儀式として行われる。30年ぶりの皇位継承の中でも重要な儀式で、そのハイライトとなる「即位礼正殿の儀」は平安絵巻そのままに繰り広げられ、200近い外国の元首や祝賀使節も参列する。

最初に「即位礼当日賢所大前の儀」

22日当日は、午後からの国の儀式に先立ち、午前9時から皇居・宮中三殿で、天皇陛下が即位礼を行うことを神前に奉告する「即位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」が皇室の行事として行われる。皇祖とされる天照大神をまつった賢所に、神事服の純白の束帯(天皇や公家の平安以降の正装)を着た陛下が拝礼し、御告文(おつげぶみ)を読み上げられる。

続いて、同じく神事服の白い十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが拝礼。この後、皇族方や安倍晋三首相はじめ三権の長ら参列者が、賢所の前庭から拝礼する。戦前までは、「神前での即位式」として大きな儀式だった。

平成の「即位礼当日賢所大前の儀」に向かわれる天皇陛下(現上皇さま)=1990年11月12日(読売新聞社)
平成の「即位礼当日賢所大前の儀」に向かわれる天皇陛下(現上皇さま)=1990年11月12日、皇居・宮中三殿「賢所」(読売新聞社)

平安絵巻の「即位礼正殿の儀」

中心儀式の「即位礼正殿の儀」は午後1時から約30分間、宮殿の最も格が高い正殿「松の間」で行われる。200近い外国の祝賀使節や国内からの代表、約2500人が参列。天皇陛下が高御座(たかみくら)に昇り、内外に即位を宣言して、おつとめを果たす誓いのお言葉を述べられる。

続いて、安倍首相がお祝いの寿詞(よごと)を読み上げ、首相の音頭で参列者が万歳を三唱する。これに合わせて、皇居に隣接する北の丸公園から、陸上自衛隊による「礼砲」が鳴る。両陛下や皇族、付き従う者のほとんどが彩色を施した束帯や十二単姿で、宮殿に平安絵巻が再現される。

皇居・宮殿と宮中三殿(後方)。「即位礼正殿の儀」は宮殿中央の「松の間」と中庭で行われる=2019年4月30日[代表撮影](時事)
皇居・宮殿と宮中三殿(後方)。「即位礼正殿の儀」は宮殿中央の「松の間」と中庭で行われる=2019年4月30日[代表撮影](時事)

高御座と御帳台

天皇陛下が昇られる高御座(たかみくら)は、天皇が座る玉座を意味し、平安時代から即位式で使われた記録がある。現在のものは大正天皇の即位礼のため1915年に新造された。黒塗りの三層の壇の上に八角形の屋形が乗っている構造で、高さ6.5メートル、重さ8トン。通常は京都御所の紫宸殿(ししんでん)にあり、解体されて東京に運ばれた。壇上の台には、「三種の神器」の剣と璽(じ=まがたま)や、国事行為に使う御璽(天皇印)と国璽(日本国印)が置かれる。陛下が立つ位置は、松の間の床から1.3メートル高い。

皇后さまは、すぐ隣にある、貴人の座を意味する御帳台(みちょうだい)に昇られる。今の高御座と一緒に作られ、形状も高御座と同じ。ただ、高さが約5.7メートルとやや小さく、重さ約7トンで、装飾もやや簡素だ。

前回は、参列者に両陛下の姿が見えるよう、最初に松の間の前の廊下を通られた。しかし、今回は京都御所時代の伝統的な経路に変更し、廊下は通らず、高御座の後方から昇られる。 

2018年4月に京都御所で公開された「高御座」(左)と「御帳台」(時事)
2018年4月に京都御所で報道陣に公開された「高御座」(左)と「御帳台」。19年12月と20年1月に東京国立博物館で、20年3月に京都御所で一般公開される(時事)

黄櫨染御袍と黄丹袍

陛下は天皇だけが身につける、真っすぐに立った立纓(りゅうえい)の冠に、ハゼの実で赤茶色に染め上げた黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という束帯(宮中儀式服)姿。この色は太陽が最も高く昇った時のものとも言われる。皇嗣の秋篠宮さまは、前回の同じ儀式で皇太子さま(現陛下)が着用した赤みを帯びた黄色の黄丹袍(おうにのほう)。

また、皇后さまは雅やかな十二単姿。ほかの女性皇族も皇后さまとは彩色が異なる十二単で、日本の伝統儀式を演出される。なお、今回はご高齢の皇族方に配慮して、洋装での参列も認められる。

平成の「即位礼正殿の儀」で天皇陛下(現上皇さま)が身につけた黄櫨染御袍。夏は生絹(すずし)、冬は練絹で裏地は同色の平絹。桐、竹、鳳凰、麒麟(きりん)の紋様がある。右手には笏(しゃく)を持ち、足元は神職が履く浅沓(あさぐつ)に錦を貼った挿鞋(そうかい)という木製の履物を着用される=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)
平成の「即位礼正殿の儀」で天皇陛下(現上皇さま)が身につけた黄櫨染御袍。桐、竹、鳳凰、麒麟(きりん)の紋様がある。右手に笏(しゃく)を持ち、足元は神職が履く浅沓(あさぐつ)に似た挿鞋(そうかい)という木製で錦を貼った履物を着用する=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)

平成の「即位礼正殿の儀」で皇后さま(現上皇后さま)が身につけた十二単。五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)からなる。手に檜扇(ひおうぎ)を持ち、伝統的な「おすべらかし」の形に結った髪には釵子(さいし)と呼ばれる金色のかんざしを挿される=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)
平成の「即位礼正殿の儀」で皇后さま(現上皇后さま)が着用した十二単。五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)からなる。手に檜扇(ひおうぎ)を持ち、伝統的な「おすべらかし」の形に結った髪には釵子(さいし)と呼ばれる金色のかんざしを挿す=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)

平成の「即位礼正殿の儀」で皇太子さま(現陛下)が着用した黄丹袍=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)
平成の「即位礼正殿の儀」で皇太子さま(現陛下)が着用した黄丹袍=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)

旙と威儀物

会場である宮殿の中庭には、「萬歳」の字が金糸で刺繍された「万歳旙(ばんざいばん)」など、赤、白、青、黄と色鮮やかな旙(ばん=のぼり)が左右一列ずつ、計26本立てられる。旙は皇室の儀式の装飾に欠かせない小道具だ。太陽や月を表すものや、菊花紋ののぼりがある。戦前までの即位式では神話に基づく生物の紋様もあったが、前回からこの種の紋様は除かれた。

旙の前には、儀式の威容を整えるため、太刀、弓、盾などの「威儀物(いぎもの)」を持った古装束姿の男たちが並ぶ。その役を務めるのは宮内庁職員。

平成の「即位礼正殿の儀」で「松の間」に面した中庭に立てられた幟と古装束を着用して装飾品などを携え「威儀の者」に扮(ふん)する宮内庁職員=1990年11月、皇居・宮殿[代表撮影](読売新聞社/アフロ)
平成の「即位礼正殿の儀」で「松の間」に面した中庭に立てられた幟と古装束を着用して装飾品などを携え「威儀の者」に扮(ふん)する宮内庁職員=1990年11月12日、皇居・宮殿[代表撮影](読売新聞社/アフロ)

剣を手に「即位礼正殿の儀」の会場に入る「威儀物奉持者」に扮した宮内庁職員ら=1990年11月12日、皇居・宮殿中庭(毎日新聞社/アフロ)
剣を手に「即位礼正殿の儀」の会場に入る「威儀物奉持者」の宮内庁職員ら=1990年11月12日、皇居・宮殿中庭(毎日新聞社/アフロ)

平成を上回る外国代表

参列者のうち、4分の1を占める約600人は、英国・チャールズ皇太子や中国・王岐山国家副主席など、外国からの王族、元首・首脳クラスや祝賀使節だ。今回は200近い国や国際機関から参列し、前回より30以上増えた。参列者には儀式が見やすいように、30台の大型モニターが会場内に設置されている。

平成の「即位礼正殿の儀」の参列席に入る英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃(当時)=1990年11月12日、皇居・宮殿(毎日新聞社/アフロ)
平成の「即位礼正殿の儀」の会場に入る英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃(当時)=1990年11月12日、皇居・宮殿(毎日新聞社/アフロ)

お言葉と寿詞

中庭の鉦(しょう=かね)の合図で参列者全員が起立し、高御座と御帳台のとばりがあけられる。鼓(こ=たいこ)の音で参列者が敬礼。安倍首相が高御座の正面に進み出ると、陛下がお言葉を述べられる。

即位に当たって天皇がご自分でお言葉を読むようになったのは大正天皇からだ。前回から漢語調をやめ、平易なお言葉になった。

平成の「即位礼正殿の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下(現上皇さま)=1990年11月20日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)
平成の「即位礼正殿の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下(現上皇さま)=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」[代表撮影](時事)

陛下に続いて、安倍首相が即位のお祝いの寿詞を読み上げる。そして、首相が「ご即位を祝して万歳」を三唱、参列者も唱和する。

時の総理大臣の即位礼でのスタイルは前回から、戦前のものと大きく変わった。明治憲法下で行われた昭和天皇の即位礼では、当時の田中義一首相が古装束姿で、「臣義一……」と寿詞を述べ、中庭に降りて高御座を仰ぎ見ながら「天皇陛下万歳」と発声した。前回から、首相は国事行為の儀式に着るえんび服で、陛下と同じ「松の間」から、「ご即位を祝して」と万歳の趣旨を明確にして、万歳三唱することになった。なお、外国からの参列者には、事前に説明して万歳三唱の唱和は求めないことになっている。

平成の「即位礼正殿の儀」の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)。左端は万歳三唱する海部俊樹首相(当時)=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」(時事)
平成の「即位礼正殿の儀」の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)。左端は万歳三唱する海部俊樹首相(当時)=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」(時事)

国の儀式のパレード「祝賀御列の儀」

当初の計画では、正殿の儀が終わると、両陛下は洋装に着替え、午後3時30分から、お披露目のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」を行う予定だった。しかし、政府は台風19号による甚大な被害を考慮し、11月10日午後3時に延期した。

両陛下は皇居・宮殿からお住まいの赤坂御所(前東宮御所)まで4.6キロメートルをオープンカーに乗り、国民の祝福を受けられる。これも国の儀式で、皇嗣の秋篠宮のご夫妻や、安倍首相が乗った車も連なる。前回は44台の車列が走った沿道が、約12万人で埋まった。

平成の「祝賀御列の儀」で沿道を埋めた人たちの中を進む天皇皇后両陛下の車列=1990年11月12日、東京・千代田区の内堀通り祝田橋交差点(読売新聞社/アフロ)
平成の「祝賀御列の儀」で沿道を埋めた人たちの中を進む天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)の車列=1990年11月12日、東京・千代田区の内堀通り祝田橋交差点(読売新聞社/アフロ)

今回のオープンカーはトヨタ自動車製で全長5.34メートル、幅1.93メートルと前回のロールス・ロイス製より少しだけ大きい。車列は宮殿の南車寄で国歌演奏の後に出発。皇居正門―桜田門交差点―国会議事堂正門―国会図書館前―平河町交差点―赤坂御用地南門前―青山一丁目交差点―赤坂御所正門―御所御車寄のルートを進む。御所到着はおおむね午後3時30分の予定で、到着後に再び国歌が演奏される。

報道陣に公開された令和の「祝賀御列の儀」で天皇、皇后両陛下が乗車されるオープンカー=2019年10月7日、皇居内(時事)
令和の「祝賀御列の儀」で天皇、皇后両陛下が乗車されるオープンカー=2019年10月7日、皇居内(時事)

参列者を招く「饗宴の儀」

22日の夜は、正殿の儀に参列した外国からの賓客を中心に、国内参列者を交えて、お食事会の「饗宴の儀」が、宮殿で午後7時20分から開かれる。外国参列者は「松の間」で高御座と御帳台を見学してから、食事会場の「豊明殿」に入る。洋食を加味した和食で、食事中は雅楽が演奏される。

両陛下はこの後、外国参列者と共に「春秋の間」に移り、食後の飲み物を飲みながら、参列への感謝のお気持ちを伝えられる。終了は10時50分の予定。

国の儀式である饗宴の儀は、この後も25日、29日、31日に、正殿の儀参列者を招き、続けられる。平成の時は4日連続で計7回開催したが、今回は両陛下の負担を考慮して回数を減らし、後半2回は立食とする。

平成の「饗宴の儀」で招待客と歓談される天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)=1990年11月12日、皇居・豊明殿(毎日新聞社/アフロ)
平成の「饗宴の儀」で招待客と歓談される天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)=1990年11月12日、皇居・宮殿「豊明殿」(毎日新聞社/アフロ)

(2019年10月18日、「祝賀御列の儀」に関する部分を改訂)

バナー写真:平成の「即位礼正殿の儀」 。儀式が行われる皇居・宮殿「松の間」に面した中庭に鉦や鼓、旛が並ぶ中、勢ぞろいした古装束の「威儀の者」たち=1990年11月12日(毎日新聞社/アフロ)

皇室・王室 皇室 天皇 新天皇即位 令和 皇位継承 即位の礼