皇位継承の重要儀式は10、11月に:「即位の礼」と大嘗祭
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平安絵巻そのままに
これまでの皇位継承の中心儀式は、天皇即位の翌年以降に行われてきた。先の天皇が亡くなって、1年の服喪期間を終えてから準備に入るためだ。今回は生前退位に伴うものだったので、即位の年に主要儀式が営まれることになった。
「即位の礼」の一番のハイライトは、国の儀式として行われる「即位礼正殿の儀」。休日となる10月22日、皇居・宮殿の一番格の高い正殿「松の間」で、平安絵巻そのままに繰り広げられる。1990年の前回をもとに、おおまかに儀式を予想すると――。
天皇専用の束帯(天皇や公家の平安以降の正装)を着た陛下が、高御座(たかみくら)にのぼり、即位を宣言するお言葉を述べる。高御座は天皇の玉座を意味し、平安時代の即位式から使われている。現在のものは大正天皇の即位礼のため1915年に新造され、高さ6.5メートル、重さ8トン。また、十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが、隣の一回り小さな御帳台(みちょうだい)に入る。ほかの成人皇族方も平安装束で勢ぞろいする。
参列者は、招待国が前回より30増え、195カ国からの祝賀使節をはじめ、内外の代表約2500人(前回は約2200人)。「松の間」の前の中庭には、色とりどりののぼりが立てられ、その前には太刀、弓などを持った古装束姿の宮内庁職員らが並ぶ。
前回は首相の「万歳」で論争
陛下のお言葉に続いて、安倍晋三首相がお祝いの寿詞(よごと)を述べた後、万歳の音頭を取り、参列者が万歳を三唱する。前回は戦後初の即位礼だったので、国民を代表する立場の「首相」の服装、万歳発声の場所、万歳のセリフの3点が、準備段階でもめた。
明治憲法下で行われた昭和天皇の即位礼では、当時の田中義一首相が古装束姿で、「臣義一……」と寿詞を述べ、中庭に降りて高御座を仰ぎ見ながら「天皇陛下万歳」と発声した。伝統通りに行うよう求める保守派と、「国民主権の現憲法の精神と相いれない」と反対する野党側が対立したのだ。
政府・宮内庁が検討した結果、当時の海部首相は国事行為の儀式に着るえんび服で、陛下と同じ「松の間」から、「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」と発声した。万歳の趣旨が明確になった。安倍首相も前例に倣うとみられる。
約30分の儀式が終わると、両陛下は洋装に着替え、皇居からお住まいの赤坂御所(前東宮御所)まで4.7キロメートルをオープンカーに乗り、お披露目のパレードを行う。これも国の儀式で、「祝賀御列(おんれつ)の儀」。前回は44台の車列が走った沿道が、約12万人で埋まった。
注:政府は台風19号による甚大な被害を考慮し、10月22日午後に予定していた東京都内でのパレード「祝賀御列の儀」を11月10日に延期した。【10月18日追記】
一度だけの大嘗祭
前回の一連の皇位継承儀式の中で最も論議を呼んだのは、新天皇が国の平安や五穀豊穣を祈る「大嘗祭」だった。歴代天皇が毎年、宮中で行っている新嘗祭(にいなめさい)とほぼ同じ内容を、新天皇が一度だけ大掛かりに行う儀式。宗教色が強い行事のため、秋篠宮さまが昨年秋の記者会見で「国費を使うのは適当か。身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」と述べられ、大きな波紋を呼んだ。
大嘗祭は11月14日夕から夜を徹して、前回同様に皇居・東御苑で、この神事のための「大嘗宮」を造って行う。純白の祭服を着た新陛下がほのかな明かりの中、中核儀式が行われる祭場殿舎の「悠紀殿(ゆきでん)」に入る。白色の十二単姿の皇后さまら皇族方も参列。
一人だけ奥の内陣に入った陛下は灯明の中、神座と向かい合う御座につき、米、白酒(しろき)黒酒(くろき)、アワビの煮物などを、皇祖の天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ神々に供える。続いて、国家・国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、将来もそうなるよう祈る御告文(おつげぶみ)を読み上げ、同じものをいただく直会(なおらい)をする。
約3時間の儀式を終えて陛下は一度、休憩をとる。翌日未明、再びもう一つの「主基殿(すきでん)」で同じ所作を行う。日本独自の農耕文化に根差した儀式である。
“神格化の秘儀”を否定した宮内庁
しかし、殿内に天皇がこもって行う“秘儀”とされ、全く公開されず、殿内に寝座があるため、「新天皇が神と寝ることにより神格を得る」などいろいろな説が流れされてきた。これに対し宮内庁は前回、「寝座は神(天照大神)がお休みになる場所で、寝具類はなく、陛下がそこに入ることはない」として、神になるための儀式という通説を否定した。
大嘗祭に関する現在の法規は何もない。戦前の旧皇室典範には入っていたが、戦後の現典範では削られた。前回、政府は憲法の政教分離原則「国はいかなる宗教活動もしてはならない」に基づき、大嘗祭を国事行為(国の儀式)にすることは見送った。しかし、「憲法は皇位の世襲を定めており、(7世紀の天武天皇の頃から始まった)大嘗祭は伝統的な皇位継承儀礼で、公的性格がある。その点に着目すれば、宗教的性格を持った儀式でも公費支出は許される」と判断した。こうして大嘗祭は公的な皇室行事とされ、その費用は皇室の公的活動費「宮廷費」から支出することになった。
これに対して、秋篠宮さまが「国費ではなく、天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てるべきだ」と発言して、一石を投じた。「大嘗祭のために祭場を新設せず、新嘗祭など宮中祭祀を行っている『新嘉殿(しんかでん)』で行い、費用を抑える」とかなり具体的な提案を宮内庁に示されていたことも明らかになった。
宮内庁は、大嘗宮の規模を前回の2割縮小したり、前回は木造だった建物の一部をプレハブ化したり、中心の悠紀殿、主基殿を茅葺(かやぶき)から板葺に改め、招待者も前回より200人減らして約700人にすることを決めた。しかし、人件費や資材費の高騰もあり、大嘗祭の経費は前回より4億7000万円多い27億円余となる。
大嘗宮は元来、一夜の特別なお祭りのために造り、儀式が終わったらすぐ撤去する簡素な建物だった。しかし、最近の大嘗宮は旧憲法下で天皇が神格化した時のものに近いため、出費が巨額になってしまう。だが、前回の参列者は「雰囲気は伝わってきたが何も見えず、寒いし、途中で帰る人が目立った」と話していた。今回も祭祀に対する国民の理解度が低い中で、大嘗祭が行われる。
バナー写真:即位を公に宣明する「即位礼正殿の儀」に臨まれた天皇、皇后両陛下(当時)。左端は「万歳」を発声する海部首相=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」(時事)