天皇退位の本義:皇室制度の修正課題に取り組まれた新上皇
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平成の皇室トップニュースだった退位
平成の始まる瞬間を30年前、筆者は皇居・宮内庁内で迎えたが、その平成が天皇の退位で終わるとは全く予想できなかった。昨年秋の読売新聞の世論調査によると、「平成を象徴する国内の出来事」上位10項目の中で皇室関連のトップは「天皇退位特例法成立」だった。天皇の生前退位を特例という形で認めたもので、退位が国民にとっていかに衝撃的なことだったかがよく分かる。
天皇退位に関する規定は、2017年に上記の特例法ができるまでなかった。そのため、戦後の国会では何度か、天皇退位に関する論議があった。政府・宮内庁は、①退位を認めると、日本の歴史を見ても院政のように、上皇や法皇の存在が弊害になる②天皇の自由意思ではない退位の強制があり得る③天皇が勝手気ままに退位できるようになる――と退位を認めない理由を説明してきた。こうした点からも、譲位・退位は好ましくないものと考える国民も少なくなかった。
しかし、平成の陛下は在位28年目の2016年8月、皇太子に譲位したい意向を映像メッセージで伝えられた。広く国民に向け、メディアを通して理解を求めるお言葉だったので、「平成の玉音放送」とも言われた。これまでの政府・宮内庁の国会答弁とは異なることを、陛下自らが話されたので、戸惑いを感じる人も多かったはずだ。
説得力があった「平成の玉音放送」
それでも、陛下の象徴天皇として国民に寄り添った実績に基づくお言葉には、十分な説得力があった。「(当時82歳で)次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」「我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、(中略)象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、私の気持ちをお話しいたしました」
陛下がこのお言葉の中で、「憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能は有しません」と述べている。この映像メッセージが法改正や新法制定の契機となり、憲法違反と受け止められないかと、ご自身も懸念されていた。だが、国民のためにこそ、終身の天皇を続けるのではなく譲位したいのだというお考えは支持された。新聞各紙の世論調査でも、今回の退位と新天皇の即位は9割前後の圧倒的な賛意が示された。
明治期に削除された「退位」
陛下は在位30年の間に、被災地への訪問や、戦没者の慰霊など、「行動する天皇」として象徴天皇の務めを果たしてきた。また、過剰警備の改善などにも心を砕かれた。様々な問題や改革に取り組まれ、最後の課題が皇室制度の見直しだったと、筆者は思う。先の映像メッセージの初めの方には、「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」とある。
陛下は常々、「伝統的な天皇像は、政治への関わりが少なく、国民のために務めを果たす『象徴天皇』の姿ではないか」と述べられてきた。逆に伝統的ではなかったのが、明治維新後の近代化を急ぐ中で、天皇がかつてない権力を持つことになった時代である。その明治中期の大日本帝国憲法・旧皇室典範の制定の過程で、従来の皇室制度から外された最たるものの一つが「譲位」だった。
当時、譲位を認める案も検討されたが、初代首相だった伊藤博文の反対で旧皇室典範の条文から削除された。天皇が実権を握った者に退位させられたり、皇室が分裂して乱れの原因となったりして、近代国家となった日本が不安定になることを恐れたからで、「天皇が不治の重患になったら、(天皇の代わりを務める)摂政を置けばよい」というのが伊藤の考えだ。こうして、天皇の退位規定が設けられなくなり、終身在位の天皇制が誕生した。
これに基づき、大正天皇が重病となった時に、皇太子(昭和天皇)が摂政を5年間務めることになった。この前例に従い多くの国民は、天皇が高齢で動けなくなったら、摂政に任せればよいのでは、と信じ込んでしまってきた。
ご自分でしか解決できない課題への挑戦
戦後の憲法で、天皇は政治権力のない「象徴」となり、本来の姿に戻ったが、皇室制度、そして国の根幹に関わる皇位継承の退位の問題が残されていた。しかし、戦後しばらくの間は、昭和天皇退位論の問題があり、退位を議論するのは敬遠された。年月を経て、退位は政治家も国民も言い出しにくくなっていく中で、陛下は在位とお年を重ねるうちに、この問題を解決できるのはご自身であることに気付かれた。そのため、異例の国民に直接話しかける形をとられたのだと、筆者は思う。
先の映像メッセージの中で、摂政を置くことについて、「天皇が十分に(中略)務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりありません」と、否定的な見解を述べている。天皇はただ存在するだけでは意味がなく、在位中は国民のために力の限り務めを果たし続け、それが出来なくなったら皇位を譲るべき、というご自分で考え抜いた「象徴」の在り方を貫かれたのだ。こうした深い思いから、長い天皇の歴史の中で異質だった終身在位の決まりは消えることになった。
葬儀改革も決断
退位問題の前に、陛下はもう一つの改革を行っている。映像メッセージの3年前(2013年)、宮内庁は両陛下のお気持ちを表した「今後の陵と葬儀のあり方」を公表した。①お二人の陵を寄り添う形に造り、従来の天皇、皇后陵より敷地面積を縮小する②陵の簡素化の観点からも、火葬にする――という葬儀改革だった。
特に天皇の火葬は国民を大いに驚かせた。「今の社会では火葬が一般化しており、歴史的にも天皇皇后の葬送は、土葬、火葬のどちらも行われてきた」という説明だった。ご葬儀については、これも天皇ご自身でしか言い出せず、決断できない改革で、根底に国民の負担や影響を少なくしたいというお考えがあるのは言うまでもない。
「天皇の最大のお務めは、先帝から受け継いだ皇位を、きちんと次の天皇にお渡しすること」と、筆者は昭和天皇に長く仕えた侍従に教えてもらったことがある。ごく当たり前のことだが、それが「世界最古の皇室」を守っていく極意なのだと悟った。歴史上、退位は125代天皇の新上皇が59例目になる。歴代天皇の半数が譲位してきた事実からも、生前の退位は、若干の例外があったとしても、次の天皇への継承を確実にする極めて有効な制度だったのだ。
令和の時代に入り、誰も目にしたことのない上皇の在り方を見せていただきたいと願う国民も多いだろう。また負担をおかけすることになるが、それが次の務めであることは、202年ぶりの上皇さまは十分に分かっていらっしゃると、筆者は確信している。
バナー写真:退位の報告のため、三種の神器である剣、曲玉とともに伊勢神宮内宮を参拝された天皇陛下=2019年4月18日、三重県伊勢市(時事)