ニッポンのLGBTはいま(2)多様性の街、そして「性なる場」新宿
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性と民族の多様性に寛容な街
私が新宿区役所通りの女装スナックやニューハーフパブのお手伝いホステスとして、新宿の街に足しげく通っていたのは1995~2003年ごろだから、もうずいぶん昔のことだ。
店に出る前には、新宿通り界隈やサブナード(地下街)の店で服や靴を買い、「伊勢丹」で化粧品を購入して売り場のスタッフに最新流行の化粧テクニックを教えてもらった。夏にトールサイズの浴衣や水着を買ったのも「伊勢丹」や「丸井」だった。東口広場にときどき出没する怪しい、そしてたぶん違法なユダヤ人露天商からシルバー?の指輪を買ったこともあった。仲間と焼肉屋や居酒屋、台湾料理屋に行くこともたびたびだったし、「中村屋」の新宿通りが見えるガラス張りの喫茶室で男性と待ち合わせることもときどきあった。
トランスジェンダーだとわかっていても入店を断られたことは一度もないし、不愉快な扱いをされたこともない。それどころか、居酒屋の主人がやけに親切だったり、磯辺焼きの露店の兄さんは「お姐さん、美人だね」といつもおまけしてくれたりした。
新宿という街は、「LGBT」なんていう言葉の欠片もない頃から、世の中には多様な性の人がいることをわかっていたし、新宿で商売をする人にとって、そうした人がお客として来ることは当たり前だった。
そうした多様性への寛容さは、性に関わることだけではない。私が新宿で遊んでいた頃は、イラン人やトルコ人など中東系の男性が街にたくさんいて、「中東じゃ美人」らしい私はよくナンパされた。夜の街で働くタイ人の女性もたくさんいて、明け方、仕事を終えた彼女たちが集まる営業許可をとっていないアンダーグラウンドなタイ料理店に連れて行ってもらい、現地水準の料理の辛さに驚いたこともあった。歌舞伎町には古くから台湾系のコミュニティがあり、後からやってきた大陸系の中国人(広東、福建、上海、北京などの系統に分かれていた)も加わり、馳星周の小説『不夜城』で描かれた世界さながら、日本人のヤクザと利権を争っていた。新宿という街は、民族的にも多様性を受け入れてきた「懐が深い」街なのだ。
新宿の街が生まれ、盛り場になるまで
さて、そうした多様性の街・新宿がどうやってできたのか? これはかなり難しい問題だ。ちょっと長くなるが、お付き合いいただこう。
新宿の歴史は、江戸時代の中頃、1698年に信州高遠3万石の内藤氏の屋敷の一部を提供させて、甲州街道の宿場として「内藤新宿」が置かれたことに始まる。その場所は、現在の新宿の盛り場よりかなり東で、四谷寄りだ。
明治時代になり1885年に日本鉄道(現在のJR山手線の西半分)の停車場として新宿駅が置かれたのは、宿場町の外れの「追分」のさらに西、内藤新宿ではない「角筈(つのはず)村」だった。開業当時、駅の周辺に民家は1軒もなく、ほとんど畑地と欅(けやき)の森だった。駅は貨物の扱いがメインで乗降客は1日平均50人足らずだったらしい。ちなみに、現在の新宿駅の1日の平均乗降者数は353万人で世界一だ。133年間の新宿駅の大発展が、どれだけすさまじいものであったかがわかる。
1920年代になっても、新宿は東京市の西の場末、市電の終点だった。発展のきっかけになったのは23年の関東大震災だ。銀座、浅草の盛り場も、下町の住宅地も壊滅的な被害を受けたが、山の手(正確には山の手の外側の武蔵野の始まり)の新宿の被害は軽微だった。震災後、被害が大きかったエリアから武蔵野・多摩地域(郡部)へ移り住む人たちが増え、東京の市街は西へ発展していく。新宿駅は東京西郊の鉄道ターミナルとなり、新宿の街は、ようやく東京の西の盛り場として発展していく。
そして、増加してきた「給料取り(サラリーマン)」を中心とする都市中間層の需要・趣味に応じたデパート、映画館、劇場、ダンスホール、カフェーなどが多いモダンな盛り場として30年代に戦前における全盛期を迎える。
敗戦後に巨大闇市が出現、性も売られた
しかし、その繁栄は長く続かなかった。新宿の街のほとんどは、1945年5月25日のアメリカ軍による「東京山の手大空襲」で、文字通り、灰燼に帰してしまう。
8月15日の敗戦後まもなく、広大な焼け跡に出現したのが闇市だ。東口の尾津組、野原組、東口から南口にかけての和田組、西口の安田組。とりわけ和田組マーケットは巨大だった。
長々、新宿の歴史を述べてきたが、私は新宿の多様性の原点がこの巨大闇市にあったように思う。
闇市というものは、その名の通り「闇」で、そこでの売買はすべて非合法のはずなのだが、実際には配給制の統制経済下では手に入らないはずの多様な物が売られていた。食品、酒、衣類などなんでもあり、それらを求めて大勢の人たちが集まった。闇市で売られていたものは物だけでない。性も売られていた。南口に多かった街娼(ストリート・ガール)たちの中には、闇市の仮設店舗をSexの場にしている女性も多かった。その中には、女装の男娼もいた。
49年にGHQ(連合国最高司令官総司令部)の「露店整理令」が出る。新宿駅周辺の闇市は解体され、露店商たちは新天地を求めて新宿の街に散っていった。その最大の移転先が、現在、花園神社の裏手(西側)に広がる木造建物飲食店の密集地帯「ゴールデン街・花園街」だった。50年の移転から8年ほど、この街は、お酒と性の両方を売る「青線」(黙認されない売春地帯、しばしば警察の摘発が入る)で、その賑わいは、「新宿遊廓」(1922~45年)以来の伝統をもつ新宿二丁目の「赤線」(黙認売春地帯、警察の摘発はない)に匹敵するほどだった。
街ぐるみで起こった性的指向の大転換
しかし、1958年「売春防止法」施行で、性を売ることができなくなり「青線」街は寂(さび)れかける。そんな旧「青線」街に現れたのが、新宿駅西口や基地の街・立川での男娼稼ぎで資金を貯めた女装男娼たちだった。「彼女」たちは、価値が下がった店の営業権を買って小さな飲み屋を始める。私が知っている90年代の「ゴールデン街・花園街」には、そういう来歴の店がまだ何軒か残っていた。
そうした土壌がある街に、読売新聞の社員で女装秘密結社「富貴クラブ」の有力会員だった加茂梢が67年、女装バー「ふき」(花園五番街、後に「梢」に改称)を開店する。これが新宿における女装系の店の元祖であり、女装コミュニティの原点となる。
私がお世話になった花園五番街にあった女装バー「ジュネ」は、退転した「梢」に代わって80~90年代の女装コミュニティの中核になった店だが、その前身は、美貌の女装男娼として知られた人が開いた店だった。だから「ジュネ」のボトル棚には「彼女」の遺影がいつも飾ってあった。
花園神社裏の「青線」が担っていた酒と性を売る街の機能は、その後、区役所通りを挟んで西側の歌舞伎町1丁目(区役所裏)に移動する形で再編成される。
新宿三丁目と二丁目の境界になっている御苑大通りが新宿通りと交差する南側(広いグリーンベルトがある)あたりにあった「千鳥街」も、闇市起源の小さな飲み屋街だった。「千鳥街」は1950年代にすでにゲイバーの多い街として知られていたが、御苑大通りの延長によって68年に立ち退きになってしまう。その直後の69~72年に、新宿通りを挟んだ北側の旧「赤線・新宿二丁目」周辺にゲイバーが急増する。つまり、「ゲイタウン」の原点は「千鳥街」であり、その立ち退きが「ゲイタウン」形成のきっかけになったことが最近の私の研究でわかってきた。
長い伝統をもつ男と女の「性なる場」が短期間に男と男の「性なる場」になるという、世界でも稀な「街ぐるみの性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)の大転換」という謎が、ようやくほぼ解明された。
こうして、男と女の異性愛の街・歌舞伎町、女装コミュニティの原点・花園街、男と男の(後に女と女も)同性愛の街・二丁目という「住み分け」を伴う新宿の性的な多様性は、戦後の闇市を起源に、そこから派生した飲み屋街の中で育まれ、それが「売春防止法」の施行などによって再編成されながら、今に至ったということになる。
多様性の街・新宿で遊ぶなら
最後に、多様性の街・新宿の遊びガイドを少しだけ。
二丁目の仲通り周辺には、200軒以上のゲイバー、20軒ほどのレズビアンバーがひしめいているが、男性同性愛者しか入れないゲイバーや、女性しか入れないレズビアンバーなど伝統的なスタイルの店が多い。その一方で、最近ではゲイブックカフェ「オカマルト」や、レズビアン系の足湯カフェ「どん浴」など、LGBTに理解がある人なら誰でも入れるMix系の店が注目されている。今後は、こうした「開かれた」店が増えていくのではないだろうか。
女装系の店は、2000年代の性別移行を精神疾患と見なす「性同一性障害」の大流行でダメージを受けて数が減ったが、歌舞伎町・花園三番街の「JAN JUNE」(「ジュネ」の孫に当たる)が発祥の地で伝統を守っている。女装系の店は、もともと女装者に理解がある人なら男女を問わず「おいでください」だし、お値段もリーゾナブルなので気楽に立ち寄れる。
もっとゴージャスに飲みたい人なら歌舞伎町二丁目・区役所通りのニューハーフクラブ「メモリー」がお勧め。20年以上変わらない美貌のママが迎えてくれる。
ニューハーフ・ショーを楽しみたいなら、歌舞伎町の「黒鳥の湖」。はとバスの夜の東京観光コースにも入っている創業40年の老舗だ。
「あれ、今、すれ違った背の高い美人、ニューハーフ?」。そんな出会いがあるのが新宿の魅力。ぜひ、大勢の方に、多様性の街・新宿を楽しんでほしい。
写真提供:三橋 順子
編集協力:POWER NEWS
バナー写真:新宿二丁目のゲイ・ショップ「ルミエール」