ニッポンのLGBTはいま(1)「これが私」自分に正直に生きる:日本テレビ・谷生俊美さんインタビュー
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「news zero」への出演オファー
日本テレビ系のニュース番組「news zero」に、不定期でゲストコメンテーターとして出演している女性がいる。2018年10月4日、初めて登場した谷生俊美さんは、こう自己紹介した。
「谷生俊美です。日本テレビには男性として入社して、いまはトランスジェンダー女性として映画と向き合う生活をして7年目です」
「『news zero』に出ないか」と報道局から打診されたとき、谷生さんは、LGBT特集のコーナーゲストのような役割だと思ったという。しかし、番組からのオファーは、「ゲストコメンテーターとしてあらゆることについて話してほしい」というものだった。トランスジェンダーで、そうした役割でニュース番組に出る人は、これまでいなかった。そこで谷生さんは覚悟を決めたという。
「私は報道局にも長くいたので、そのような役割でニュース番組に出ることの意味と重み、そして影響力は理解しているつもりでした。このお話を受ける以上は、とてつもない責任を負うことになる。そして、トランスジェンダーであるということも含めて、世の中に知られるんだと思いました。それは、好むと好まざるとにかかわらず、出演したことによって引き起こる結果にも向き合わなければならない、ということです」
冒頭の自己紹介には、谷生さんの決意が込められている。
「女性になりたい」という気持ち
谷生さんは2000年4月に入社して以降、国際ニュースを扱う外報部や社会部警視庁担当など、ずっと記者畑を歩いてきた。テレビ局に就職するまで、どのような思いがあったのか。
「神戸で育った小さい頃から、自分の性別に違和感はありました。いつか女の子になりたいと夢想したり。私が子どもだった1980年代はいわゆるニューハーフブームで、テレビなどで見るニューハーフのみなさんは、中学を卒業して家出をしたりして、ショーパブで働くようになり……と、接客業をされている方が多いイメージでした。私はそういう方々をいいなと思いながらも、どこかで、トランスジェンダー女性には、そういう生き方しかないのだろうかという思いがありました。私はもっと自分の世界を広げたかった。それで男性として暮らしながら、大学に入って東京へ出てきて、大学院まで行きました。その間に、女性とお付き合いしたこともあります」
学生時代、旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督の映画『アンダーグラウンド』を観て衝撃を受けた。
「ナチスに抵抗した時代から冷戦、内戦を経てユーゴスラビアという国がバラバラになるまでの約60年間を描いています。人間の素晴らしさ、おかしさ、悲しさ、愛おしさ、愚かさやエネルギー、そしてとんでもないパワーをもっているところなどが、素晴らしいジプシー音楽とともに紡がれる一大叙事詩です。この作品を観て圧倒されるとともに、映画をつくりたいと思いました」
谷生さんは映画プロデューサーを志して日本テレビに入社する。ところが、配属されたのは報道局だった。その仕事のあまりの忙しさに、「女性になりたい」という気持ちはだんだん薄れていったという。そんな時、エジプトのカイロ支局に支局長として赴任することになる。
「支局では、日本人は私一人だけでした。それで、必然的に自分と向き合う時間が増えました。その時31歳。多くの人が、このまま会社にいたらどうなっていくんだろうと自分の生き方を考える時期だと思いますが、私はおじさんになるんだったら死んだほうがマシだと思ったんです。それでカイロにいた5年の間に、徐々に髪を伸ばしたり、中性的な服装にしたりし始めました。顔を出してリポートをしなければいけない中で、できる範囲で、それこそ涙ぐましい努力で自分を表現し始めたんです」
「人はいつ死ぬか分からない」
谷生さんが、ありのままの自分を表現したいと思ったのは、それだけが理由ではなかった。カイロ支局に勤務したのは、2005年4月10日から5年間。赴任した頃はイラク戦争の大規模戦闘集結宣言は出されていたものの、実際の戦闘は続き、アフガニスタンやパキスタンでもテロが頻発していた。
「必然的に、テロや戦争など、人の命がたやすく奪われ、傷ついていく現場を多く取材することになりました。そうした中で、さまざまな人生の気づきや教訓を得ましたが、その一つが『人はいつ死ぬか分からない』ということでした。そのことを中東の5年間で、強く認識させられました。それなら、いつ不幸な出来事に巻き込まれて命を奪われても、できるだけ後悔が少ない人生を生きたほうがいいと思ったんです」
谷生さんはエジプトに渡る前、04年12月26日に起きたインド洋大津波の取材も経験している。スマトラ島沖地震(マグニチュード9.0)と、その後に沿岸を襲った大津波で、20万人以上の人々が犠牲になった。
「年が明けた1月にインドネシアの現地に取材に行きましたが、言葉を失うしかないような悲惨な状況でした。町は見渡す限りがれきと化していて、こんな壮絶な光景は、人生で二度と見ることはないだろうと思いました。このインド洋大津波や中東で教訓を得て2010年に日本に帰ってきたのですが、また日常業務に追われる東京のペースに巻き込まれてしまって、教訓を活かすことはできないままでいました。どうにもできず、『もう36歳になってしまった、どうしよう』という焦りを感じていました」
「そんな気持ちを抱えながら過ごしていた11年3月11日、東日本大震災が起こってしまった。『日本でもこんなことが起きるんだ』と実感させられました。そのとき改めて、『人はいつ死ぬかわからない。それなら自分に正直に生きなければ』と強く思いました」
職場で上司にカミングアウト
エジプトから帰国した時点で、すでに谷生さんの外見は、以前よりも痩せて髪も長く、色白になるなど、赴任前とはかなり変わっていた。同僚たちからは、「あれ? 変わった?」「ビジュアル系になった」などと言われたという。
「『谷生は、どこに行くの?』というようなことも言われました。それで、報道の際に顔出しでレポートするのは、もう限界なのかもしれないと思っていました。そんな時、たまたま異動になり、編成局編成部の映画班で『金曜ロードSHOW!』と『映画天国』のプロデューサーの仕事をすることになりました」
新しい部署の上司は女性だった。
「とても話しやすくて、サポーティブな人です。この人だったら分かってくれる、何かいい方向を示してくれるのではないかと思い、2012年の秋に彼女にカミングアウトしました」
会社に説明するにあたり、「趣味なの?」と言われて終わってしまうことにならないよう、「生き方」の問題なので個人的には意味はないかもと思いつつも、専門家の診断も仰いでいた。そして女性上司のサポートで、段階を踏んで会社の理解を得られた。
「上司は『そうなんだ、言ってくれてありがとう』『それなら、谷生ちゃん、もう加速したほうがいいわよ』と言ってくれました。それで、仕事でももう顔出しもしなくていいので、より女性的なファッションやメイクをし始めました」
顔出しの仕事はなくなったはずだったが、前述のように声が掛かった。「news zero」に登場したことで、さまざまな反響があった。社内でも社外でも、いろいろな人からメールがきたり、声を掛けられたりしたという。
「たくさんの人に喜んでもらえ、前向きな評価をしてもらえたのは、とてもうれしいことでした。その一方で、私はトランスジェンダー女性になりたいわけではなく、女性になりたい。だから『news zero』でも女性として認識されたいのですが、『この人、なんか違うな』という違和感を与えている。それは私の努力が足りないんだなと、常に思っています。それでも、発言をしていく覚悟を決めたからには、旗を振りたいというわけではないけれど、ある種のメッセージを伝えられたらと思っています」
セクシュアルマイノリティとエンタテインメント
谷生さんは2018年12月、事業局映画事業部に異動となり、入社時に志していた映画プロデューサーの仕事に就いた。
「私は、セクシュアリティがその人の属性を規定する一番のものではないと常々思っています。アメリカでは最近、映画やドラマにセクシュアルマイノリティが登場する際、トランスジェンダーの検事、レズビアンの弁護士というように、多様な描かれ方が普通になっています。ただ、日本ではまだその人物のセクシュアリティありき、でつくられることが多い気がします。でもこれからは、例えば関西出身で、検事でトランスジェンダー、のような感じで、エンタテインメントの世界でも、より一般的な存在としてセクシュアルマイノリティが出てくるようになればといいなと思っています」
谷生さんが映画の話を始めると、表情がさらに輝く。セクシュアルマイノリティが描かれた映画で18年の日本公開ならナンバーワンだとオススメの映画が、チリの『ナチュラルウーマン』だ。
「この映画は、主人公のトランスジェンダー女性を実際のトランスジェンダー女性であるダニエラ・ヴェガが演じました。映画では、パートナーである男性が亡くなってしまったことによって差別や不当な扱いを受けますが、彼女は愛を貫くため、自分自身でいるために闘います。その姿がとても詩的な表現と音楽とともに描かれ、本当に感動させられます。アカデミー賞外国語映画賞も受賞した作品です」
同じ18年公開でエンタメなら、『グレイテストショーマン』も好きだという。見た目や生まれが人と違うことで社会から疎外されていた人たちを集め、興行で成功した実在の人物を描くミュージカルだ。
「劇中でヒゲの女性が歌う『ディス・イズ・ミー』という歌の歌詞で、どうしても涙が止まらなくなってしまいます。『これが私』という、その圧倒的な自己肯定が、私の心に刺さります」
写真:今村 拓馬
取材・文:桑原 利佳(POWER NEWS編集部)
バナー写真:谷生俊美さん