コラム:亜州・中国(23) 経済発展続けるフィリピンの最新事情
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「女性の活躍」が経済発展にも貢献
「フィリピンの会社では女性が上司、男性が部下というのは珍しくありません」。同国最大の商業銀行BDOユニバンクのジャパンデスク中小企業・個人口座部門ヘッド、下田裕深(しもだ・ひろみ)氏はインタビューに応じ、こう語った。
下田氏は東京生まれ。武蔵工業大学工学部卒業、3次元解析エンジニアとして日本で勤務した後、2002年からマニラ在住。13年からBDOユニバンクに勤めている。
同行人事部によると、全従業員の75%は女性、男性は25%。支店長の割合は女性70%、男性30%となっている。人事担当者はその理由について「一般的に女性は細かいことに気配りし、複数の仕事をこなせる。よく働き、忍耐強い」と指摘する。
フィリピンは日本と比べても、女性の活躍や社会進出が目立つ。その活力が経済発展にも寄与しているようだ。世界経済フォーラム(WEF)が男女平等の実現度合いを数値化した24年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、フィリピンは調査対象146カ国中25位。東南アジアでトップとなった。
日本は118位で、主要7カ国(G7)で最下位。韓国(94位)や中国(106位)よりも順位が低い。
マニラの先端地域に三越・ニトリ
マニラ首都圏はフィリピンの政治、経済、文化の中心地だ。面積は東京23区とほぼ同じ広さ(636平方キロメートル)だが、人口は1348万人(2020年)と、23区の約982万人を大きく上回る。
最近、最先端の新興開発地域として注目を集めているのが「ボニファシオ・グローバル・シティ(BGC)」。その一角で、三越伊勢丹ホールディングス(HD)は23年7月、生鮮食品や化粧品、フードコートなどを取り入れた大型の複合商業施設「MITSUKOSHI BGC(三越BGC)」を全面開業した。日本の百貨店がフィリピンに本格進出したのは初めてだ。
今年4月にはニトリホールディングス(HD)が三越BGC内にフィリピン1号店をオープンした。ニトリは32年末までに同国で65店舗を展開する目標を掲げている。ファーストリテイリング傘下の「ユニクロ」、大創産業(広島県東広島市)が運営する100円ショップ「ダイソー」のフィリピン国内の店舗数は昨年末時点で、ASEAN域内で最多だ。
フィリピンの人口は約1億1000万人、平均年齢は25.7歳と若い。フィリピン人は貯蓄より消費を好むといわれ、購買意欲は旺盛だ。国内総生産(GDP)の7割超は個人消費が支えている。
貧富の差は依然として大きいものの、フィリピン経済をウォッチしてきたBDOの下田氏は「中間層は確実に増えている」と証言する。マニラでは今、日本式のラーメンが人気で、1杯500ペソ(日本円で約1300円)でも注文する人が多いという。
日比関係は不幸な過去から和解へ
筆者が初めてフィリピンに入国したのは1989(平成元)年1月。日本人記者団の一員として13日間、首都マニラやルソン島北部の避暑地バギオ、中部セブ島、南部ミンダナオ島などを歴訪した。記者団は最後にマニラのマラカニアン宮殿(大統領府)でコラソン・アキノ大統領に会見した。
同年3月から92年5月まで3年余り、マニラ支局長として駐在した。当時ショックを受けたのはビジネス地区マカティにあるアヤラ博物館(Ayala Museum)を見学したときのことだ。フィリピンの歴史的出来事を立体人形や背景画、模型などで時系列的に再現する「ジオラマ」という展示がある。旧日本軍のマニラ占領(1942年)の場面では、日本人兵士たちの人形の顔がいかにも醜かった。ここまで対日感情が悪かったのかと思い知らされた。
同博物館がガラス張りの近代的な6階建てビルに移転、大改装したと聞いて今回、その新館を訪れた。ヘルメットをかぶった日本兵たちの人形の表情は、30数年前より少し“改善”されたように見えた。
日比関係は現在、基本的に極めて良好である。両国政府は不幸な過去から和解への努力を進めてきた。比政界、経済界の多くは「親日」的だ。それでも先の大戦で日米が国内で熾烈(しれつ)な戦闘を繰り広げ、巻き込まれた100万人以上のフィリピン人が犠牲になった歴史を忘れてはならないだろう。
中国と南シナ海で対峙、経済で連携
フェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領は7月22日、就任後3度目となる施政方針演説に臨んだ。国語のフィリピノ語と公用語でもある英語を交えて演説し、中国と領有権を争う南シナ海問題にも触れた。
フィリピンでは南シナ海を「西フィリピン海」と呼ぶ。同大統領は「西フィリピン海は想像の産物ではない。われわれのものだ」と強調、「フィリピンは屈しないし、揺るがない」との決意を示した。その一方で、法の支配に基づく国際秩序のルール、外交チャンネルを通じた平和的解決を目指す姿勢もにじませた。
前任のロドリゴ・ドゥテルテ大統領(2016-22年)は「祖父は中国人」と公言し、対中融和路線を歩んだ。マルコス大統領は米国との同盟関係を重視する方向に大きく軌道修正した。日本とも安全保障の分野で協力を強化している。とはいえ「日米と連携し、中国と対峙(たいじ)する」といった単純な構図でもない。
なぜなら、フィリピンにとって中国は今や最大の貿易相手国である。経済界では、旧来のスペイン系「アヤラ財閥」などに加え、「シー財閥」など中華系財閥の台頭が著しい。マニラ首都圏のビノンド地区にあるチャイナタウンは世界最古の中華街。両国の古くからの結びつきを象徴している。
フィリピンの実質GDPは2020年にコロナ禍で前年比9.5%減と大きく落ち込んだが、21年に5.7%増とV字回復した。22年7.6%増、23年5.6%増と順調に推移している。政府は今年も6.0-7.0%の成長率を目標にしている。
半面、名目GDPの規模は22年時点でASEANに加盟する10カ国のうち6位、1人当たりGDPは同7位と依然として“経済小国”でもある。経済の分野では中国との連携も強めざるを得ないのだ。
民主主義の根幹「報道の自由」の今
マルコス現大統領の父による独裁政権時代、1972年に布告された戒厳令で民主化勢力は弾圧され、投獄、拷問、殺害などの人権侵害が起きたといわれる。言論の自由も抑圧された。一部の新聞が発行停止になるなどジャーナリストにとっても暗黒の時代だった。
マニラ駐在外国人特派員とフィリピン人記者たちが「報道の自由」を守るため、1974年に結成したのが「フィリピン外国人特派員協会(The Foreign Correspondents Association of the Philippines、略称FOCAP)」である。今年4月15日、マニラホテルでFOCAP創設50周年記念フォーラムが開かれ、マルコス大統領が講演、記者会見にも応じた。
強権的なドゥテルテ前政権は旧マルコス時代と同様、メディアを締め付けた。大手放送局ABS-CBNは閉鎖された。独立系ネットメディア「ラップラー」を立ち上げたマリア・レッサ氏(2021年にノーベル平和賞を受賞)もさまざまな圧力や嫌がらせを受けた。
レッサ氏は著書『偽情報と独裁者――SNS時代の危機に立ち向かう』(日本語版は竹田円訳、河出書房新社)で、「ドゥテルテのメディアに対する脅迫は、フィリピンの言論の自由に背筋の寒くなる効果をもたらしただけではない。フィリピンをシベリアに変えた」とまで書いた。
22年6月末に発足したマルコス政権下で、メディア環境は改善したのだろうか。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)が今年5月に発表した24年版「世界各国の報道自由度ランキング」によると、対象180カ国・地域のうちフィリピンは134位だった。22年が147位、23年は132位と持ち直したものの、2つ順位を下げた形だ。ちなみに日本は前年から2つ順位を落として24年は70位、G7で最下位だった。
筆者は今回のマニラ訪問で、1990-91年にFOCAP会長を務めたロベルト・コロマ氏(愛称ボビー)と32年ぶりに再会した。彼は59年生まれ。フィリピン国立大学(UP)で学生新聞の編集長をしていたとき、旧マルコス政権から政治犯とされた経験を持つ。その後、フランスのAFP通信社に40年間勤務した。欧米も含めて20カ国以上で取材活動を続け、シンガポール・マレーシア支局長などを歴任した。2006年に仏政府から国家功労勲章シュバリエを受賞した著名なジャーナリストだ。
コロマ氏はフィリピンが報道自由度で134位にランク付けされたことに「同意できない。質の問題はあっても、報道は完全に自由だ」と反論した。「今のマルコス大統領は彼の父親やドゥテルテとは違って、メディアには手を出していない」との見解も述べたが、1986-92年のアキノ政権時代の方が現状より報道の自由度は高かったとの認識を示した。
変貌したマニラと変わらぬ夕日
今回のマニラ訪問は2003年10月以来、21年ぶり。首都圏の中心部は様変わりしていた。マカティの高層ビル群は一段と上空に伸びている。軍駐屯地があった一帯は再開発され、未来都市のような景観のBGCに生まれ変わった。
日比国交正常化70周年を迎える26年ころには、フィリピンの人口は日本を抜くとの予測もある。若い世代が多いこともあって、電子決済、配車アプリなどのデジタル化は日本以上に進んでいる。
あまりの変貌ぶりに“今浦島”のような心境になった。だが、フィリピンの人たちのホスピタリティと、世界的にも有名なマニラ湾の夕日の美しさは昔日と少しも変わっていない。
バナー写真:フィリピン国会下院で施政方針演説を行うマルコス大統領=2024年7月22日(AFP=時事)