コラム:亜州・中国

コラム:亜州・中国(21) 中国は再び「竹のカーテン」を降ろすのか

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中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が3月に開かれ、習近平国家主席(中国共産党総書記)への権力集中が一段と進んだ。一党独裁の中国が「改革・開放」政策を後退させれば、日米欧との溝は深まり、世界経済にも影を落とす。

全人代後の首相記者会見を廃止

3月5日の全人代開幕の前日、驚きの発表があった。恒例だった全人代を締めくくる首相の記者会見を今年から取りやめるというのだ。現職の李強首相の出番はなくなった。

国務院(政府)総理である首相は全人代の初日、北京の人民大会堂で施政方針演説に当たる「政府活動報告」を読み上げる。全人代の閉幕後には内外の記者との会見に臨むのが36年前からのしきたりだった。

記者会見は中国国営中央テレビ(CCTV)が全国中継する。首相の晴れ舞台でもあった。一方、外国メディアにとっては年1回、ときの首相に直接質問できる貴重な機会だった。それが突然失われたのである。

温家宝首相の記者会見はテレビ中継され、日本人記者も質問した(2003年3月18日、北京市内)=筆者撮影
温家宝首相の記者会見はテレビ中継され、日本人記者も質問した(2003年3月18日、北京市内)=筆者撮影

法改正で“党高政低”の構図鮮明に

今年の全人代では、国務院組織法が1982年以来、42年ぶりに改正された。「国務院は中国共産党の指導を堅持する」ことを明文化したのだ。共産党が政府より上の立場にあることが法的に確定した。

改革・開放政策を主導した鄧小平の時代には、党と政府(行政機関)を切り離す「党政分離」も模索された。しかし、今回の法改正に伴い、国務院は重要事項を党中央に適時報告し、指示を仰がなければならなくなった。

習近平氏は国家元首である国家主席(英語表記はPresident)だが、共産党トップの総書記の方が上位の役職だ。中国では憲法に「共産党による指導」が明記されている。「党の指導」は国家統治だけでなく、人民解放軍、国営企業、そして民営企業にまで及ぶ。党が事実上の人事権を握っており、公正で透明性の高いコーポレートガバナンス(企業統治)とは言い難い。

李強首相は党内序列2位ながら、かつての周恩来首相のようなカリスマ性には欠ける。3月5日の政府活動報告では「習近平同志を中核とする党中央の力強い指導」というキーワードを繰り返した。

唐突に首相会見を廃止したのはなぜか。「李強首相が習近平氏より目立たないように配慮したのではないか」、「中国経済が低迷しているので、外国人記者からの厳しい質問を受けつけたくなかったのだろう」などのうがった見方さえある。

今回の全人代を経て、首相の権限は相対的に低下した。“党高政低”の構図がより鮮明になったことは確かだ。

「大学は出たけれど」就職は難しい

「文化大革命の過ちと封建的な影響は完全には払しょくできていない。政治改革を成功させないと、歴史的悲劇を繰り返す恐れもある」

2012年3月14日、温家宝首相(当時)は全人代閉幕後の記者会見で、こう表明した。毛沢東時代、多くの知識人らが投獄・殺害されるなど破壊と暴力が吹き荒れた文化大革命(1966~76年)に言及し、民主化など政治体制改革を進めないと、改革・開放政策が後退しかねないと危機感を露わにしたのだ。

それから12年──。李強首相は政府活動報告で、24年の実質経済成長率の目標を「5%前後」と設定した。成長目標・任務の達成に向けて「われわれは、より大きな決意を固めて一層改革・開放を強化する」との意欲も示した。

北京で開幕した中国全国人民代表大会(全人代)で政府活動報告を読み上げる李強首相=2024年3月5日、中国・北京(AFP=時事)
北京で開幕した中国全国人民代表大会(全人代)で政府活動報告を読み上げる李強首相=2024年3月5日、中国・北京(AFP=時事)

だが、首相自身が「今年の初期目標を達成するのは容易なことではない」と認めたように、不動産不況などに苦しむ中国経済の先行きは不透明だ。

李強首相は24年の都市部調査失業率を「5.5%前後とする」との目標も掲げた。だが、若者の雇用情勢には懸念が広がっている。

都市部の若年層(16~24歳)の調査失業率は23年6月に21.3%と過去最高を記録した。国家統計局はその後、測定方法を見直す必要があるとして若年失業率の公表を一時見送った。

とりわけ大学生の就職難は深刻だ。「北京や上海の有名大学でも就職内定率は5割に届かない」といわれる。小津安二郎監督の名作映画『大学は出たけれど』の公開は1929(昭和4)年。世界大恐慌が始まった年だ。1世紀を経て、世界第二の経済大国でも大卒失業者が生まれている。

反スパイ法で外資・留学生も急減

李強首相は3月5日の政府活動報告で、「外資誘致に一層力を入れる」と力説、製造業への参入規制の全面的撤廃、電気通信、医療などサービス業への参入規制の緩和など対外開放を拡大する方針を明らかにした。さらに首相は同24日、日米欧などの大企業トップを招いた北京での国際経済フォーラムで「中国の大きな市場は、世界にとっても大いなるチャンス」と対中投資を呼び掛けた。

しかし、中国経済の不振に加え、23年7月に施行された改正「反スパイ法」も壁となって、外資の中国離れが顕著になっている。外国のビジネスマンは理由なく拘束されやしないかと、安心して中国に行けないのが現状だ。

中国の国際収支統計によると、23年の外国企業による直接投資は前年比82%減の330億ドル(約4兆9千億円)となった。30年ぶりの低水準に落ち込んだのである。

全人代会期中の3月6日、北京大学の賈慶国教授が海外からの留学生が急減している一因は「反スパイ法」だとSNS(交流サイト)に投稿し、波紋を広げた。同教授によると、米国からの留学生は10年前の約1万5000人から23年には約350人にまで減ったという。

同教授は反スパイ法の適用範囲があいまいなことが誤解を招いていると指摘、法律の実施細則を明示するなどの「改善」を求めた。習近平政権の方針に異論を唱えた形だが、反スパイ法は対外交流の妨げになっていることを浮き彫りにした。

王毅外相は会見で日本に触れず

全人代の会期中の外相記者会見も通例となってきた。昨年3月7日、秦剛外相(当時)が就任後初めて記者会見し、対日関係に関する質問にも答えた。新外相は習近平氏の側近といわれたが、6月25日以降、動静が途絶え、理由も不明なまま失脚した。前外相だった王毅・党政治局員が昨年から外相職を兼務している。

外相会見は今年も実現した。王毅外相は3月7日、中国の外交政策と対外関係についての内外記者会見を開いた。約1時間半にわたって21人の記者から質問を受けたが、北京駐在の日本人記者は指名されなかった。対日外交への所見も語らなかった。

中国外交にとって日本は歴史認識も絡んで極めて微妙な相手国だ。駐日大使を務め、日本通でもありながら王毅氏は今回、あえて日本を無視したのだろう。

それどころか、王毅氏は人事をめぐる権力闘争が見え隠れする「秦剛問題」にも一切触れなかった。中国の奥の院で何が起きているのか。共産党優位の意思決定システムは外からは見えない。「習一強」体制の中国はますます閉鎖的になり、透明性を失いつつあるのかもしれない。

中国のある学者は匿名を条件に「自由にものが言えない雰囲気がある。子どものころ体験した文化大革命に似てきた」と証言する。

改革・開放路線を逆戻りさせてはならない。健全な「市場経済」を推進するためにも「知る権利」の拡大、言論や報道の自由などにつながる思い切った政治改革が今こそ必要なのではないか。ところが、スパイ摘発を担当する国家安全省は中国経済に関する西側報道まで取り締まる言論統制の構えをみせる。

第二次世界大戦後、旧ソ連は西側の資本主義国に対して門戸を閉ざしていた。英国の元首相チャーチルが「鉄のカーテン」を引こうとしていると評し、冷戦時代の到来を予言したのは有名な話だ。

新中国は1949年の建国後しばらくは西側諸国との国交はなく、「竹のカーテン」に覆われた謎の国と呼ばれた。その内側では数千万人の犠牲者を出した大躍進政策、さらに文化大革命が起きていた。

21世紀の今、中国は「責任ある大国」として国際社会で振る舞わなければなるまい。再び「竹のカーテン」を降ろしてはならない。

バナー写真:中国全国人民代表大会(全人代)で、李強首相(右)と話す習近平国家主席=2024年3月8日、中国・北京(AFP=時事)

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