コラム:亜州・中国(19) “不戦条約”45周年、日中は関係改善の好機
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4年ぶりの河野訪中、李首相らと会談
「4年ぶりの北京の印象は、茶色から豊かな緑に変わった。高層ビルが芸術的に建設されているように見えた」。日本国際貿易促進協会(国貿促)会長として訪中した河野洋平元衆院議長は7月5日、北京の人民大会堂で李強首相と会談し、北京の劇変ぶりを称えた。
李首相は「今年は平和友好条約締結45周年。前向きな関係であるべきだ」と応じた。二人は初顔合わせ。先ずは友好的なやりとりを交わしたものの、会談は約1時間に及んだ。
国貿促は、対中貿易の振興などを目的に国交正常化より18年前の1954年、日本の主要企業の経営者らによって設立された伝統ある組織だ。歴代会長には石橋湛山、橋本龍太郎ら首相経験者も名を連ねる。
訪中団を毎年派遣するのが恒例だったが、2019年4月を最後にコロナ禍で中断していた。第7代会長の河野氏は今回、商社、メーカー、金融界のトップら約80人を率いて北京を訪れたのである。
反スパイ法めぐり中国側に注文
河野氏と李首相との会談の“本題”は、反スパイ法問題だった。河野氏は中国当局による同法違反容疑での相次ぐ邦人拘束や7月1日に施行されたばかりの改正「反スパイ法」を念頭に、「日本企業の対中投資のモチベーションが下がっていることを懸念している」と伝え、「投資意欲が下がらないようにご配慮をお願いしたい」と要請した。
これに先立ち河野氏は7月4日の王文濤商務相との会談でも「正直に率直に話すが、日本企業の中国駐在者には不安がある。その一つは反スパイ法にかかわるものだ。彼らの不安を払拭することを願う」と申し入れた。
王商務相は河野氏に対し、欧米にも同様の法律があると指摘し「中国はそれを参照しただけだ。強調したいことは、中国での経営が合法的であれば、まったく心配する必要はない。今後、(中国に進出する日本企業で構成する)中国日本商会に反スパイ法について説明し、誤解を解消したい」と返答した。
中国政府はその後、実際に中国日本商会など外資系企業を対象に説明会を開いた。だが、日米欧企業の間では「改正反スパイ法には当局が恣意的に解釈できる余地が残されているのではないか」との疑念が消えていない。コロナ後の経済を立て直したい中国は、外国からの投資を呼び込みたいのが本音。しかし、同法の透明性をさらに高めなければ、外資は対中投資に二の足を踏みかねない。
中国はなぜ玉城知事を厚遇したか
国貿促訪中団には、沖縄県の玉城デニー知事も同行した。北京での李首相との会談にも同席したが、中国共産党最高指導部ナンバー2である同首相は河野氏と同等に手厚くもてなした。記念撮影で李首相の左右に河野、玉城両氏が並んだことがそれを象徴している。
玉城氏は7月6日、北京から福建省福州に足を延ばした。同省トップの周祖翼・省党委員会書記らと会談、歓迎を受けたのだ。沖縄県は琉球王国時代から同省と600年にわたる交流の歴史があり、「友好県省」の関係だ。玉城氏は福州で「琉球墓」と琉球王国の出先機関だった「琉球館」も訪れたが、実は中国側は周到に布石を打っていた。
福建省は、中国共産党トップの習近平総書記(国家主席)が1990~2002年に福州市党委員会書記、省長などとして勤務していたゆかりの地である。その習主席は今年6月1日、古文書などを収蔵する「国家版本館」(北京市)を視察した。沖縄県・尖閣諸島がかつて中国の版図に属していたとする史料の説明を受けるとともに、「福州で働いていた頃、福州には琉球館や琉球墓があり、琉球との交流の歴史が深いことを知っていた」と述べたという。この「琉球」発言を共産党機関紙、人民日報(6月4日付)が1面トップで大々的に報じていた。
中国側は「琉球」との歴史的な深いつながりを強調することで、沖縄県と本土との間に横たわる微妙な関係に揺さぶりをかけ、日本政府をけん制したいとの政治的思惑があるのかもしれない。
外相“不在”の日中韓会合、主役は王毅氏
日中関係の行方は依然として不透明だが、日韓関係は今年になって劇的に改善した。こうした構図の中で、7月3日に中国山東省の青島で「日中韓三国協力国際フォーラム(IFTC)」が開かれた。政治家、外交官、研究者、オピニオンリーダーら300人超が参加した。
当初、中国からは秦剛(しん・ごう)外相が参加するとみられていたが、6月25日以降、動静が途絶えていた彼は姿を現さなかった。林芳正、朴振(パク・ジン)日韓両外相はそれぞれビデオメッセージを送った。
会場に外相が“不在”の中、存在感を発揮したのは中国の外交担当トップ、王毅・共産党政治局員だった。王毅氏は2019年12月を最後に開かれていない「日中韓首脳会談」の早期再開を訴えた。一方で、中国と鋭く対立している米国を「域外大国」との表現で強く批判した。
「欧米人は中国人と日本人、韓国人の区別がつかない。我々は髪を金色に染めようが、鼻を高く整形しようが、欧米人にはなれない。己のルーツがどこにあるかを知るべきだ」
青島で王毅氏が放ったこの発言は、人種問題とも絡んで物議を醸した。米国は核・ミサイル開発を強行する北朝鮮に対抗する狙いもあって、日韓両国との連携を急速に強めている。日韓を何としても中国側に引き寄せたいとの王毅氏の心情がつい口に出たのだろうか。
くだんの秦剛氏は理由不明のまま解任され、7月25日から王毅氏が外相に復帰した。今年10月に満70歳になる王毅氏は老練な外交のプロで、元駐日大使だけに日本を知り尽くしている。
平和友好条約を21世紀の視点で
王毅氏は7月6日、北京訪問中だった老朋友(古い友人)の河野氏と会見した。詳細なやりとりは不明だが、中国外務省の発表によると、王毅氏は今年が平和友好条約締結45周年だと前置きしながらも、「ある人が『台湾有事は日本有事』と主張したが、でたらめで危険だ。日本の各界は高度に警戒すべきだ」と表明したとしている。台湾問題は中国にとって「核心的利益」であり、内政問題でもある。日本に関与しないようクギを刺した形だ。
「台湾有事は日本有事」は故安倍晋三元首相が唱えた。元首相の盟友だった自民党の麻生太郎副総裁はこの8月、台湾を訪問した。8日の台北市内での講演で、台湾海峡での戦争を起こさせないために強い抑止力が重要だと説く中で「戦う覚悟だ」と発言した。しかし、日本と中国はそもそも条約上、戦争はできない。
平和友好条約の第1条で「すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と明記しているからだ。同条約が“不戦条約”と呼ばれる所以である。
この条約は1978年8月12日、北京で園田直、黄華(こう・か)日中両外相によって署名・調印された。第2条はいわゆる「反覇権」条項だ。当時、中国はソ連と真っ向から対立していたため、中国側はソ連の覇権主義に反対する条文を入れたいとの思惑があった。
「反覇権」の文言は、72年9月29日の日中国交正常化の共同声明にも盛り込まれていた。筆者は平和友好条約調印20周年に当たる98年8月12日、北京で黄・元外相(当時85歳)に単独インタビューしたことがある。元外相はこんな秘話を明かしてくれた。
「1972年の北京での国交正常化交渉の際、周恩来首相は田中角栄首相、大平正芳外相に『共同声明に覇権反対を盛り込む目的は、世界の人たちを安心させるためであり、中国自身を制約するためでもある』と伝えていた」
翻って21世紀の今、米国に次ぐ世界第2の経済・軍事大国になった中国は東シナ海や南シナ海で力による一方的な現状変更の試みを続けている。ウクライナに軍事侵攻した覇権主義的なロシアとは友好関係にある。
日中平和友好条約は世界で初めて「反覇権」を誓約した国際条約ともいわれる。中国は今こそ、条約の原点に立ち返るべきではないか。
日中の首脳は相互訪問の再開を
岸田文雄首相は中国の首脳に対して主張すべきは主張し、大国としての責任ある行動を求めていく必要がある。平和友好条約45周年の節目は、首脳の相互訪問を再開する好機でもある。
習主席は2020年4月に国賓として日本を訪問する予定だったが、コロナ禍で延期された経緯がある。本来なら、習主席が先ず訪日を果たすべきだが、必ずしもそれにこだわらなくてもいいのではないか。
1978年10月、中国の鄧小平副首相(当時)は平和友好条約の批准書交換のため日本を初訪問した。条約が正式に発効したのは45年前の10月23日だ。岸田首相はこの日に合わせて訪中を模索する手もある。あるいは9月23日の中国・杭州での「アジア大会」開幕式に出席することも考えられる。
バイデン米大統領は習主席を「独裁者」と呼んだが、11月にサンフランシスコで開催するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に米中首脳会談を実現させる構えだ。その前に日中首脳が握手を交わせれば、関係改善への兆しを強く印象づけることになるだろう。
バナー写真:中国の李強首相(右)と握手する河野洋平元衆院議長=2023年7月5日、中国・北京の人民大会堂(時事)