コラム:亜州・中国

コラム:亜州・中国(13) 谷野作太郎・元中国大使に聞く(後編) 「日中韓で東アジア版エリゼ条約を」 

政治・外交

泉 宣道 【Profile】

駐中国、駐インド両大使を歴任した谷野作太郎氏へのインタビュー。後編では、1998年秋の中国の江沢民国家主席の訪日延期で幻になった日本の国連安全保障理事会常任理事国入り問題、「村山談話」、日中韓“和解”条約構想などを聞いた。

谷野 作太郎 TANINO Sakutarō

1936年、東京都生まれ。59年、外交官試験合格。60年、東京大学法学部卒業後、外務省入省。中国課長、内閣総理大臣秘書官(鈴木内閣)、駐米国大使館公使、駐韓国大使館公使、アジア局長、内閣外政審議室長などを歴任後、95年、駐インド大使兼駐ブータン大使。98年、駐中国大使。2001年に退官後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授、財団法人日中友好会館副館長などを経て、現在、同会館顧問。

東アジア「青少年交流条約」を

 フィリピンのラモス元大統領はかつて日中韓を中心とした「北東アジア諸国連合(ANEAN)」こそ、必要だと提唱しました。東アジアの和解に向けて「エリゼ条約(仏独協力条約)」はモデルとなりますか。

谷野 1963年1月に調印された有名なエリゼ条約では、独仏間の和解、協力推進に向けて①両国の首脳、外相、国防相間の会談の定期化②ホーム・ステイを含む大規模な青少年交流③大学教育の単位、学位等の相互同等性の実現――など幅広い分野での協力が定められています。

この条約の署名者は、フランス側がドゴール大統領と関係閣僚、西ドイツ(当時)側がアデナウアー首相と関係閣僚でした。そこに両国の最高首脳らがかけた強い政治の意志をみる思いです。その後、青少年交流に参加した人たちから、独仏それぞれの側で閣僚になった人も少なくないと聞きました。

日本の場合も、中国、韓国、東南アジアとの間で、同じような青少年交流プログラムはあるものの、残念ながら、質、量、それを支える仕組み面において雲泥の差があります。そこで、東アジア版エリゼ条約のようなものを考えてはどうだろう、という話になるわけです。また、その下で東アジアと日本との間の青少年交流を統一的に担当する「東アジア青少年交流財団」のようなものを立ち上げられないものだろうか、と思ったりしています。

韓国の新政権誕生はチャンス

 東アジア版エリゼ条約の具体的な構想をお聞かせください。

谷野 参加国はとりあえず、今日最もこのような仕掛けが必要とされる日本、中国、韓国の3カ国です。幸い、この3カ国の間には首脳が一堂に会する「日中韓サミット」の場があります。

もっとも、現下の厳しい政治情況の下、2019年12月の第8回日中韓サミット(中国・成都で開催)以来、しばらく開かれていません。しかし、韓国で近く、新しい政権が誕生(5月10日に尹錫悦=ユン・ソンニョル=氏が新大統領に就任)することになりました。一つのチャンスかもしれません。

私はかつて関西方面に出張する機会が少なくなかったものですから、奈良県知事、京都市長といった方にお会いするたびに「どうでしょう。奈良条約、京都条約のようなものを考えられないでしょうか。奈良、京都は昔、日本で中国大陸、朝鮮半島との交流の中心だったのですから」などと提案してきました。

もちろん、日中韓サミットが中国や韓国で開かれる場合は、西安条約、慶州条約など開催地の名前でよいのです。これも、ひとえに関係国の政治のトップの方々の大きな覚悟と強いリーダーシップを必要とする話ですが、私はそんな夢を捨てきれないでいます。

(2022年4月19日、都内の日中友好会館でインタビュー)

【谷野作太郎氏のインタビュー後の寄稿】

日本はもっと「中国研究」を

コロナとウクライナをめぐる情況、これが終わったあと、世界はどうなるのか。私は今、世界がひとつの大きな転機にさしかかっている気がしてなりません。

アメリカ、中国、ロシア、また世界中、問題だらけの情況ですが、私は日本の将来についても心配しています。改革が一番遅れている政治(国会)の情況、その下にあってブラック企業化してしまったといわれる霞が関(役人村)、このことは本インタビューのテーマではありませんので、ここでは述べることを差し控えますが、そんな中、私が年かさのいった老人として心配しているのが、日本の次世代を担う若者たちの「教育」の問題です。

とくに、理工系の分野での人材の層の薄いこと。よく、中国、欧米との比較で話題になるところです。ドクターレベルの人材の少ないこと。世界的に注目される論文も少ない。中国や韓国に比べて、良い意味での産官連携がまだまだ未熟。そして、この分野への国の予算の注入は、中国などに比べると、雲泥の差です。

中国から日本に留学に来た若者たちが、日本の教育のレベル(とくに理数)にびっくりして、「どうやら、留学先を間違えたらしい」と。

インドでは、とくにIIT(インド工科大学)が世界的に有名ですが、インドの若者たちはIITに不合格だった場合にそなえて、すべり止めにボストンのハーバード大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)を受けておくか、ということが話題になるそうです。これは昔、少しでも優秀なインドの若者に東京大学に来てもらおうと、インドのバンガロールに東大の事務所を構えていた所長さんの話です。IT(情報技術)を目ざすインドの若者たちに東京大学のことを話すと、「University of Tokyo? 聞いたことがないなあ」と。

中国との関係では、日本における「中国研究」が先細りになってきているのではないか、と心配しています。東京大学の著名な某教授(中国政治)が「自分のゼミに来ている学生は、ほとんどが中国人、そして若干名の韓国人、日本の学生は一人もいない」と以前、話していました。

他方、中国における「日本研究」は、こういう中日関係にあっても、その質、量、広がりとも半端ではありません。中国社会科学院はもとより、著名な大学には必ず「日本研究センター」があります。その点、日本の情況はお寒いかぎりです。

そして、欧米にあっては、つとに若い学生たちは、日本研究から、中国研究の方にくら替えしてゆくとか。こんな状況では、「他ならぬ隣国の中国については、日本は研究も人脈も欧米よりは上」とたかをくくっていると、気がついた頃に、この点でも欧米に抜かれてしまった、ということにもなりかねないと思っています。

要は、いま一度、オールジャパンでがんばって、世界から一目おかれ、そして徳の面でも――ここは私のような者が言えたことではありませんが――世界の尊崇の念を集める日本を取り戻すことです。がんばりましょう。

世の中(国際情勢)が乱れゆく中、やはりできるだけ早い機会に日中首脳会談を、と思います。もちろん、それに向けて一定の準備、なかんずく米国との間で「中国」について十分な意見交換、すり合わせ(すべて米国の言いなりになるということでなく)をしておくことが大切ではありますが。

習近平国家主席はこのところ「共同富裕(ともに豊かになる)」ということを言い出していますね。他方、岸田文雄総理も「新しい資本主義」をと。そこには、通底するものがあります。なれば、首脳会談で、お互いに事務方の用意したペイパーを語り合うだけでなく、そういったテーマについて余人を交えず、お二人でお互いの思い、悩みを語り合ったらよい。よく言われる「首脳間の信頼関係」は、そうやってこそ生まれるものだと思います。

【谷野作太郎・元中国大使インタビューを終えて】

歴史的外交文書にも関与した「リベラル保守」の論客

「歴史にIF(もしも)はない」ものの、1998年の夏に中国で大洪水が起きていなかったら、21世紀の日中関係はもっと違ったものになっていたかもしれない。谷野作太郎氏へのインタビューを通じて、そんな感を強くした。

ひょっとしたら、中国は日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを支持していたかもしれなかったのだ。もっとも、1998年11月の「日中共同宣言」には、双方は「安全保障理事会を含めた改革を行うことに賛成する」(下線、泉)と明記されている。中国側はこの立場に今も変更はないのか、一度、中国外交部に尋ねてみたいものだ。

谷野氏は「村山談話」をはじめ歴史的な外交文書にも、事実上の“執筆者”として関与してきた。今年は南東アジア第二課長としてかかわった「福田ドクトリン」から45周年。福田赳夫首相が1977年8月、マニラでスピーチした東南アジア外交三原則で、「心と心」の関係がキーワードとなったことで有名だ。ちなみに福田氏の長男、康夫氏(元首相)と谷野氏は幼なじみである。

「アジア太平洋」と「インド太平洋」の双方を主舞台として、戦後の日本外交の最前線に立ってきた。「リベラル保守」を自負し、戦前の不幸な「歴史」にも真摯に向き合ってきた。こうした経験を踏まえ、今でも積極的に発言している。

北京駐在経験者が集う「燕京会」で挨拶する谷野氏=2019年1月、都内のホテル(撮影・泉宣道)
北京駐在経験者が集う「燕京会」で挨拶する谷野氏=2019年1月、都内のホテル(撮影・泉宣道)

4月19日に都内の日中友好会館で開かれたオンラインの「日中メディア対話会」では、ロシアのウクライナ侵攻に対して「ぜひ止めてください。その役割を果たせるのは中国とインドしかない」と訴えた。

筆者は政治部の駆け出し記者だった1981年10月、当時内閣総理大臣秘書官を務めていた谷野氏の面識を得た。以来、取材を続け、98~99年はともに北京に駐在していた。眼光の鋭さ、時折見せるチャーミングな笑顔、ダンディな着こなしは今も変わらない。

なお、谷野氏にはオーラルヒストリーとして『外交証言録 アジア外交 回顧と考察』(2015年、岩波書店)、『中国・アジア外交秘話 あるチャイナハンドの回想』(2017年、東洋経済新報社)がある。

バナー写真:筆者の泉宣道氏(左)と谷野作太郎氏=2022年4月19日、日中友好会館(東京)で

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泉 宣道IZUMI Nobumichi経歴・執筆一覧を見る

1952年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部に通算13年半、マニラ・北京に8年余り駐在、クーデター未遂事件、鄧小平死去、香港返還に遭遇するなどアジア諸国で長年、取材を続けている。アジア部長、論説副委員長、大阪本社編集局長、専務執行役員名古屋支社代表などを歴任。日本経済研究センター名誉会員。1991-92年にフィリピン外国人特派員協会(FOCAP)会長。ニックネームはNonoy(ラモス元比大統領が命名)。共著に『中国――「世界の工場」から「世界の市場」へ』(日本経済新聞社)、『2020年に挑む中国――超大国のゆくえ』(文眞堂)など。

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