2回のお代替わりを見つめて

シリーズ・2回のお代替わりを見つめて(14)即位礼正殿の儀:世界に示した伝統と「平和」の誓い

社会 皇室

皇位継承儀式のハイライト「即位礼正殿の儀」が、平安絵巻さながらに挙行された。天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い(中略)つとめを果たすことを誓います」と内外に宣言。戦争のなかった平成に続き、日本が令和の時代も平和国家であることを誓われた。

186カ国の代表ら2000人が参列

即位礼正殿の儀が2019年10月22日、186カ国と国際機関、国内各界の代表ら約2000人が参列して行われた。中庭に立てられた旙(ばん=のぼり旗)が数本倒れるほどの風雨だったが、開始の午後1時ごろには一時的だが晴れ間も見え、皇居が少し明るくなった。

即位礼正殿の儀で宮殿中庭に建てられた旙(ばん) 出典:宮内庁ホームページ
即位礼正殿の儀で宮殿中庭に立てられた旙(ばん) 出典:宮内庁ホームページ

平安装束の皇族方が宮殿の回廊をしずしずと進み、正殿「松の間」に入った。高御座(たかみくら)のとばり(帳)が開かれると、まっ直ぐに高く立った冠に、天皇の装束の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包んだ陛下が登場。天皇の姿が、参列者には開帳して初めて見える手法「宸儀初見(しんぎしょけん)」で、平安時代から行われた伝統的なものだ。前回の平成の儀式にはなかったが、今回、復活した。

隣の「御帳台(みちょうだい)」からは、色鮮やかな十二単(じゅうにひとえ)をお召しになった皇后さまが姿を見せた。両陛下とも、5月の即位から半年間、つつがなく公務を果たしてきた自信が、凛とした表情からうかがえる。

天皇陛下がお言葉で、即位を内外に宣言した後、「在位30年余の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われた」上皇さまにならい、「国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、(中略)象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられた。陛下はさほど長くないお言葉の中に「平和」の語を3度入れて、令和の日本が引き続き平和に徹することを誓われた。

続いて安倍首相がお祝いの寿詞(よごと)を読み上げた後、「ご即位を祝し、天皇陛下万歳」と発声し、参列者も万歳を三唱した。30分の儀式だったが、古来の伝統を今なお守り続け、新しい天皇を迎えて祝っていることを世界に伝えた。

「即位礼正殿の儀」に参列した世界各国からの賓客=2019年10月22日、皇居・宮殿「春秋の間」(時事)
「即位礼正殿の儀」に参列した世界各国からの賓客=2019年10月22日、皇居・宮殿「春秋の間」(時事)

深刻な男性皇族の減少

今回の儀式を見て、男性皇族の減少が気になる国民は少なくなかったはずだ。男性皇族は衣装が定められている皇太子・皇嗣以外は黒の束帯(宮中儀式服)で参列する。だが、今回は常陸宮さまが高齢で洋装だったため、 “黒装束”の男性皇族はおられなかった。

29年前、平成の正殿の儀では皇太子(現陛下)をはじめ6人の男性皇族が参列して、松の間の左側にまとまって立ち、右側に女性皇族7人が並んだ。しかし、今回は男女が2対9でバランスが取れないので、左側に秋篠宮家4人、右側に常陸、三笠、高円の各宮家7人が並ばれた。こうした工夫が強いられるほど、男性皇族の減少は深刻になっている。

正殿の儀の後、即位を祝うパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が国の儀式として行われる予定だったが、台風19号の大被害を考慮して11月10日に延期された。100人近い犠牲者を出した大災害から間もないことを考えると、妥当な決定だと筆者は思う。

被害を心配される両陛下のお気持ちに沿った判断だが、この決断に影響を与えたのは、上皇后さまのお誕生日(10月20日)に予定されていた祝賀行事の中止だった。宮内庁によると、上皇ご夫妻は「被災地域の広さ、堤防決壊数の多さにおいて他に比較できる災害の記憶がない」と心を痛められている。

上皇ご夫妻は公務を離れ、国民が直接の発言は聞くことはなくなった。だが、ご夫妻は誕生日の祝賀行事を取りやめることで、即位の礼の儀式であっても、外国からの賓客に迷惑をかけない国内向けの行事は延期を、という大事なメッセージを送られたのではないかと筆者は推測している。ご在位の間に被災地のお見舞い訪問を重ねた上皇ご夫妻が、国民に寄り添うとは何かを、無言で伝えられたのだと思う。

即位の礼の夜は、外国からの参列者を招いての祝宴「饗宴の儀」。外交官出身の皇后さまの最高の出番となった。両陛下が赤坂御所に戻られたのは午後11時52分。この日朝早く御所を出発したお二人の長い1日が、ようやく終わった。

新憲法の国民主権、政教分離の原則

令和の即位の礼の原型となった前回(1990年11月12日)の準備は、前年に昭和天皇が亡くなり、大喪が終わってから本格化した。式の中身は前例を踏襲するものの、新憲法の国民主権、政教分離の原則に反するものは修正された。

神話色をなくすことが検討され、宮殿中庭に立てられる旙の紋様で、神武天皇神話に基づく八咫烏(やたがらす)、魚(アユ)などが消え、代わりに菊の紋章が入ることになった。正殿の儀のシンボルともなっている高御座も、神話に由来するとの意見もあったが、政府は「皇位と密接に結びついた古式ゆかしい調度品」と位置付け、政教分離に反しないとした。当時は過激派によるゲリラ事件が多発していたので、高御座と御帳台は京都御所から厳戒態勢の中、自衛隊のヘリコプターで空輸された。

論争となったのは、国民の代表となる総理大臣の服装、万歳発声の場所、万歳のセリフの3点だった。明治憲法下で行われた大正、昭和天皇の即位礼では時の首相、大隈重信、田中義一がともに古装束姿で「臣重信……」などと寿詞を述べ、中庭に降りて高御座を仰ぎ見ながら「天皇陛下万歳」と発声した。この式作法を同じように行うよう求める保守派と、「国民主権の現憲法の精神と相いれない」と反対する野党側が対立したのだ。

当時の首相の海部俊樹氏は、後に「首相が皇族と同じ衣冠束帯を着るのは、時代に合わない。中庭に立つのも断り、最初から松の間にいることにこだわった」と述べている。こうして首相が式に臨む服装は、国事行為の儀式に着るえんび服となった。

最後まで残った対立点は「万歳」発声の言葉だ。筆者の当時の取材メモによると、自民党の保守派議員は「皇室行事は伝統通りに行ってこそ意味がある。即位礼でなぜ『天皇陛下万歳』がいけないのか」と主張。これに対し社会党の護憲派議員は「半世紀前の戦争で『天皇陛下万歳』と叫んで死んでいった多くの若者がいる。その重い過去を考えると、強い抵抗感がある」と反対した。

調整を進める政府・宮内庁から、「ご即位万歳」などの案も出たが、最終的に万歳の趣旨を明確にして「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」に決まった。護憲派は「対政府交渉の成果である。即位を祝っての万歳なら受けられる」と評価。保守派も「絶対に譲れなかった『天皇陛下万歳』は残ったし、皇室のお祝い事で政府とこれ以上対立するのは好ましくない」と矛を収めた。

平成の「即位礼正殿の儀」。左端は万歳三唱する海部俊樹首相=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」(時事)
平成の「即位礼正殿の儀」。左は万歳三唱する海部俊樹首相=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」(時事)

「即位の礼準備委員会」の委員長だった森山真弓元官房長官に、挙行日を決めた理由を質問したら、意外な答えが返ってきた。「天気の関係で、晴れの日が一番多い日に決めました」。これが見事に的中し、平成の即位礼は秋晴れに恵まれた。

南アフリカの参列

前回の即位の礼で、筆者はある国の参列に注目していた。今回のラグビーのワールドカップで日本とも戦い、優勝した南アフリカである。

昭和天皇の大喪の礼の際、外務省はその2日後に南アフリカが参列していたことを明らかにし、参列国数を164カ国と訂正したことがあった。当時、同国は人種隔離政策(アパルトヘイト)をとっていた。外務省は事前に「南ア参列」を公表すると、他のアフリカ諸国が反発して参列を取りやめることを恐れ、各国代表が帰国の途についたタイミングで公表したのだ。

南アはその後、反アパルトヘイトの闘士だったネルソン・マンデラ氏(後に大統領、ノーベル平和賞受賞)を釈放するなど、デクラーク政権が数々の改革を断行。外務省は、南アの即位礼参列を問題なく受け入れた。即位の礼も世界の動きと無関係ではないことを示す出来事だった。今回も国際社会での混乱に巻き込まれることなく、即位礼正殿の儀を終えたことを喜ぶ。

(2019年11月2日 記)

バナー写真:「即位礼正殿の儀」で、即位を宣言される天皇陛下。奥は皇后さま=2019年10月22日、皇居・宮殿「松の間」(時事)

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