2回のお代替わりを見つめて

シリーズ・2回のお代替わりを見つめて(12)皇嗣秋篠宮さま:令和の皇室を支える弟宮

社会 皇室

皇太子が不在となる令和の皇室で、一番忙しいのが皇太子格の「皇嗣」秋篠宮さまだ。ご一家が国民の話題になることも多い。ちょうど30年前(1989年)の夏も、弟宮の婚約が兄の皇太子さま(現天皇陛下)より先に決まり、紀子さまとの若々しいカップルが国民の注目を浴びた。

皇室で最も多忙なご一家

秋篠宮さまは今春のお代替わりで、皇位継承順位第1位の皇族を指す「皇嗣」となった。5歳年上の現陛下と同世代のただ一人の男性皇族で、令和の皇室を支える重責を担われている。

日本動物園水族館協会総裁など、秋篠宮さまは13団体などの総裁と名誉総裁を務める。また、陛下が皇太子時代に臨席していた7大地方行事のうち5つをご夫妻で引き継ぎ、以前からのご自分の地方行事にも参加。さらに、陛下に代わって外国訪問も行い、多忙な日々が続く。このため、公務の一部を長女の眞子さまも担当されている。

6月下旬から7月上旬にかけ、秋篠宮ご夫妻は国交樹立100周年のポーランドとフィンランドを公式訪問された。ポーランドでは民族舞踊を披露した子供たちと一緒に写真に納まった。「ポーランドの人たちが、今まで聞いていた以上に、日本に関心を抱いていることが印象に残った」、フィンランドの古都トゥルクでは「当地の柴犬愛好家の人たちが大勢送迎に来てくれており、思わぬところで日本との繋がりのある人たちと出会うことができました」と感想を述べられた。

天皇陛下は皇太子時代、海外公式訪問の際には政府専用機に乗られたが、秋篠宮さまはこれまで通りに民間機を利用された。しかし、搭乗便の到着が2度遅れ、訪問先の関係者を待たせたり、現地スケジュールを変更したりすることになった。秋篠宮さまは「これまで支障がなかったから」と、国民の負担を考え、経費の安い民間機を選ばれたのであろう。だが、重みが増した立場だけに、警備の問題も含め、これまで通りにいかなくなってきたことを実感されたようだ。

ご夫妻が帰国すると、3日後には眞子さまが、日本人移住120周年記念式典の開かれる南米ペルー、ボリビアの公式訪問に出発された。ご一家は、皇室で最も多忙な宮家であり、活動的だ。

秋篠宮家ご一家(宮内庁ホームページから)http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/photo-h30.html
秋篠宮家ご一家(宮内庁ホームページから)

皇族を増やすことには消極的なお考えか

秋篠宮ご夫妻は、今回の公式訪問を前に記者会見されている。「眞子さまは結婚されれば皇室を離れ、国際親善の担い手が減ることになる。眞子さまの結婚の見通しとともに、皇族が減少する中での活動の在り方についてお考えを」という質問があった。

これに対し、秋篠宮さまは「(皇族の減少で)国際親善の担い手が少なくなるのは、ある意味、仕方のないところがあります。私は、可能な人数でできる範囲のことをすればよいのではと考えています」と答えられた。

これは「国費負担の点から見ると、皇族の数が少ないというのは、決して悪いことではないと思う」(2009年会見)というご自身の持論に基づいていると、筆者は思う。この持論は、皇室費が増えることになる皇族の数の拡大を否定。つまり「皇位の安定継承のため、旧皇族男性の皇族復帰」などの皇族を増やす案には消極的で、今の制度の中で皇族が出来る範囲の公務に励むべきとのお考えだと、筆者は解釈した。

ポーランド、フィンランドご訪問を前に記者会見される秋篠宮ご夫妻(宮内庁ホームページから)http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/29
ポーランド、フィンランドご訪問を前に記者会見される秋篠宮ご夫妻(宮内庁ホームページから)

秋篠宮さまは前回の会見(2018年11月)では、新天皇が一度だけ行う大がかりな「大嘗祭(だいじょうさい)」について、「宗教色が強く、国費を使うのは適当か。できる範囲で、身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」と述べられ、各方面に波紋を呼んだ。今回の発言もそうだが、皇室のお考えの一端をうかがうことができた。

注目された眞子さまの結婚の見通しについて、秋篠宮さまは「私は娘から話を聞いておりませんので、分かりません」とかわされた。10分以上にわたってご夫妻が眞子さまのことを語られた前回の会見と比べ、今回は素っ気ない内容だった。そこにご夫妻の苦悩がうかがえる。

眞子さまのお気持ちと、「国民から祝福される結婚」。風評に耐えながら、真面目に公務に励まれる眞子さまを思うご夫妻の親心が、今は何も語らないという選択になったのではないかと、筆者は考える。

将来の皇室を担う悠仁さま

秋篠宮家は、将来の皇室を担う長男、悠仁(ひさひと)さまの存在でも注目される。若い世代でただ一人の男子皇族だが、さる4月には通う中学校の教室の机の上に刃物が置かれ、侵入犯が「刺そうと思った」と供述する事件が起きた。

夏休み中の8月に予定される初の海外訪問で、ご両親とブータンへ私的旅行される。その際、秋篠宮さまと別の民間機を利用することになった。事故など不測の事態に備え、皇位継承順位1位と2位のお方が一緒の航空機に乗らないためだ。

悠仁さまの教育が急ぐべき課題となっている。天皇陛下は、昭和天皇が受けた帝王学というほどではないが、小さい頃から、将来の天皇となるべき資質を磨く教育を受けてこられた。悠仁さまは9月には13歳になるので、宮内庁は早くその体制を整える必要がある。皇室の将来を考えると、陛下が悠仁さまとお会いになる機会も増えてくるのではないか。こうして、令和の皇室はますます天皇、皇嗣ご一家の連携、協力が大事になってくると筆者は思う。

国民を驚かせた婚約発表

昭和天皇が亡くなられてから7か月後の1989年8月、「礼宮さまご婚約」のニュースが多くの国民を驚かせた。皇室が1年間の喪に服しているさなかの慶事であり、礼宮さまが英国留学中という時期の問題と、兄の皇太子さまより先の婚約発表だったからだ。学習院大学で1年後輩の紀子さまとの4年越しの交際を実らせた弟宮が、初めて兄宮より多くの注目を浴びた瞬間でもあった。 

宮内庁は、挙式など「晴れの儀式」は喪中にふさわしくないが、婚約内定なら差し支えないと判断。礼宮さまが2年間の英国留学を終えて帰国する翌90年6月のご結婚となった。

ご結婚の一連の儀式を終え、皇居・宮殿を出られる秋篠宮ご夫妻=1990年6月29日、宮殿南車寄(時事)
ご結婚の一連の儀式を終え、皇居・宮殿を出られる秋篠宮ご夫妻=1990年6月29日、宮殿南車寄(時事)

当時、皇太子さまの側近幹部が「順番が逆になったのは、こちらのお妃選びが難航しているためで、致し方ない。これで、こちらの作業に拍車がかかるのは事実だ」と語ったのを筆者は覚えている。

皇太子さまは「二人の間が不安定になっているのは良くないので、私も強く勧めました。二人はよく合う」と弟宮を応援したことを、記者会見で明らかにされた。

ご結婚の日、記念撮影の合間に、秋篠宮さまの髪を直される紀子さまの写真が問題になった。新妻らしい写真で、宮内庁から嘱託を受けたカメラマンが撮影し、報道機関に配信、一斉に掲載された。しかし、宮内庁は正式な記念写真ではないとして、掲載の差し止めを要求したのだ。

この問題は官邸の記者会見でも取り上げられたが、坂本三十次官房長官が粋な“裁定”を示した。「写真の扱いは報道機関が責任を持って行えばいい。ほほえましい写真で、(国民は)皇室に親近感を感じるだろう」と。

「明るく和やかな家庭」

平成の皇室に新風を吹き込んだお二人は、皇室会議で結婚が正式決定したその日(1989年9月)の記者会見で、こう述べられている。礼宮さまは「二人でいい家庭を築けたら幸いと思っております」。紀子さまは「礼宮さまとご一緒にのんびりと明るく、和やかな家庭を築けたらと思っています」。

あれから30年が過ぎ、秋篠宮家は来年に大きな節目を迎える。4月には、秋篠宮さまが次の皇位を受け継ぐ立場であることを内外に宣言する「立皇嗣の礼」が行われる。また、眞子さまが2017年に婚約内定会見を行ったお相手との結婚関係儀式を延期するとした年を迎えることになる。秋篠宮ご夫妻が結婚前に願われた「明るく和やかな家庭」の行方を、多くの国民が見守っている。

(2019年7月18日 記)

バナー写真:訪問したポーランド・ワルシャワで「無名戦士の墓」への献花に臨まれる秋篠宮ご夫妻=2019年6月28日(時事)

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