シリーズ・2回のお代替わりを見つめて(9)改元:再挑戦で実現した初の国書からの元号
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万葉集の「梅花の宴」から考案
政府が4月1日に決定した248番目となる元号は、奈良時代に完成した日本最古の歌集「万葉集」を典拠としたものだった。「初春令月、気淑風和、梅――」。天平2年(730年)、新春の良い時、天気もよく風もやわらかの中、九州・大宰府で当時は珍しかった梅を見ながら、歌会も兼ねた「梅花の宴」が開かれた。それを記した一節から、新元号が考案された。
安倍首相は「令和」について、「(厳しい寒さの後に咲く)梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込めた」と説明した。万葉集に関しては、「(天皇から防人、農民まで)幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書である」と強調した。
645年の「大化」から始まり「平成」までの元号は、出典が全て中国の古典(漢籍)だった。それだけに、新元号を国書から採ることは安倍首相の強い思い入れもあり、安倍支持層だけでなく、多くの国民の賛同を得たようだ。
だが問題は、国文学や漢文学の専門家である元号考案者たちが提出する案だった。政府の新元号選定作業は今年に入って本格化したが、3月に入っても国書典拠のものに政府がベストと思える案はなかった。これでは平成の時と同じで、結局は漢籍典拠の元号にという結果にもなりかねず、政府は考案者に元号案の追加を依頼した。そして、決定日の間際になって浮上してきたのが「令和」だった。今回の元号決定はかなり綱渡りの作業だったのである。考案者は、本人は認めていないが、万葉集研究の第一人者で文化勲章受章者の中西進・国際日本文化研究センター名誉教授(89)といわれている。
いち早く陛下、皇太子さまへ報告
国民注視の中で元号が発表されたが、菅官房長官は予定時刻の午前11時30分が過ぎても首相官邸の記者会見場に現れず、11分遅れた。新元号決定の最終手続きである臨時閣議は11時25分に終わっていた。発表が遅れた「空白の11分」と言われるこの時間に、もう一つ重要なことが行われていた。政府から新元号の連絡を受けた宮内庁の長官と次長が、天皇陛下と皇太子さまに報告していたのだ。元号は「昭和」まで天皇・朝廷が決めていた長い歴史があり、明治以降は元号がそのまま天皇のおくり名となるため、政府は国民への発表の前に、新元号をいち早くお二人に伝えした。東宮御所で報告を受けた皇太子さまは、「分かりました」とにこやかに応じられた。
新元号を聞いて、初めて元号の文字となる「令」に違和感を持つ国民が少なくなかったという。筆者もその一人で、すぐに「命令」を連想し、意外な感じがした。しかし、「令名」などよい意味もあることを思い出し、ようやく元号にふさわしい字であることに納得した。これだけ短い時間に解釈が一転した漢字は珍しい。
新元号の決定当日の手続きは、午前9時半からわずか2時間で終了し、最初の有識者懇談会も36分間と短いものだった。前回(約20分)より長くなったとはいえ、前回の倍の元号候補6案が示されており、議論は尽くされたのだろうか。せっかく各界の有識者9人が集まったのに、発表時間が決められていたためか、あまりにも急ぎすぎではなかったか。国民の意見を元号決定の際にどのように反映させるかは、今後の検討課題となろう。
国民の高い支持を得た「令和」
「令和」の出典となった「初春令月、気淑風和」ついて、万葉集より250年ほど前にできた中国の詩文集「文選(もんぜん)」によく似た一節がある。「結局は中国の古典の孫引きではないか」と言う指摘もある。しかし、今回の決定は万葉集から太宰府での「梅花の宴」を記述した所を典拠としているので、国書からの“和風元号第1号”と受け止めていいのだと、筆者は思う。漢字文化を導入して中国の文書をどんどん読みながら学び、日本の文化と国を発展させようと努力していた万葉人の姿がしのばれる。万葉集から始まった歌の文化が、1200年以上経過して今なお、歌会始という伝統行事として続いていることを考えても、万葉集から元号を採ったのは意義ある判断だった。
読売新聞の世論調査(4月3日朝刊)によると、「令和」に好感を持った人が62%、元号が日本の古典から引用されたことを評価する人が88%と高い支持を得ていた。国民の次の時代に対する期待が感じられる。
極秘で進められた前回の制定作業
30年前、1989年1月7日午後2時半、新元号「平成」の発表は国内に半旗が掲げられる中で行われた。8時間前の昭和天皇崩御に伴い、現憲法下で初の皇位継承(お代替わり)で、政府が元号を決定したのも初めてだった。
早朝からの昭和天皇とのお別れや、新天皇が三種の神器の剣、曲玉(璽)などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」の宮中儀式も始まる中で、政府の元号決定作業は大詰めを迎えた。事前に日程が決まっていた今回とは大きく違い、天皇崩御を前提とした改元作業は水面下で極秘裏に行われてきた。
当時の元号制定担当者らは、国書から元号を考案しようと、国文学者にも元号案作りを依頼したことを明らかにしている。しかし、具体案を出すことはできず、次回に託すことになった。最終的に3案が、元号決定の最初の会議である有識者懇談会に示されたが、当時の担当者は、「平成が選ばれるよう誘導した」と正直に語っている。明治、大正、昭和の頭文字がM、T、Sで、利便性から別の頭文字のものが好ましいが、平成(H)以外の2案がSであることを強調したのだ。時間がなかったのと、元号決定を初めて行った政府の不慣れのため、当時としてはやむを得なかったのだろう。新元号が正式決定すると、今回と同じように新天皇に連絡された。
初めは違和感もあった「平成」
間もなく、当時の小渕官房長官が「平成」の額を掲げ、出典が中国の史記と書経の「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」だと説明した。筆者は宮内庁の記者クラブで放送を聞いていたが、「平成」と発表されると、あちこちで「エー」という声が漏れた。筆者も声は出さなかったが、「へーせー」と聞こえた新元号に違和感を持った。「平」が平安京など、かなり昔の時代を連想させ、音の響きが「昭和」と比べて締まっていないと感じたからだ。
改元された翌日の新聞に、筆者の印象に近い “識者”のコメントが載っていた。「地味だなというのが第一印象。慣れていないせいもあるが、音に出してもエ音とイ音ばかり。今になってみると、昭和とは、いい言葉だった」。だが、筆者はしばらく「平成」の文字を見つめながら、字の通りに「平和になる」と解釈すれば、良い元号になるかもしれないと思い直したのを覚えている。今回の「令和」も全く同じだ。新元号は発表直後には違和感を持つが、その2文字に込められた本当の意味を冷静に考えると、その良さがわかってくるものなのだろう。
初めは決して芳しい印象を持たれなかった「平成」は、一貫して国民に寄り添う姿勢を示された両陛下と、それを支持し感謝した多くの国民によって、「戦争のなかった良い時代」と大きく評価を上げた。「令和」と名付けられる新しい時代が、国民の多くの希望と共に5月1日から始まる。
(2019年4月4日 記)
バナー写真:新元号「令和(れいわ)」を発表する菅義偉官房長官=2019年4月1日、首相官邸(時事)