中学生不登校の「深層心理」
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より明らかになった不登校の実態
子どもたちの不登校の問題は、依然として大きな社会問題の一つである。日本財団が2018年に実施した「不登校傾向にある子どもの実態調査」(2018.12.12)は、この問題を考える上で重要な手掛かりを与えるものになっている。
これは、従来の文部科学省による教育委員会を通じた学校側への調査と異なり、インターネットを利用し、子どもたち自身に対して直接調査したものである。
この調査では、文科省が不登校と定義する「年間30日以上学校に行っていない」という限定を超えて、広く実態についても明らかにされている。不登校の定義未満や教室外登校、部分登校、仮面登校など、これまでの統計調査では拾い上げられてこなかった「不登校予備軍」とでも言うべき子どもたちも含まれているのだ。さらに、その割合は狭義の11万人といわれる不登校の約3倍にも及んでいることがわかった。これにより、不登校の実態は、従来考えられていたよりもはるかに深刻であることが浮き彫りになった。
「中学校に行きたくない理由」についての問いに対する答えから、今までの統計にはくみ上げられなかった、子どもたちの学校への複雑な思いの実態も読み取れる。本稿では、特にこの「中学校に行きたくない理由」を分析することによって、現代の中学生の心理的状態について考察してみたい。
不登校の理由:5分類
「中学校に行きたくない理由」として挙げられている項目は多岐にわたるが、これを大別すると、以下のように5つのカテゴリーに集約される。
A:抑圧カテゴリー・・・「朝、起きられない」「疲れる」「学校に行こうとすると、体調が悪くなる」「自分でもよくわからない」
少なくとも本人の意識では自覚的に「行きたくない」と思っているわけではなく、起きられない(起床困難)や疲労感、体調不良などによって、結果的に「行けなく」なってしまっているもの。
B:対人関係カテゴリー・・・「友達とうまくいかない」「先生とうまくいかない/頼れない」「学校は居心地が悪い」
いわゆるいじめ問題などもその中核に含まれているが、より漠然とした「居心地の悪さ」までをも含む。
C:学業問題カテゴリー・・・「授業がよくわからない・ついていけない」「小学校の時と比べて、良い成績が取れない」「テストを受けたくない」
学業についていけない問題が主。
D:実存問題カテゴリー・・・「学校に行く意味がわからない」「小学校の時と比べて、つまらない」
「学校に行く意味」に納得がいっておらず、学校が「つまらない」という印象を抱く。学校に行く「意味」を感じられないでいる。
E:現実問題カテゴリー・・・「校則など学校の決まりが嫌だ」「部活がハード」
それぞれの学校の校則や所属する部活の厳しさや制約の度合いによって、大きく変動する項目。
何が読み取れるか
結果を、上記の5つのカテゴリー(A:抑圧、B:対人関係、C:学業問題、D:実存問題、E:現実問題)に分類することによって、次のような傾向が読み取れる。
1) 不登校グループだけでなく「問題なく登校している子供」を含めて全ての「学校に行きたくない理由」の上位を「抑圧」が占めている。これは、中学生の心身の状態について、重要な示唆を与えてくれる。
「抑圧」とは、心理学用語で、“ある思い”が意識に上らないように抑え込まれてしまっている状態を表すものである。今回の不登校の問題に関して言えば、その“ある思い”とは、もちろん「学校に行きたくない」というものである。これが「抑圧」されて意識化されない場合には、身体というチャンネルからその“思い”が表出されることになりやすいのである。これが「身体化」と呼ばれるメカニズムであり、「朝、起きられない」「学校に行こうとすると、体調が悪くなる」「疲れる」などはこのメカニズムによるものである。
この「抑圧」は、本人の意識の「学校には当然行くべきだ」「学校に行きたくないなんて思ってはいけない」といった考えが非常に強力であるために生じているものである。子どもの中でこのような「べき論」が肥大化した由来を考えてみれば、幼少時から「イヤ」と言うことを許されずに、親や学校の指示に受動的に従わされてきた歴史があるのではないかと推察される。
2)学校に行っていない状態が一定期間以上ある子どもたちが挙げた理由は、主に「対人関係」と「学業問題」であった。
従来、不登校問題の原因として主に推定されていたのは、いわゆるいじめ問題や落ちこぼれの問題であり、これは「対人関係」や「学業」の問題である。
思春期に突入した子どもたちにとって、自分自身が周囲からどのように思われているか、どう見られているかといったことは、最大の関心事となる。よって、「対人関係」が不登校の理由として数多く上がってくることは、当然の現象と言えよう。これは、人間の成長過程において避けがたく訪れる問題であると言えよう。
3)基本的には教室で過ごし、皆と同じことをしているが、心の中では学校に通いたくない、嫌だと感じている「仮面登校群」が、学校に行きたくない理由として挙げていたのが「実存問題」だ。
「学校に行く意味がわからない」「小学校の時と比べて、つまらない」といった、中学校に行く「意味」を問う内容のものは、実存的な問題に困難を感じているものと思われる。このような問いは概して、精神的に早熟で内省力の高い中学生に生じやすい。多くの場合は、高校や大学時代、あるいは就活などのタイミングでこのテーマに直面することになる。
仮面登校群には、このような実存的疑問を抱いている早熟な子どもが比較的多いことが推測される。彼らは、実存的な疑問を抱きやすいと同時に、社会から求められる「登校し授業に参加する」ことを演じ分ける能力も備えており、一見適応的ではあるものの、その内面にひそかに不満をため込んでいることが多い。また、現実的な割り切りに長(た)けているためか、このタイプでは「現実問題」があまり問題にされていないのも特徴的だ。
親・教師はどう向き合うか
不登校問題への対策としてこれまでも、いじめ等の対人関係問題への配慮や介入、学業不振による不適応を防ぐための学業指導上の工夫などは、かなり行われてきている。これらの努力が引き続き重要であることは言うまでもない。しかし、今回の分析で見えてきた、子どもの心理的抑圧の傾向が顕著である問題については、あまり重視されてこなかったように思われる。
子どもたちが自我を形成していくプロセスは、まず2〜3歳頃に訪れる「イヤイヤ期」において、「イヤ」を表明することから始まる。これは、主体の目覚めであり、親から指示されそれにただ受動的に従うことへの拒否である。この「イヤ」が貴重な主体性の発現であることを、親や養育者は正しく理解していなければならない。そして、子どもの自我はここから次第に、はっきりとした主体的意志の表明を行うようになってくる。
しかし、昨今では早期教育が過熱しており、子どもの主体性が丁寧に育成されるべきこのデリケートな時期に、ともすれば押し付け的な習い事や受験準備が隙間なく課されることによって、子どもの主体性の芽が萎(な)えてしまい、従順だが無気力な子どもたちが生み出されてしまっている。自己表現の根源である「イヤ」を言うことの芽を摘(つ)まれて育ってきた現代の子どもたちは、かつてのようなあからさまな「反抗」よりも、次第に「不登校」という無意識的抵抗の形を取るようになってきているのではないだろうか。自分の心の声が聴けないような抑圧的状態は、このようにして作られるのだ。
このような受動的生の傾向は、学校教育以前に、あらかじめ家庭や教育産業によって作られてしまっていた側面も否定できない。ここで改めて、子どもたちが内的に自然な状態に育っていけるような社会の在り方を考え、大人たち一人一人が、管理的・支配的に傾斜してしまった価値観を見直さなければならないのではないかと思う。
バナー・文中イラスト=オカダミカ