映画『シリアにて』:留まるべきか、出るべきか、命懸けの二者択一を迫られるとき
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1974年以来、世界中から数々の名作を発掘し、上映してきた日本のミニシアターの草分け、岩波ホールが9月26日から来年2月5日まで、4カ月間の大規模な工事に入る。休館前の最後に上映される作品がこの『シリアにて』だ。
2017年のベルリン国際映画祭パノラマ部門で観客賞を受賞し、45カ国以上で上映され、獲得した賞は少なくとも18を数える。本国ベルギーでは、アカデミー賞に当たるマグリット賞で作品賞、監督賞、脚本賞など6冠に輝いた。
監督は、ベルギー人のフィリップ・ヴァン・レウ。これまで20年以上にわたり、フランスやベルギーの名匠たちの下で撮影監督を務めてきた。09年にルワンダのジェノサイドを題材にした『Le Jour où Dieu est parti en voyage』(神が旅立った日、日本未公開)で監督デビューし、これが2作目となる。
『シリアにて』公開初日のあいさつに立った岩波ホール支配人の岩波律子氏が、監督の言葉として紹介したのは、「戦争映画ではなく、戦争についての映画」という表現だった。
確かに、戦争の恐怖をまざまざと伝える映画でありながら、戦闘のシーンはまったく出てこない。それどころか、マンションの一室からカメラが出ることすらない。しかし上空を旋回するヘリコプターの音、遠くから聞こえる爆弾の破裂音や銃声によって、まさに外は戦争中であることが分かる。周りの建物のどこかに、敵の狙撃手が潜んでいる。そのため、いつ始まるかもしれない空爆の危険にさらされながらも、一歩も外へ出ることができないのだ。
監督はシリア人の友人に聞いた話から、この設定の着想を得た。友人の父親は2012年の暮れ、市街戦と空爆の激化するシリア北部のアレッポで、3週間にわたって自宅マンションに閉じ込められたという。監督はこの一人の老人に起きた出来事を、家族の物語にして脚本を書いた。さらに、一家の使用人、爆撃された上階から逃げてきた乳飲み子を抱える若い夫婦、遊びに来ていた娘のボーイフレンドまで登場させ、1日の間に部屋の中で展開する人間ドラマを描いていく。
観客は、少ない会話の端々から背景や関係を推測しながら、極限状況に置かれた人間の姿を見つめ、究極の問いを突き付けられる。家族の命を危険にさらしてまで他人を救えるか。家の中に身をひそめて災厄が過ぎるのをただ待てばいいのか。動かぬことがかえって致命的になる可能性があるなら、危険を覚悟で外に飛び出すことも必要ではないのか?
考えておきたいのは、監督がどこでもない架空の場所を舞台にこれを描こうとしたのではないことだ。その意図は原題の「InSyriated」という英語的な造語に表れている。シリアで起きている現実を喚起しながら、かつてのヒロシマ、ベトナムやバルカンのように、一般名詞として普遍概念化し、この次また、どこにでも起こり得る惨事として示そうとしたように思える。
日本では毎年8月、戦争を題材とするドキュメンタリーや、映画、ドラマを目にする機会が多くなる。1年のうちで最も日本人が戦争について、平和の尊さについて、思いをめぐらす期間だ。終戦から75年後の今年も、過去の戦争について学び、数々の悲話に触れ、二度と戦争を起こしてはならないという教訓を、あらためて胸に刻んだ人も多かったはずだ。
ところが世界には、そんな季節行事のような回顧ではなく、進行中の戦争を日々生きている人たちがいる。『シリアにて』には、それを見過ごしてはならないというヴァン・レウ監督の強い決意を感じる。爆撃によって命を奪われる兵士や市民を生々しく描いて視覚に訴えるのとは違う手法だからこそ、惨劇の舞台から遠く離れた私たちにも、より現実感のある恐怖となって伝わってくる。戦争を新たな視点で描くこの野心作との出会いは、目に見えない脅威に対する想像力の質が問われる今、貴重な思索の時間を与えてくれるに違いない。
作品情報
- 監督・脚本:フィリップ・ヴァン・レウ
- 撮影:ヴィルジニー・スルデー
- 編集:グラディス・ジュジュ
- 音楽:ジャン=リュック・ファシャン
- 出演:ヒアム・アッバス、ディアマンド・アブ・アブード、ジョリエット・ナウィス、モーセン・アッバス、モスタファ・アルカール、アリッサル・カガデュ、ニナル・ハラビ、ムハマッド・ジハド・セレイク
- 製作国:ベルギー・フランス・レバノン
- 製作年:2017年
- 上映時間:86分
- 配給:ブロードウェイ
- 公式サイト:https://in-syria.net-broadway.com/
- 岩波ホールにて上映中。全国順次公開