ドキュメンタリー映画『はりぼて』であらためて考える政治不信とメディア不信
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政務活動費の不正受給といえば、2014年に疑惑の追及を受けた兵庫県議会の議員が、記者会見で駄々っ子のように泣きわめいて抗弁した異様な光景を思い出す。これが広く報じられたのをきっかけに、全国各地の地方議会で次々と問題が発覚した。
中でも富山市議会のケースは、前代未聞の展開を見せた。16年8月からの半年あまりで全体の3分の1を超える14人の市議が、不正の発覚により相次いで辞職したのだ。それを導いたのが、ローカル局「チューリップテレビ」のニュース報道だった(関連記事=14人が辞職した富山市議会:地方メディア記者たちの闘い)。
市議会のドンと対決
取材班は情報公開請求をして政務活動費の支出伝票のコピーを入手し、領収証の名目や日付を丹念にチェックしていく。例えば「市政報告会」なるものが本当にその日に行われたのかどうか、別の資料と突き合わせ、記載されている会場に問い合わせる。すると、その会合が実際にはなかったこと、そこで配布されたことになっている資料の印刷代が、白紙の領収証を使って請求されていたこと、などが明らかになっていく。
この「あぶり出し」の最初のターゲットになったのが、富山市議会自民党会派の会長を務め、「市議会のドン」と呼ばれた中川勇氏だ。ちょうどその頃、議員報酬を月60万円から70万円に引き上げる条例案を中心になって進めた人物で、「お手盛り」の決定が市民から猛反発を受けていた。16年6月には、この件で他の議員に取材した女性記者からメモを取り上げる暴挙もあった。
映画の冒頭から、コメントを求められても無視したり、相手を言いくるめたりする尊大な態度が目に付く。そんな中川氏を実際に直撃した記者はどう思ったのだろうか。当時の取材記者、砂沢智史は、ニュース番組のキャスターだった五百旗頭(いおきべ)幸男とともに、こう振り返る。
砂沢 最初は、議員も生活が大変だ、ただでさえ地方議員はなり手が少ない、と言われて、そうかもしれないと納得してしまった。帰社して報告したら、五百旗頭に「いや、おかしいだろ」と突っ込まれてしまって。
五百旗頭 中川さんの言う通りだ、と帰ってきて言うんですよ(笑)。
砂沢 でも議員報酬について一連の取材を進めるうちに、その根拠や手順はやっぱりおかしいと思い始めて。その後、政務活動費の疑惑が出てきた時は、こちらが事前に大量の伝票を調べて、証拠をつかんでいるわけです。だから相手がいくら言い逃れをしても、口を開けば矛盾が出てくるので、そこを突けばいいという風に立場が逆転しましたね。
スクープ合戦の強迫観念、そして無力感
8月末、中川氏の不正を暴き、議員辞職に追い込むと、そこからは芋づる式だ。翌9月には10人の議員に不正が発覚し、まさに「辞職ドミノ」の様相を呈した。その中には、3カ月前の議員報酬引き上げ決議の際、傍聴席から抗議の声を上げた市民に対し、「全員退場を命じますよ」とすごんでみせた市田龍一議長も含まれていた。
ふんぞり返っていた「先生」たちが、急にしおらしく、時には涙を流して謝罪する場面を見て、溜飲を下げた市民は少なくなかったに違いない。しかし取材をする側は、決して調子に乗っていたわけではなかった。
五百旗頭 その頃は、別の番組を抱えていて、あまりこの取材には関われなかったんですよ。その代わり、キャスターとして毎日報じながら、少し引いた立場から見られていた。当時の各社の動きを見ると、だんだんと不正を暴くことが目的化していったような気がします。それが本当に市民のためになるのか、そこまで考えた報道ではなくて、自分たちのメンツのために、市民不在のスクープ合戦をしていたと。
砂沢 現場にいた身からすれば、あそこまでになると、もう強迫観念というか…。自分たちが出さなければ他社が出す、今日負けたら明日は勝たなければいけない、そんな空気は確かにありました。何もなくても、とりあえず市議会に行っておこうと。毎日のように何か出てきますからね。正直、プレッシャーの方が強かったところはあります。よく言えば、それがあれだけ不正を暴く後押しにはなったんですけど。
こうして10月までに市議12人が辞職し、翌月には補欠選挙が行われた。欠員13の議席を25人の候補者が争い、すべて新人が当選。うち旧来の自民党会派はわずか1議席の獲得だった。しかし連日の不正追及報道もむなしく、投票率は26.94%にとどまった。
砂沢 この数字には、市民が議会により期待しなくなったことが表れています。不正が次々と暴かれたことで、逆に市政に関心を失っていったんですね。
五百旗頭 感じられるのは「あきらめ」ですね。だから、僕らは報道でいろいろな賞をいただいたんですけど、むしろ無力感の方が強かったんです。あれだけ世間から評価されたけど、じゃあその後、市議会の何が変わったのかと言うと、本質は何も変わらなかった。
とはいうものの、不正報道とそれに続く引責辞職の末、議員報酬の引き上げが撤回されるという重要な成果はあった。市議会も、政務活動費の運用に新ルールを定めるなどして、浄化を進めている姿勢をアピールした。そして迎えるのが17年4月、議員の任期満了に伴う市議会議員選挙。ここからの後半50分が、当初テレビ番組として放映された前半部分に、映画化を機に新しく加えた「続編」パートとなる。
五百旗頭 前半の映像にも、映画的な効果を狙って再編集した箇所があります。ナレーションも、経緯が分かる程度に削りました。11月の補欠選挙の後、五本さんの元に自民党会派の新人議員が挨拶しに来るシーンがありますね。あれは、今回新たに使った部分です。伏線として入れて、しかも五本さんのキャラクターも立てられる。
「五本さん」とは、中川氏に代わって自民党会派の会長に就いた長老、五本(ごほん)幸正市議(現在は同会派から離脱)だ。市議会の再生を高らかに宣言した五本氏を中心に、後半のストーリーが展開していく。五百旗頭が「議員に不正が発覚しても辞めなくなった」と嘆く時代の幕開けだ。
五百旗頭 議員も追及されることに馴れてしまったんです。とりあえず謝罪会見を開いて謝っておけばいいと。そこを乗り切ってしばらく経てば、メディアの関心も薄れてくる。メディアの方にも、同じようなネタを取り上げ続けて、報道疲れが出てしまうんです。
ニュースにはないドキュメンタリーの切れ味
とはいえ取材陣にとって、こうした無力感と戦いながらも、報道し続けるのが仕事だ。日々の記録は単調でも、それが積み重なることで、角度を変えた切り込み方が期待できる。それが今回こうして長編のドキュメンタリーとして結実し、マンネリ化した報道とは一線を画すものとなった。
砂沢 毎日のニュースでは、「尺」の問題もありますからね。取材に行って、撮影したものがすべて流れるわけではありません。
五百旗頭 ドキュメンタリーでは、取材する側とされる側のやり取りから見せることができる。議員がしゃべっているところだけでなく、こちらが質問するところも使えるわけです。そのときの相手の表情、間の取り方、答えに詰まる瞬間…、そういうところに本質が詰まっている。
その狙いから、実際には不正を犯していない人々の言動も、カメラは注視し続ける。全編を通じて登場する森雅志市長がその一人。周辺町村合併前の旧富山市から数えると、市政のトップに君臨して今年で19年目になる。議員報酬引き上げや相次ぐ不正について記者団から見解を求められても、「答える立場にない」とことごとくコメントを避けてきた。近年の中央政界でも繰り返し見せられてきた、責任を取らないリーダーのイメージそのものだ。
砂沢 市の機能に混乱があったら、行政の長から何かしらコメントがあってしかるべきですよね。ところが市長はたびたび「制度論」を盾に、言及を避ける。「制度上は確かにその通り」と言うしかない論理で、巧妙に記者を黙らせるんですね。だったらそれをそのまま見せるしかないなと。
五百旗頭 行政当局と議会の間に、持ちつ持たれつの関係は垣間見えますよね。はっきりとここが悪いと提示できなくても、彼らの動きを丹念に追うことで見えてくるものがあると思います。この映画に描かれたのは、国政の縮図でもある。「答える立場にない」と言って、記者とのコミュニケーションを遮断する場面、官邸で何度も見てきましたよね。不都合なことをいかに答えずに済ませるか、その狡猾なやり方が、中央、地方を問わず、政治にまかり通っている、そこを問題提起したかった。
こうして、映像による無言の糾弾は、政治家の横暴を止められない役人、請われるままに白紙の領収証を差し出す店主、投票行動で意思を示さない市民にも及ぶ。そして最後に力を込めて批判の矢を向けるのが、自分たちジャーナリストである。それがこの映画の最大の特徴であり、その真摯な姿勢が胸を打つ。彼らが自分たちの無力感をどうにかして表そうとした終盤の場面については、あえてここでは中身を明かさずにおこう。
五百旗頭 組織ジャーナリズムに身を置く人間として、ある意味ギリギリの表現を選びました。だからあれがすべてなんですよ。それ以上のことを言うつもりはありません。この映画には、組織の一員としての葛藤だったり、報道で結局何も変わらなかった無念だったり、そういったものも盛り込まなければならないと思ったんです。僕と砂沢が悩みを打ち明け合っているシーンを撮るかという案もあったんですけど、それまで事実を追ってきて、最後にそんな演出じみたことをしたら興ざめですよね? だから、一人の人間として見せたくないような恥ずかしい場面だけど、これを入れて苦悩や葛藤を表すことにしたんです。
政治不信が叫ばれて久しい。そして同じように久しく前から、その責任の一端がメディアにもあると指摘される。そればかりか近年は、メディア不信の方が先に立つことも少なくない。いまや権力者に立ち向かう記者ですら、大衆を味方に付けにくい世の中だ。そんな中で、自分たちもまた、腕章とマイクとカメラに守られた「はりぼて」なのではないか、と自問するのがこの2人のジャーナリストである。彼らが自分たちの弱さを認めたからこそ、真実に迫ることができた。そこがこの作品の一番の強さだろう。
砂沢 僕が生まれ育った富山県は、周りに同調しないといけないような無言の圧力が働く傾向が特に強い土地柄だと思うんですよ。だから、こういう不正事件が起きたときに、ちょっとおかしいなと思うところがあっても言わない、見て見ぬふりをするところがある。僕にもそういうところがあるんです。おかしいと思っても、言うのは怖い。議員に質問して、張り倒されるんじゃないかと身がすくむ時もありました。でも報道するなら、言わなきゃいけない。最初に言う勇気、それが必要なんです。
五百旗頭 彼はそういう動揺を隠さないんですよね。メディアに対する不信感が高まっているのは、記者が組織に守られていて、安全地帯から無難な質問や取材をしている印象があるからでしょう。取材する側、報じる側の覚悟や、リスクを冒している姿勢が見えないと説得力を持たないと思うんです。それと、最近のネット上の人々の反応を見ると、極端な方向に振れやすい気がします。そこにはメディアが加担してきたところもある。テレビというのは、白黒はっきり付けた分かりやすい番組を作るじゃないですか。でも世の中もっと複雑だし、だからこそ豊かだと思うんですよね。僕らがドキュメンタリーを作るときには、そういう二元論に落とし込みたくなかった。自分たちが答えを出すのではなく、考える材料を提示したい。モヤモヤする人もいると思うんですけど、では何でモヤモヤするんだろうと考えてもらいたいんです。
インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督:五百旗頭 幸男 砂沢 智史
- 撮影・編集:西田 豊和
- プロデューサー:服部 寿人
- 語り:山根 基世
- 声の出演:佐久田 脩
- テーマ音楽:「はりぼてのテーマ~愛すべき人間の性~」作曲・田渕 夏海
- 音楽:田渕 夏海
- 音楽プロデューサー:矢崎 裕行
- 製作国:日本
- 製作年2020年
- 上映時間:100分
- 配給:彩プロ ©チューリップテレビ
- 公式サイト:https://haribote.ayapro.ne.jp/
- 8月16日(日)よりユーロスペースほか全国ロードショー