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「映画は現実より遅れてやってくる」:ダルデンヌ兄弟が語る最新作『その手に触れるまで』と「いま起きていること」

Cinema

新型コロナウイルスの影響で公開延期となっていた新作映画が、6月に入って続々と登場する。その一つが、昨年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したダルデンヌ兄弟の『その手に触れるまで』。予定の5月22日から3週間遅れの6月12日(金)公開となった。イスラム過激思想に感化されて罪を犯した少年の、更生の道を歩み始めて揺れ動く心情が細やかに描かれる。

ベルギーのダルデンヌ兄弟は、ごく普通の人々の日常を丁寧な描写でリアルに再現しながら、現代社会が抱えるさまざまな問題にアプローチしていく作風に定評があり、1999年の『ロゼッタ』以来、監督した8作が連続してカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出されている名匠だ。同映画祭での2度にわたるパルムドール(99年、2005年)ほか、これまでに数々の賞を獲得してきた。

4月上旬にはプロモーションで来日するはずだった兄ジャン=ピエールと弟リュック。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となり、代わりにベルギー(ジャン=ピエールはリエージュ、リュックはブリュッセル)からZoomでインタビューに応じてくれた。東京や大阪など7都府県に緊急事態宣言が発令されてから最初の1日となった4月8日。すでにベルギーでは外出制限が実施されてから3週間以上が経過していた。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ(左)と弟のリュック ©Christine Plenus
ジャン=ピエール・ダルデンヌ(左)と弟のリュック ©Christine Plenus

手を触れてはならない存在

新作の原題は『Le Jeune Ahmed』(若きアメッド)。アメッドはアラブ系の男性名(アラビア語の発音ではアフメド)で、ベルギーのマグレブ(北アフリカ)系移民家庭に生まれ育った13歳の少年を主人公とする物語だ。

序盤では、兄とともに近所にあるイスラム教の礼拝所へ熱心に通うアメッドの姿が描かれる。母は、つい最近まで無邪気にゲームに興じていた息子の変わりように混乱するが、アメッドには酒を飲む不信心な母の言葉はもはや説得力を持たない。彼が熱心に耳を傾けるのは、礼拝所で説法を行うイマーム(導師)の教えだ。

神に祈りを捧げるアメッド。約100人の候補者から選ばれた新人イディル・ベン・アディの好演が光る ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
神に祈りを捧げるアメッド。約100人の候補者から選ばれた新人イディル・ベン・アディの好演が光る ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

一方、読み書きなどの補習を行う放課後クラスでは、女性教師があいさつの握手を求めてくることにいら立つアメッド。イスラム教の厳格な教えでは、男性は家族以外の女性に触れてはならないのだ。加えてその教師は、歌でアラビア語を学ぶ授業を提案している。それを聞いたイマームは、「聖なる言葉を歌で学ばせるなど冒とくだ」と断罪。イマームから彼女が「聖戦の標的」だと思い込まされたアメッドは、恐ろしい行動に打って出る...。

放課後クラスでアメッドに読み書きを教えるイネス先生。この距離がやがて... ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
放課後クラスでアメッドに読み書きを教えるイネス先生。この距離がやがて... ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

——内向的な性格で口数の少ないアメッドは、この時期の少年に特有の、他者からは理解しがたい雰囲気がありますね。このように謎めいた主人公を、あえて説明なしに描いていくことにどんな意図がありましたか。

ジャン=ピエール アメッドは自分ができる最善のことをしようと努める純粋な少年です。彼は自分が暮らす地区のイマームに心酔している。そうなると、イマームが最善だと考えることが、自分にとっても最善になるわけです。確かに彼は伏し目がちで、感情表現の少ない少年です。しかし、ほんのわずかな表情や動作から、心の動きを読み取ることができる。イスラム過激派の「聖戦」で殉死した従兄の写真をインターネットで見るとき、彼は明らかに幸福を感じていました。一方で、更生プログラムで出会う農場の娘と接近するときには、とまどいや笑顔も見せる。狂信によって隠されていた生命の輝きが現われ、私たちをほっとさせ、かすかな希望を抱かせてくれます。

少年院の更生プログラムで農場に送られたアメッド。農場主の娘ルイーズから関心を持たれる ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
少年院の更生プログラムで農場に送られたアメッド。農場主の娘ルイーズから関心を持たれる ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

——アメッドが礼拝の前に熱心に手を洗うようすを長く収めていますね。彼がいかに純真に教えを守っているのかが伝わってきますが、どんな効果を狙いましたか。

リュック 礼拝の前に手や口を清める所作は、原理主義者に限らず、どんなイスラム教徒もすることです。そのほかの慣習についても、撮影の時にイスラムの専門家についてもらい、細部まで忠実に再現しました。細かすぎてイスラム教徒でさえ気付かないだろうというところまであります(笑)。今回そんな風に儀式的な所作をとらえたことに特別な意図はありません。それよりも、イマームがどうやって過激な言葉で少年を魅了し、扇動していくかを描こうと思ったのです。

——2015年パリ同時テロの実行犯の多くが、過激なイスラム原理主義に染まった若いモロッコ系のベルギー人でした。この物語は、ごく普通の少年にもテロリストになる危険性があるという現実を示唆しているのでしょうか。

リュック アメッドを取り巻く経済的、社会的背景については詳しく描かず、宗教的な側面に焦点を当てました。私たちが見せたかったのは、狂信的な信仰の問題はとても根が深いということです。この物語のように、そこから救い出そうとする人々の善意があったとしても、それだけでは十分ではありません。この問題はこれからも長く続く可能性があります。現実の社会では、残念ながらイスラム教徒に対する雇用差別や人種主義的な言動があります。しかし彼らの一部が狂信的になるのは、仕事がもらえないからではなく、過激なイマームや組織からの誘いがあるからなんです。とはいえ、この映画で重要なのは「なぜ狂信化するか」ではありません。私たちが中心に描こうとしたのは、狂信からいかに抜け出せるかでした。

少年院でアメッドを見守る教育官たちの温かさに触れる ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
少年院でアメッドを見守る教育官たちの温かさに触れる ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

隣人は潜在的なウイルス保有者か?

——テロの後、一般のイスラム教徒たちは、偏見に苦しんだといいます。そして数年後の今、世の中では、ウイルスという新たな恐怖が生まれ、人々が互いに警戒し合いながら距離を取っていますが…。

リュック それとこれとは完全に別の話だと思いますよ。現在、人々が距離を取っているのは、防御であり利他的行為です。テロは憎悪の行為ですが、家から出ないというのは、人に感染させないための愛の行為です。ですから大きな違いがありますが、共通点を見出すとしたら、危険があり、それに対する恐怖があるということ。危険に対して恐怖を抱くのはごく自然な反応です。しかし恐怖は、必ずしもネガティブなものとは限りません。注意を呼びかけるものです。こんなことをしたら自分や他人を死に至らしめる危険があると、知らせてくれるのです。

ジャン=ピエール いや私は、おっしゃることが分かります。確かに、外に出るたびに、潜在的なウイルス保有者として他人を見てしまうことがあり得ます。相手にとって自分もそう見られている可能性があって、それが日常になりつつある。人に近付きすぎないように気を配るわけです。これは根本的に人々の行動を変えてしまう。私たちは人と会い、語らうことを好むのですが、それができないという未経験の事態に直面しています。新聞か何かで抱擁している人々の写真を見たとき、とっさに違和感を抱いた自分が奇妙に思えます。すぐに、そうだ、これは外出制限の前に撮られた写真だ、以前はこれが普通だったんだと気付くわけです。こんなことがいつまで続くのかと考えると…。

リュック そこは考えすぎない方がいい。近所の人がウイルスを持っていて、それが自分に感染したとしても、その人を責めたりはしません。自分が誰かから感染するのではないかとか、自分が誰かに感染させたのではないか、という妄想にとらわれてはいけない。最初、ウイルスは外国を経由して入ってきた。これを外国人排斥の口実として悪用する政治家もいるわけです。しかし幸いベルギーでは、「共通の敵」はウイルスであって、国民は運命を共にしているという考えが広く共有されました。自分も含めた誰もが潜在的なウイルス保有者であるという認識があるから、隣人を敵視することにはならないのです。

——コロナ後の世界の変化について考えることはありますか。

ジャン=ピエール いつになればこの状況から抜け出せるか、私は明言できる立場にはありません。ちょっと驚きなのは、まだ始まったばかりなのに、どうやったら終わるかが話題になっている。しかし、まだ早い。辛抱強くなければいけません。これから国家の役割、公共サービスの役割について、資本主義の是非について、さまざまな論議が噴出するでしょう。それはいいことです。

——この変化が今後の作品づくりに影響を与えることは?

リュック 毎日、家にこもって、来年あたり撮影に入る次の作品の脚本を書いているので、特に変化を感じません。今回のコロナウイルス問題が創作に影響することは…ないです(笑)。もちろんそういう映画作家たちもいるでしょうが。

ジャン=ピエール 自宅軟禁の状態で素晴らしい映画を撮ったイランのジャファル・パナヒ監督のような例もありますね。今の私たちの生活とは状況が明らかに違いますけど(笑)。確かに、考えてみてもいいかもしれない。一室だけで完結する作品とか…。

リュック ドキュメンタリー映画ならともかく、私たちが手掛けるようなフィクションは、常に遅れてくるものです。現実を理解しようとする、そこに時間がかかるんですね。時間差のない作品を提供できるなんてことは、めったに起こらないんですよ。

イマームの下を離れ、自分自身で考え始めたアメッドは葛藤に揺れ動く ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
イマームの下を離れ、自分自身で考え始めたアメッドは葛藤に揺れ動く ©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

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邦題の『その手に触れるまで』に、コロナ終息への願いのような響きを感じ取る人がいるかもしれない。手を触れることに、そのくらい特別な意味があり得ることを、私たちはほとんど気付かずにいた。他者との距離を保って数カ月を生きた私たちが、その間の経験で新しいものの見方を獲得したと言うことはできる。逆に言えば、それ以前に見えていなかったものがどれほどあったかということだ。

今の私たちは、「いつになったら元の生活に戻れるんだ?」とか、「いや元の生活には戻れない」、あるいは「戻ってはいけないんだ!」などと、性急に答えや態度決定を求めがちだ。今回ジャン=ピエールとリュックとの短い遠隔の対話を通じて、非常に謙虚でありながら、世間の風潮に動じることのない肚(はら)の据わった二人の姿勢をうかがい知ることができた。それはもちろん、作品に反映されている。だから、目の前で起きていることを、時間をかけて徹底して見つめるという哲学に貫かれた映像に、私たちはおのずと引き込まれてしまうのだ。

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

作品情報

  • 監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
  • 出演:オリヴィエ・ボノー、ミリエム・アケディウ、ヴィクトリア・ブルック、クレール・ボドソン、オスマン・ムーメン
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 製作国:ベルギー=フランス
  • 製作年:2019年
  • 上映時間:84分
  • 公式サイト:http://bitters.co.jp/sonoteni/
  • 2020年6月12日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開

予告編

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