恋愛映画の名作『男と女』が半世紀越しに同じキャストで完結 クロード・ルルーシュ監督に聞く「人生最良の日々」とは?
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おそらく映画そのもの以上に『男と女』を有名にしているのは、フランシス・レイが作曲したテーマソングだろう。ヒロインの夫役で出演したピエール・バルーが作詞を手掛け、自ら歌う「ダバダバダ、ダバダバダ…」のスキャットは、誰もが一度ならず耳にしたことがあるはずだ。
この甘いメロディーをバックに繰り広げられるのは、レーシングドライバーのジャン・ルイと、スクリプトガール(映画の撮影進行記録係)アンヌの恋物語。パリから離れた寄宿舎へ子どもに会いに行った帰り、列車を逃したアンヌをジャン・ルイが車で送るのをきっかけに始まる。ともにパートナーに先立たれた二人が、互いの身の上を話すうちに魅かれ合い、戸惑いながら接近し、やがて結ばれるが、その後の恋の行方は描かれずに終わる。クロード・ルルーシュ監督は自身の出世作をこう振り返った。
「66年の『男と女』は、映画人としての私に自由を与えてくれました。私は50年以上、映画を受注制作したことは一度もありません。この作品が世界的な成功を収めたからこそ、その後の映画人生において、自分が撮りたいと思う映画だけを作ってこられたのです。だからタイトルは『男と女』ですが、私にとっては『パパとママ』(笑)。自分の親に恩返しをするつもりで、この物語のエピローグを作ることにしたのです」
今回の『男と女 人生最良の日々』は、66年版の印象的なシーンを回想のように使いながら、二人の52年後(撮影時)を描いていく。演じるのは、同じジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ。当時30代だった二人はいまや80代半ばを超えている。海辺の施設で暮らす元レーサーのジャン・ルイ。老いが進行し、記憶に混濁が見られる。そんな父の状態を心配する息子は、かつて父が恋したアンヌの居所を突き止め、父を訪ねてほしいと願い出る。こうして長い間別々に人生を歩んできた二人が、ついに再会するのだが、果たしてジャン・ルイは、アンヌのことを思い出せるのだろうか…?
すでにルルーシュ監督は86年にも、二人の20年後を描いた続編を撮ったことがある。しかし、中年の男女が青春の日々と決別する苦さを複層的な筋立てで描いたこの作品(邦題『男と女II』)については、後に「詰め込みすぎた」と悔やんでいる。それもあって、今回は純粋に二人の恋物語に立ち返り、それを真に完結させたいと願ったのかもしれない。ただし今度はそこに、老いという問題が避けがたく入り込んでくる。
「これは誰にも関わりのある物語です。人生のゴールが近づくにつれて、人は毎日、死について考えるようになる。では、死とは何でしょう。それは大きな謎以外の何物でもない。人生とはこの謎に向かっていく旅なのです。私も人々と同じように死について考えるようになりましたが、私が言いたいのは、死は人生の『ごほうび』だということです。生を終えて、一段高く上がるのが死だと考えます。だから恐れはありません。それを映画で語ろうと思ったのです。死を恐れず、来世でも恋が続くことを確信している男女の姿を描き、永遠を生きるとはどういうことか、それを見せたいと思いました」
とは言いながら、監督がまずスクリーン上に見せるのは、かつてラリーで大地を疾走したレーサーが、老人たちの輪に入らずに一人腰かけ、虚空を見つめる寂しげな姿だ。そこへ、彼が恋した女性が、年齢を感じさせない若々しさと聡明さを保って現れる。これは、過去の2作でプレイボーイぶりを垣間見せたジャン・ルイに対する「お仕置き」なのだろうか? それとも究極の「ごほうび」なのだろうか?
「私は女性と子どもの組み合わせを描きたいと思いました。幼い時から女の子は男の子より大人で、女性は男性よりずっと複雑な人生を歩む。ジャン・ルイは年を取っても子どものままなんです。少なからず私自身を投影した人物でもあります。私は5人の女性との間に7人の子どもをつくりましたから、誠実な夫だったとは言えません(笑)。男と女の間には恋愛に対する考え方の違いがあります。男は恋愛を楽しみ、女は恋愛を生きる。私にとって、女性は大いなる賛美の的なのです。輪廻転生があるなら、女性は男性より一つ上位の生なのでしょう。来世では女性になりたいです。この映画では、女は男よりも完成されていて、強く、勇敢であるということを見せたかった」
アンヌは、危険な男との行方の知れぬ恋に溺れることのなかった理知的な女性として描かれる。だが、そうであるがゆえに、たった1度の激しい恋は、追憶の彼方へと追いやられながら、鮮烈なイメージとともにたびたびよみがえる。その記憶の美しさと、過ぎ去った年月の長さが、過去の映像によって、観客の感覚にもリアルに伝わってくるのだ。
「これは記憶をめぐる映画です。誰もがみな、他人には味わうことのできない恋愛体験を持っている。ところが記憶というのは、時が経つにつれ薄れてきます。私もいくつか小さな恋物語を経験してきましたが、もう大したものは記憶に残っていません。一方で、映像には力がある。私は66年の『男と女』の映像を使いながら、映画史の記憶にオマージュを捧げるとともに、登場人物、役者、観客が味わった当時の感動を、もう一度共有したかったのです」
作品の終盤には、ルルーシュ監督が1976年に撮った8分強の短編『セ・テタン・ランデヴー(C’était un rendez-vous)』の一部も使われる。スポーツカーの前部にカメラを固定し、監督自らハンドルを握り、制限速度も信号も無視した猛スピードで疾走しながら、早朝のパリを横断する映像だ。
「『男と女』と並んで、私の作品中、世界でもっとも知られた映画です。インターネットで共有されているので、もしかしたら『男と女』よりもよく見られているのではないでしょうか。車で疾走するスピードが人生の速さを表しているのです。過ぎゆく時間を撮ることはとても難しいのですが、これはそれができた映画です」
このように過去の映像を使いながらも、ルルーシュ監督は決して昔を甘く追想する作品にしようとしたわけではない。その意図は映画の冒頭に引用し、タイトルにも使った文豪ヴィクトル・ユーゴーの言葉に現れている。すなわち、「人生最良の日々とは、まだ生きていない日々だ」。
「私が伝えたかったのは、現在は過去より強いということです。私たちは過去を胸に抱きしめ、未来に不安を感じている。たとえ、現在が過去より美しさで劣るとしても、私たちがこの手にできるのは、現在だけです。過去も、未来も、死も、私たちにはどうすることもできません。私はいま82歳です。年が過ぎゆくたびに、私はより多くのものを得ていると感じる。過去よりも、現在が私を夢中にしてくれます。私がほぼ幸福な映画人生を送れたのも、私の手の中にあるのは現在だけだということをいち早く理解したからなのです」
老境に入った人から、こう聞くのは何と新鮮なことだろう。私たちが年長者から多く耳にするのは、「昔はよかった」というセリフだから。ますます複雑化する世の中ゆえ、いろいろなことがシンプルだった過去の時代についノスタルジーを感じてしまうのも無理はないのだが、監督はきっぱりとそれを否定する。
「私は非常にポジティブな人間で、こう考えます。いま生きているこの時代こそ、過去のどの時代よりも素晴らしいと。私たちはともすると気付きませんが、人類の歴史上、もっとも残酷でない時代が現代ではないでしょうか。もちろん完璧からはほど遠いです。人類は地球と戦争状態に入ってしまった。これはいけません。しかしそれ以外で、人間にとっては最良の時代です。私たちは甘やかされた子どもなんですね。最良と言えるだけのものがあるのに、そう感じることができないでいるのです」
取材・文:松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督:クロード・ルルーシュ
- 出演:アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン、スアド・アミドゥ、アントワーヌ・シレ、モニカ・ベルッチ
- 音楽:カロジェロ、フランシス・レイ
- 製作国:フランス
- 製作年:2019年
- 上映時間:90分
- 配給:ツイン
- 公式サイト:http://otokotoonna.jp/
- 1月31日(金)TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー