『宮本から君へ』:暑苦しくて痛くて疲れる映画、なのにこの清々しさは何だ?
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原作は講談社の週刊漫画誌「モーニング」に、1990年から94年にかけて連載された新井英樹の同名漫画。92年には第38回小学館漫画賞を青年一般部門で受賞している。ライバル出版社から受賞作が出るのはなかなか異例のことだ。極端な描写の中にも生々しさがにじみ出る人間たちの姿は、バブル崩壊前後の日本のヤングアダルト層の間に賛否両論の渦を巻き起こし、肯定する側からはカルト的な支持を得た。
大学を卒業して間もない文具メーカーの営業マン、宮本浩(池松壮亮)が主人公で、映画版は原作の後半に展開する中野靖子(蒼井優)との関係を中心に描かれていく。
宮本は、ふとした成り行きから靖子の前で「この女は俺が守る」と口走ってしまう。その瞬間から、臆病者が逃げないと覚悟を決めて、口先だけでない愛し方を探り続ける。その行く手に、軽薄な遊び人のヒモ野郎や、取引先の高圧的な体育会系オヤジや、女を性欲のはけ口にしか考えない獰猛(どうもう)な筋肉バカが立ちはだかる——。
井浦新、ピエール瀧、一ノ瀬ワタルら漫画のキャラクター以上に強烈な個性を放つキャストが脇を固め、池松壮亮と蒼井優が文字通りの体当たり演技をする『宮本から君へ』は、痛覚を思い切り刺激される「痛い映画」だ。スクリーンを通して身体的、精神的な痛みを追体験させられ続け、ぐったりと「疲れる映画」だ。しかし宮本の勝負を見届けると、熱気にむせ返るサウナから出たときのような清涼な風を心に感じるのはなぜなのだろう。
さすがは漫画の世界だけあって、細部をまわりくどく作り込まない単刀直入なストーリーテリングで引き込む力があり、展開のリズムにも週刊の連載特有のものがある。つまり各話で山場を作りつつ、何話にもわたってクライマックスを延長するという、「急き込み感」と「引っ張り感」の絶妙なバランスが映画の2時間という枠の中で見事に再現されている。
失われつつある青春というこの上なくシンプルなテーマへと、ためらいもなく一気にフォーカスしていけるのも、若いサラリーマンを主人公とする青年向け漫画ゆえだ。宮本が泣いたり、叫んだりして、みじめな姿をさらしながら、靖子への愛を貫こうとする。その強度と熱量さえあればいいのだ。
世の中で一番醜いのは口先だけの人間だ。こう聞くと誰もが身に覚えがあるものだから、胸が苦しくなる。表では立派なことを言って、裏で小ずるい真似をしてしまう、その恥ずかしさに耐えられないから、賢い人ほど大言壮語を慎むことを覚える。だが愚か者には、うっかり口を滑らせてしまうことがあり、おまけに、取り返しのつかないことをしでかしてしまう時がある。
思えば人生とは取り返しのつかないことだらけで、常に一発勝負だ。もちろんその勝負に負け続ける人生もあるけれど、後戻りできたらと考えるより、目の前の勝負に命を張るしかない。宮本は、そのことを愚直に体現する男である。
若者は、夢を見ては現実に目覚め、やぶれかぶれになることはあっても、やがて正気を取り戻し、うまく立ち回ったり、卑怯に逃げを打ったりして、どうにかこうにか生き永らえる術を身に付け、大人になっていく。だが青春とはまさに、夢を現実に打ち砕かれたやぶれかぶれの日々でしかないとも言える。生き永らえているのが不思議なほど、痛い思いの連続なのだ。
そんな痛みが全身に突き刺さる『宮本から君へ』は、涼しくスマートに生きる令和の若人に見てほしい映画であるのはもちろんだが、暑苦しく昭和や平成を生きてきたかつての若者にもおすすめしたい。まだ自分が若いと思っている人、もう若くはないと思っている人、どちらも自分に残った若さを、この映画を体験することで確かめてみたらいい。たとえ映画が気に入らなくても、熱くたぎるものの喪失を悲しんだり、青臭さをあざ笑いながら枯れた自分に満足したりできるだろう。
作品情報
- 出演:池松 壮亮、蒼井 優、井浦 新、一ノ瀬 ワタル、佐藤 二朗、松山 ケンイチ
- 監督・脚本:真利子 哲也
- 原作:新井 英樹
- 脚本:港 武彦
- 製作:『宮本から君へ』フィルムパートナーズ
- 配給:スターサンズ/KADOKAWA
- 製作年:2019年
- 製作国:日本
- 上映時間:129分
- 公式サイト:https://miyamotomovie.jp/
- 新宿バルト9ほか全国公開中